「ない→ある」になっている世界が必ずある




食事の写真をSNSに載せる時、

昨年の緊急事態宣言中に大切な友人の言ってくれた言葉やメールで話した内容を思い出します。

ざっくりまとめると…

仕事をしながら栄養満点のご飯を作っている、と彼女はSNSから感じ労い褒めてくれました。

同業で小さなキッズもいて、当時の葛藤もなんとなく察しがつきました。

数少ない長い付き合いの信頼できる友人です。

料理や家事、育児。
SNSは、良いところ、映えるものの切り取りが中心で
見ていて楽しいし
受け取り方だとは思うものの、
プレッシャーセンサーが自分の中にも反応したら
意味や距離を考える存在がSNSです。


私は、食べることが好き。
上手ではないけれど、家庭で作った味が好き。
うちの味が好き。
肌荒れしてるのに、適当に済ませるのはすごくストレスだし
スキンケアやホルモンバランスの研究と実践が趣味の様な人間。
その二つに食事は欠かせない。

お客様の理想に向かうプロセスにも深く関係する。
だから食事や料理の話は載せる。

でも。

ポテトチップスやポテトフライが大好きだし、できれば毎日食べたい。
疲れたら思い切り食べる日もある。

そして、
私が作った料理はママ友に首を傾げられたこともある。

その昔、グラタンを捨てられたこともあるし

これは食べなくて良いと親から子へ話しているのを目の前で目撃したこともある。笑

当時、決して不味いと言わないのに行動や態度に思い切り出すその姿に不快極まりなかったけれど(気を遣って頂いたのだと分かっていても。出された料理や食事に対する哲学とかそういう話になってくる。)

首を傾げられた料理は後日
ヴィーガンの友人は最高!とわしわし食べていてなんだか怒りはどうでも良くなり。


ファッションも同じで、全身ピンクでキメた朝

夫に近所や幼稚園で浮くと止められたけれど

一歩外に出たらご近所と思われるご婦人から笑顔をもらい、自転車に乗った海外の方にウィンクされ一日ご機嫌に。(ピンクだからかは定かではない)

幼稚園では浮きましたが。笑



なんだか話が逸れちゃった。


美味しくない、可愛くない、素敵じゃない。

簡単に愛のない「ない」を曝け出してくる人が私は苦手で、

「ない→ある」になっている世界がどこかに、誰かの中に私は必ず存在していると思っています。

半径を少し伸ばしたら、

大きく一歩日本から出たら

味覚を始め

自分の正を覆されることばかり。

お料理でいうなら、

出来るだけみんなに美味しいって言われたら嬉しいけれど、その振り幅が大きいこともある訳でその側面を忘れずに出された料理や食事に対する哲学を自分なりに持っていたいななんて思います。

そこに愛はあるのかい?って。

お料理写真をあげる時、きっとそれを見て料理に首を傾げた例の彼女はにやにや笑ってるんだろうなと想像できます。

でも、

いつもわたしは

最初に書いた彼女が頭に浮かびます。

とても自分にとって尊い人だなと思います。

そんなにその言葉に深い意味はなかったのかもしれないけれど。

わたしはそうやって遠く離れた彼女を思い出すことができることもなんだか嬉しい。


見栄えにはいくら拘れても、味までは分かりません。

もしかしたらたいしたことない、かもしれません。
ちょっとあなたのお口に合わない、かもよ。

そんな風に「気楽で」いて欲しいなと思います。


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