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クロスボール#12

前回(第11話 嫌味)のあらすじ…ある日、部室でダイチとハルトが言い争いをはじめる。サッカーに本気で向き合う気がないのだと言われたケイシたちは、ハルトの言葉が胸に刺さる。そして、ユイには、変わったのはケイシの方でハルトは幼い頃から変わらず真っ直ぐにサッカーに取り組んできたのではと言われ、ハッとするケイシだっが…

第12話 サンダル


 家に帰ると、父が珍しくリビングにいた。ケイシの帰りを待っていたようで、椅子に座っている後ろ姿からは、いつもとは違う空気が伝わってきた。

「帰ったか」

「うん」

 予感は的中したようで、父はすぐに立ち上がると、テーブルの上にケイシが捨てたはずのパンフレットを、ゆっくりと並べていった。ゴミ箱から拾ったのだろう。父は、その事について、何も問いただそうとはしなかった。

「近場の塾だ。目を通しておけ」

 どのパンフレットにも、開始時刻は部活と同じ時間帯が記されている。それは、部活を辞めて塾に通うようにという、父からのメッセージだということに、ケイシは気が付いていた。

「俺、行かないよ」

 小さな反抗だった。絞り出した言葉に、父の表情が歪んだように見えた。

「サッカーが好きなのか?」

 父は、諭すような口調で語りかける。ケイシの視線は思わず左右に揺れた。その問いかけには、まだ答えが見つからない。

「……分からない」

 父が大きなため息をついた。

「なんだ、その答えは」 

 何か答えようとして探したが、ケイシは言葉に詰まっていた。ハルトの様に好きだと言える自信は、今のケイシにはなかった。

「そんな風だったらな、続けても無駄だよ。中途半端にやるぐらいなら、辞めてしまえ」

 父の言葉に、ケイシは俯くしかなかった。

「今度の試合までだ。それまでに結論を出せ」

 そういうと父は立ち上がり、診療所に戻って行った。父の期待が重くのしかかってきたように思えた。きっと父は、こんな自分に呆れている。ケイシは、情けなさと悔しさでいっぱいになっていた。

 次の日、ケイシは早めに家を出た。昨日は、あまり眠れなかった。朝から父と顔を合わせれば、当然、気まずい雰囲気になるだろう。それは避けたかった。

 少しでも早くグラウンドに着けば、何か見つかるような気がして、ケイシは自転車を飛ばしていた。

「あっ」

 グラウンドに着くと、一足先にユウマがいた。

「おはよう」

 振り向くと、後にはダイチもいる。

「言われっぱなしじゃ、悔しいだろ」

 皆、考えは一緒だった。練習の約束をしたわけではないが、ユウマもダイチも、自然と足がグラウンドに向かったのだろう。自分達だってきっとやれる、そう言い聞かせるように、ボールを追いかけることにした。

「ハルト、おはよう」

 ハルトを見かけると、ユウマがすぐに声をかけた。ハルトは何も言わず、教室の方に向かっていく。

「何だよ、あいつ」

「ほら、ダイチ、練習するぞ」

 ふてくされているダイチに、ユウマがパスを送った。ハルトは、こんな自分達のことをバカにするかもしれない。それでも、何かせずにはいられなかった。

 放課後、ハルトは部活を休んでいた。ダイチは、自分のせいかもしれないと口には出さないが、気にしているようで、少し落ち込んでいるようだった。坂田は、「関係ない」と言ったが、心のどこかでケイシも自分を責めていた。ハルトとは、必要以上にあまり口を聞いていない。

 部活が始まると、捻挫で遅れをとった分、ケイシは1年生と一緒に筋トレからスタートしていた。グラウンドでは、ダイチが坂田にしごかれている。

「遅い!」

 ユウマがパスを受け取ったと同時に、サイドから走り抜ける。そのタイミングがどうも合わず、何度も坂田の大声が響いていた。息を切らしたダイチは、一呼吸おくと大きく返事をして、坂田の練習に立ち向かっていた。

「来週、紅白戦をやる」

 部活終わりに、坂田が言った。新人戦までは、1か月を切っている。この紅白戦で、レギュラーが決まる。誰もがそう理解していた。

「今日は以上だ」

「ありがとうございました」

 坂田に頭を下げた後、ダイチは、ユウマを引き止めた。アドバイスをもらうダイチの真剣な瞳は、今までに見たことがなかった。

 ダイチたちと別れた後、ケイシはその足でプールへと向かっていた。鞄には、水着も用意していた。

 今日から500メートルを毎日泳ぎ切る。それを目標にすることにしていた。小さな目標でも、毎日コツコツとやれば夢が叶う。昨日の眠れない夜に読んだ、金メダリストの体操選手の本にそう書いてあった。ケイシは、それを実行しようとしていた。

 誰にも言わないでおこうと思っていたが、杉山の顔を見た途端、今日から500メートルは泳ぐと、宣言することにした。そうしないと決心が揺らぎそうだったからだ。杉山は、ほほぅ、と何とも言えない笑みを浮かべている。

 いつまで続くのか、そう言われているかのようで、苛立ちに似た感情が込み上げてきた。信用されていない。いや、自分が一番、自分を信用していないのかもしれない。この苛立ちは自分自身に向けられているものだと思うと、今はそれを認める余裕はなかった。

 プールサイドに出ると、数人の学生らしき集団と出くわした。奥から教師だろうか、30代くらいのジャージ姿の女性が、早くシャワーを浴びて帰るようにせかしている。管理室から杉山が出てくると、何やら話し込んでいた。

プールには、一人で泳ぎ続ける女性が見えた。水面から顔が見えると、それがユイだと気づいた。ユイは、ゆっくりと手すりを使ってプールサイドに上がっていく。

「補講だとよ」

 杉山が、声をかける。ユイに見とれてしまったケイシを、からかうような眼差しだ。ケイシは思わず、視線を外す。

「補講?」

「あぁ。体育の授業を休んだ分、まとめて泳がせるんだと。なかなか厳しいんだなぁ。学校のプールが補修工事で使えねぇんだってさ」

 ユイは女性教師の前に立ち止まり、何やらサインをすると、頭を下げて更衣室へと出ていった。

「1週間くらいはここのプール使うらしいぞ。にぎやかになる」

 杉山が、ケイシの背中をポンッと叩いた。ユイに会える日が増えて良かったな、と言われているようだった。

 学生達がいなくなると、いつものプールになった。プールの水は、まだ少しだけ揺れている。ケイシは、ゆっくりと水面に顔を沈めた。水の音が耳元を覆っていく。心地よい音が、不定期なリズムを刻む。目を瞑り、口の中の息を小出しにするように吐き出していくと、また、新しいリズムになった。

顔をあげ、大きく息を吸い込む。勢いよく足蹴りをして前に進むと、水しぶきがたった。俺だって出来る。負けそうな気持ちに蓋をするように、ケイシはただがむしゃらに500メートルを泳ぎ切った。

 更衣室のドアを開けると、管理室の前には長い髪が濡れ、タオルを肩に巻いたままのユイの姿が見えた。ケイシは驚き、一旦ドアを半分閉めた。

「杉山さん、ありがとう」

「あぁ、気を付けて帰るんだぞ。見つかったらすぐに連絡するから」

 ユイは頷き、扉を開けて出ていく。その足元は、ぶかぶかの履き古されたサンダルだった。

「気づいたか?」

 杉山が、目配せをした。

「ユイちゃん、いじめられてるかもしれないなぁ」

 いじめ?凛とした印象をもっていたユイに限って、それはないだろうと否定しようとしたが、昼間に泳ぎに来ていたのはそういうことだったのかと、納得する自分もいた。

「嫌な世の中だよ、まったく」

 杉山はそう言うと、プールの照明を落とした。

 自転車を動かそうとしたとき、側溝に無造作に捨てられている茶色いローファーを見つけた。きっと、ユイの靴だろう。

ケイシは、確信した。ユイは一人で戦っている。大人びて見えたのは、どこか人を信じていない、警戒している目のせいかもしれない。

 ケイシは、手を伸ばし、ローファーを拾い上げた。杉山は、また鍵をかけるのに手間取っている。大きな声で呼ぶと、杉山は振り返った。持ち上げたローファーは、泥だらけだ。

 第13話 ブルー



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