クロスボール#２
前回のあらすじ…
弱小チームを県大会４に導いたハルトは、学校でも商店街でも、特別扱いされていく。ベンチにも入れなかったケイシは、そんなハルトと自分を比べてしまい…
《目次》
第１話 ヒーロー
第２話 無謀な戦い
「おい、ハルト、起きろ」
ハルトは眠たい目をこすって、わずかに開けた小さな瞳でケイシを見つめている。
「次、体育だぞ」
「ん……」
ハルトは、静かに背伸びをすると、また机に頭を沈めた。少し茶色がかった髪の毛が、風で静かに揺れている。この姿のどこがヒーローなのだろう。グラウンドで見せるような存在感は全くない。ただ、部活の時間までひっそりと息を潜めている。体は大きいのに、小さく丸まったその姿は、まるで冬眠中の動物のようだ。サッカー以外には何に対しても無頓着で、やる気をみせない。それがハルトだった。
「何で授業までサッカーなんだよ」
そう言ってダイチは、ボールを蹴飛ばした。
「部活だけで十分だ」
ダイチは、めんどくさがりで大の練習嫌いだ。髪を坊主にしているのも、毎朝のセットとシャンプーの手間を省くためだ、と自慢げに話をする。短距離を走るとスピードもあり、足だけでいえばハルトと並ぶだろう。運動神経もそれなりに優れているのだが、残念なことにダイチにはスタミナが全くなかった。スタミナというより、正しくは根性がないといった方がいいだろう。頑張ればきっと良い選手になるだろうに、試合中はケイシと共に観客席が定位置になっていた。
「そういえば、この間の試合みたか？あのプレーはすごいよ」
ダイチは、よくマイナーな選手の話をする。あのプレーがかっこいいだとか、誰が移籍するだとか、とにかくやけにサッカーに詳しいヤツだった。
「あぁ、ダルイ。早く終わらねぇかな」
サボることしか考えていないダイチは、一体、何のためにサッカーを始めたのかよく分からないヤツでもある。サッカーを続けているのが、良く分からないのは、ケイシも同じかもしれない。運動能力は、小さい頃からそれなりに高く、運動会やマラソン大会でも、それなりに目立っていた。リレーでは、決まってアンカーに選ばれ、ハルトを抜いてゴールテープを切ったことだってある。悔しそうに俯くハルトを背に、清々しい気持ちで空を見上げたりもした。体育の授業が楽しみで、一番に駆け出していたあの頃を思い出すと、運動が唯一の目立てる場所のような気がしていた。
しかし、中学に入るとそういうヤツは沢山いて、ケイシは、あっという間にその他大勢の中に埋もれていった。サッカー部の中でも、これと言って他の部員に比べて目立った技術やスピードもない。焦って練習しようにも、どうにもうまくいかない。ケイシは、それなりのサッカー部員でしかなかった。
「悪い、悪い」
グランドの奥で、声がした。ハルトは、長い右手を上げ、相手の生徒に返事をしている。サッカー部ではない生徒と組んだパス練習は、ボールがあっちへこっちへと飛んでいく。その度に、ハルトは謝る声に手をあげ、何度もそのパスを、ゆっくりと力のない動きで追いかけていた。
きっとまだハルトの体は起きていない。大きく広い背中に、不釣り合いな小さな頭が、グランドを何度も往復する。ハルトは、部活の時間まできっとスリープモードなのだろう。
そんなやる気のない姿にも、テニスコートから女子達の熱い視線が集まっていた。ハルトの風貌は、ただ立っているだけでも目立つ存在で、切れ長の目に幼さが見え隠れする表情に女子達は夢中になっていた。
それでも、ハルトは変らない。たまに欠伸をするほど、周りの声援に全く興味を示してはいなかった。ハルトは、こういうヤツだ。
「何だよ、アイツ、かっこつけやがって」
しゃがんでサボっていたダイチが、不機嫌そうに立ち上がる。今度は強めにボールを蹴り飛ばしてきた。面白くないと感じるのはケイシも同じだ。
「じゃ、試合入るぞ！」
体育教師の声に、皆、それぞれグラウンドに散らばっていく。
ケイシは、ダイチと同じ組で赤色のゼッケンを身に着けた。ゼッケンは、予想通り汗臭い。何も着けていないハルトは、気怠そうに欠伸をしてはリフティングをして周りを沸かせている。その姿も、ケイシにとっては、ただ腹ただしかった。
「ハルト！勝負だ」
突然、ダイチが叫ぶ。
「おい、何言ってんだよ」
ケイシは、ダイチに駆け寄った。
「ハルトばっかりいい思いしやがって、痛い目見せてやる」
ダイチは、眉間にしわを寄せてふくれた顔をして見せた。ダイチは、本気だ。
「マジかよ」
ケイシは、呆れていた。授業だから楽しくやろうぜ、と言いたかったが、ダイチの目が本気で、そんなことは言えなくなっていた。
ハルトは、ダイチの言葉が聞こえていないのか、ボールを体育教師に預けると自陣のディフェンダーの位置まで下がっていく。闘志むき出しのダイチと違って、ハルトは、ただ眠たそうにグラウンドに立っていた。
「何だよ、あいつ。フォワードしないつもりかよ」
戦闘モードは、ダイチだけだ。全く相手にしようとしないハルトの姿は、そういうヤツだと分かっていても、癇にさわった。ケイシは、ダイチに連れられてセンターサークルに立った。
「おい、大丈夫かよ」
ケイシが、ダイチに耳打ちをする。
「任せとけって」
ダイチは、闘志をむき出しにしてケイシの肩を叩いた。
「なめやがって。今日は俺が、あいつからゴールを奪う！いくぞ！」
その声と同時に、試合開始の笛が鳴る。女子生徒達も手を止め、フェンス越しから声援を送ってきた。ダイチからケイシに、パスが出る。ケイシは深く息を吸った。もちろんケイシも本気だ。こうなると、他の生徒なんて知ったことではない。ゴールに向かってダイチと二人、真っすぐに突き進む。
ケイシは、ギアを上げ走り出した。ダイチは、ケイシの動きを見て、斜め平行に走っていく。ケイシの目に、ハルトが2回軽くジャンプをしている姿が見えた。相手の生徒たちを次々に交わし、前方に抜け出したダイチが、手をあげる。それに向かってケイシは、ボールを出した。
「いけ！」
いつのまにか、大きな声で叫んでいた。
「オーケイ！」
ダイチの目の前には、ハルトがいる。ジャージも脱がず、眠い目をこすっている。余裕を見せるハルトに、ダイチは苛立ちを隠せないようだ。
「ハルト、勝負だぁ！」
日ごろの鬱憤を晴らすかのように、ダイチが叫ぶ。挑もうとするダイチが、やはり無謀に思えても、もう止められない。突破しろ、と心の中で強く願っていた。
ほんの一瞬の隙をついて、ダイチがフェイントをかけようとしたその時だ。ハルトの長い脚が、ボールを軽やかに奪っていった。
「やっぱり無理か……」
こうなることはわかっていた。やはりハルトに挑もうなんて無謀だ。ケイシは、周りの沸き上がるような熱い視線を感じて、そう後悔していた。だが、ダイチはまだ諦めてはいない。
「この野郎！」
ハルトのボールを奪い返そうと、ダイチが足を出す。ハルトは少し、楽しんでいるように見えた。子犬とじゃれあうかのように、右に左にボールを操っている。ダイチの体は、ハルトにつられてリズミカルに揺れていた。
「ハルトォ！」
遊ばれたまま、ダイチの怒りが頂点に昇った。と、同時に、ハルトのスイッチがオンになった。ダイチが前へ体を寄せた瞬間、スッと股の下からボールを転がせていった。
「上手い……」
思わずケイシは、呟いていた。
「待て！」
悔しがって追いかけるダイチなんてお構いなしに、ハルトは次々と敵陣を交わして、ゴール目掛けて駆け上がっていく。今までハルトは、一体、何だったのだろうか。無邪気な表情のハルトが、そこにいた。
女子達は、テニスそっちのけで、皆、夢中になってハルトの姿を追いかけている。ハルトのギアは、マックスだ。
「くそ！」
ケイシも、慌てて追いかけていく。追いかけても、追いかけても、ハルトはどんどん前に進んでいく。ハルトの背中は、いつもよりとても大きくみえた。
「ゴール！」
グラウンドに、ホイッスルが響く。
完敗だった。勝負はあっけなくつき、冬眠から覚めた動物が怪物になった瞬間を見せつけられたような気がした。
ハルトの周りには、チームメイトが駆け寄っていく。右手を上げて、口角をゆっくりとあげ、ハルトは珍しく笑顔をみせている。こういうところで、本能的に魅せるプレーをしてしまうのもハルトなのだ。
「すごい！すごい！」
女子の声が、うるさいくらい聞こえてくる。チームメイトとハイタッチをするハルトと対照的に、ダイチは、膝から崩れ落ちてその場でうずくまっていた。
「くそ！」
やっぱり、ハルトは違う。人を魅了する何かを備えた特別なヤツだ。息を整えながら、ケイシはハルトの姿を、ただ見つめることしかできなかった。
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