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理柚→ 夜野群青  08/12

夜野群青さんとの往復書簡、8話目です。
先日、群青さんからいただいた手紙がこちら。

一生の大半を土中で過ごしやっと成虫になり外へ出たと思ったら寿命を迎える前に、人間でいうところの熱中症のような状態で亡くなるだなんて、なんたる夏がきたのだろう。
蝉が灼熱のアスファルトの上で乾涸びている姿に眉をひそめるわたしが、なぜ蝉の話をしたのかと云うと、そういえば蝉がでてくる話を少し昔に書いたなあ、と思い出したからです。
(どうしても蝉と甲虫は苦手です)

小茄子の話、じつに謙虚であなたらしいなと思って読みました。
あるがままの美しさを自らの手で壊したくない、そんな気骨をも感じられました。まるで片想いのようにも。少しバランスを崩すとわたしたちは誰だって危うい生き物なのかもしれません。またそうであるからこそ、大切にするものや愛おしい時間が在るのだろうと、そうも思います。

わたしは夏になると思い出す記憶があるのです。
美しいかどうかはさておき、そのひとつ。
わたしの祖父母の家は、曽根崎の高層ビル群の谷間にある木造二階建ての一軒家でした。わたしが年端もいかない頃までは周りには何もなかったのですが、一人で電車に乗って祖父母の家に遊びに行く頃には、梅田ロフトを皮切りに土地開発が進み高さを競うようにしてビルが立ち並び、見上げる空は年々小さく切り取られるようになりました。
若者達が流行りの衣装に身を包み、楽しそうにおしゃべりしながら歩いている道を一筋隔てた都会から抜け落ちた場所に祖父母の家はあったのです。
季節や時間問わず家の中はビルの影で、じめじめとした纒わりつく湿気と暗さが常にありました。

そこにパチンと裸電球が灯るのです。

わたしが遊びに行くと、いつも橙色の電球の下で、祖父は肘から先がない手と脇を使いサイダーの瓶を器用にはさみ、栓抜きで泡を立たないよう注いでくれました。
酒屋さんからダースで注文した際に粗品としてついてくる広告の印刷されたグラスに、気泡が生まれては消え生まれては消え、炭酸が抜け、気泡が小さく静まるまで眺めているのがわたしは好きでした。

そんなひっそりと暮らす祖父母の家の勝手口を出ると猫の通り道かと思うほどの細さの路地があり、隣の家と繋がっていました。といっても、隣の家の陽の当たる表側とは別に、お婆さんがひとり住んでいました。納屋を間貸しているのだと思われました。
風通しのために開かれたままの引戸から覗くと、窓の全く無い四畳半ほどの空間がありました。まるでそれは穴ぐらの寝床でした。
暗さに目が慣れ、その穴ぐらの中に蠢く気配がし、夏だというのに冷気が漂っているように感じられ、わたしは鳥肌の立った自分の腕をさすりました。

いっそう暗闇を濃く煮つめたくらやみにまんじりともせず、その人物は静かに佇んでおりました。

くらやみのあぶく、だ。

「おばちゃん、なんでここ真っ暗なん?」
「そうか、暗いか」
「電球ないのん?」
「めくらやから光は要らんのよ、お嬢ちゃん」

————くらやみに、あぶく。

わたしにも視えない世界が在ることを知ったのもこの時です。
また、決して持ち得ることのできないものが人の輪郭を造っているのだ、と感じた瞬間でもありました。
山登りの格好で手を振って旅立ったあの二人のこと、暑い夏の日に出会った人たちのこと、名もなき人の影が、眩しい夏ほど色濃く影を落とすから、ずっとわたしは忘れられずに今もいるのです。

夜野群青

以下、私、理柚からの返信です。

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ひんやりとした朝です。葉の先に朝露が一滴。ほんの一瞬の儚い飾り。小さな虫が跳ねて、葉が揺れ水滴は落ち、地面がそれを飲み干していきます。

実は、蝉の抜け殻を見るたびに、私もあなたの、あの作品のことを思い出していました。とても好きな掌編です。蝉が美しく描かれているので、苦手だとは思いもよらず。眉をひそめるほどの嫌悪も、心が動いている証なのでしょうか。

そうそう、私、あまり謙虚ではないのですよ。ただただ臆病なだけなのです。だから片想いが大好き。でも、あの時ひとつ摘んでばらばらにしておけば、何か違ったものが見えたのかもしれませんね。

そして、あなたの「夏の記憶」。漂う湿度とひんやりした薄暗い空間。ぞくりとする筆致でした。実際にその光景をどこかで見たことが、感じたことがある、と錯覚するような。くらやみにあぶく。私にも夏の記憶が蘇ってきます。暗闇に火が焚かれ、「死者」を表現しているという黒い頭巾で顔を隠して踊る、盆の踊りをいつかの夏に見たこと。その時、自分の輪郭がぼやけていくような感覚を抱いたこと。
「危うい生き物」である私が、あちらとこちらの境界線で「視えない世界」を見た瞬間だったのでしょうか。

長かった夏が終わりに近づいています。また秋が来ます。秋は確かな「生」の季節です。穏やかでやさしく、力強いこの季節が私はとても愛おしい。思い切り息を吸い込んで、五感を澄ませて、大切なものをかき集めるつもりです。
あなたの「秋」の話も、また聞かせてください。

理柚

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