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春に散りゆく花びらと

「春は、出会いの季節だと思う?」
「え?」
「それとも、別れの季節だと思う?」
 春子さんは、僕をからかうように言った。職場の窓からは、風とともに桜がゆらゆらと散っていくのが見えた。
「私は、出会いの季節だって思ってる」
 春子さんの瞳は、何かを決心したようだった。次の日、春子さんは、職場から姿を消した。

「からかわれてただけよ」
 春子さんがいなくなって2週間が経った。必死に探し回る僕に、職場の人は皆、呆れたようにそう言った。7つも年下の僕は、春子さんからみたら、きっと子どもだったに違いない。それでも、僕は真剣だった。

「真剣な相手だったら、何も言わずに去っていくと思う?前にも言ったけど、彼女あんまりいい噂、聞かないわよ」

 春子さんが看護助手として働きだしたのは、同じように桜が舞う季節だ。無邪気で、少しだけおっちょこちょいの彼女は、僕よりも年上だということを忘れてしまうくらい可愛い人だった。

 仕事が終わって、駅まで一緒に帰るようになったのは、春子さんが入社してからすぐで、きっかけは些細なことだった。駅で、見かけた春子さんは、スマホを無くして慌てていた。

「大丈夫ですか」

「あ、すみません。確か、ここに。あれ、落としたのかな」

「あの、それじゃないんですか」

 春子さんは、手にスマホを握っているのも忘れて、探していたのだ。

「いやだぁ、もう、どうして私、いつもこうなんだろう」

 恥ずかしそうに笑うその顔は、誰よりも可愛らしく思えた。

「あ、名前、聞いていいですか?」

「僕?あ、遠藤です。遠藤春樹」

「遠藤春樹さん?よろしくお願いします」

 同じく春が付く名前も、僕と春子さんを近づけるきっかけになった。
 それから、同じシフトの水曜と金曜は、いつも帰るのが一緒になった。

 この町に越してきた理由も、この職場を選んだ理由も、僕はよく知らない。周りは、離婚して子どもを置いて出てきたとか、DVの夫から逃げているとか、色んなことを言った。だけど、僕はどれも本当のようで、嘘のような気がしていた。

「春樹君は、何も聞かないんだね」

 春子さんは、噂をする周りとは違い、何も聞かない僕との時間が心地いいと言ってくれた。

「聞かないよ。今いる春子さんを知れば、それでいい」

たった1年ほどの短い期間だ。それでも、僕は春子さんと過ごした時間を忘れない。

 もうすぐ、春が終わろうとしている。僕にとって、今年の春は、別れの季節になるだろう。

 春子さんにとっては、出会いの季節であってほしい。僕は、散りゆく桜に、そう願っていた。

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