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指にナイフが貫通した話 #01

忘れもしない、2014年5月8日。
私の左手の人差し指に、ナイフが貫通した。
本当に一瞬の出来事だった。

高齢出産、帝王切開、ワンオペ育児

私は2013年7月に娘を出産した。年齢的にも高齢者出産で、帝王切開。娘も2400gの低体重出生児で産まれ、自己呼吸が弱ければ保育器に入ると言われていた。通常よりも退院に時間がかかり、10日か11日ほど入院して退院した(普通分娩だと入院期間は6日くらい)。

私の母は私が20歳くらいの頃に家を出て行ってから、ずっと別居していた。どこで誰と暮らしているのかも、はっきりとはわからない状況だった。一応、当時はまだ連絡先を知っていたので、妊娠をした時に連絡をした。喜んでもらえるかと思ったら、一言。「なにもしないけれど、恨まないでね」と言われた。これはこれで、面倒なことになるよりいいやと思っていた。当時は。

でも、里帰り出産もできず、夫がいる狭いマンションで新生児と暮らし始め、予想以上の育児の大変さに、私は1年で5,6キロ瘦せてしまい体重が40キロにまで落ちた。

最初は、毎朝7時に授乳、9時に授乳、11時に授乳、13時に授乳と2時間おきの授乳。そして、おむつ替え。ほぼミルク育児だったので、夫に授乳を頼めたのだが、夫は夜間の授乳は行うと言ったのにも関わらず、働いているのを特権に、夜はずっと寝ていた。

ふらふらの状態で、子どをも生んでからの1年間はずっと授乳とおむつ替え、夜泣きや黄昏泣きにはずっと自分で抱っこして、時間が過ぎるのをやりすごしていた。ベランダから夕焼けを見ながら17時のサイレンが聞こえてくると、「今日も何もできなかった」と泣く日もあった。

それは、娘がちょうど1歳を前に、離乳食が始まり、授乳よりも間隔があくようになって少し楽にはなってきていた頃。午前6時前に起き、すべて手作りで作り置きをしていた離乳食を解凍するために、冷凍庫から出した。

すると、おかゆが、ジップロックの中で溶けてくっついてかたまっていた。それを小さな塊にするために、私は思わず持っていたペティナイフでおかゆの塊を突き刺した。

次の瞬間、左手の人差し指の付け根に、ナイフが貫通していた。

指画像01

本当に一瞬だった。

ぐっさりと刺さって動かないナイフ


おかゆがくっついて取れない→ナイフで小さくしようという
思考の次には、指が動かなくなっていた。私は急いで
寝ている夫の元に行き、「刺さった~」と伝えた。

それまでは、宅配便が来てどんなにピンポンベルを鳴らされても、深すぎる眠りで目を開けない夫だったが、私の声が苦悶に満ちていたようで、私のその状況を見るや否や、慌てて起きだし、電話の方へ駆け寄った。

私は「朝が早すぎるので、病院が開いていない」と言うと、「救急車だよ」と夫が慌てて答えた。

夫は私に「ナイフを抜いてみな」と言ってきたが、がっちり刺さっているののがわかったので、持ち手を持っても動かないことを知っていた。

その時、だいぶ前に観たフランシス・フォード・コッポラ監督の『ドラキュラ』という映画のワンシーンを思い出した。確か、ドラキュアの胸に刺さった剣をウィノナ・ライダーが抜かない場面があって、一緒に観ていた母と、母の恋人に「なんで抜かないのだろう」と言ったら、歯学生だった母の恋人が「剣を抜くと血が噴き出る」と教えてくれたのを思い出していたのだ。(その後のシーンで、血しぶきが飛び散っていた)。

私の指もそうなるのだろうな、と察した。

外階段でストレッチャーに乗せられ搬送


救急車が到着し、緊急隊員は私の指を見て驚きの声を上げた。よく見ると私が歩いて移動した床は、血の点が玄関まで着いていた。

ストレッチャーに乗せられた私は、腕が見えないように隠すために、タオルが欲しいと緊急隊員に言われた。我が家には、何十回と行った音楽フェスで貰った、タワーレコードの「NO MUSIC NO LIFE」タオルがあった。それで隠した。黄色いタオルが眩しかった。

私が乗ったストレッチャーは直立させるわけにはいかず、荷物を搬入するような大型のエレベーターもマンションにはなかったので、非常用の外階段で、ストレッチャーに乗ったまま運ばれた。

指にナイフが刺さったままの状態で、ハンモックのような揺れを感じながら「落ちたら怖い」と思いながら乗せられていた。足元は裸足だったので、ペディキュアが見えた。

ネイルはしても取れてしまうので、ペディキュアが私にとっての唯一のおしゃれだったのだ。そのペディキュアの色を見て夫が「下品」と一言だけ言った。

のんびりとした青空が頭上には広がっていた。一階に着くと、ご近所さんなどの野次馬が救急車の周りに何人か集まっていた。

まさか、指にナイフが刺さっているとは思わないのだろうな。
そうぼんやりとしながら、救急車の中に搬送された。

その後、2軒の病院から多忙などのため受け入れ拒否にあい、私はしばらく救急車の中で、指からしたたり落ちる血を眺めていた。

この時の、一曲↓。


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