愛されロボット 【短編小説】

20XX年
ロボット、ここでは人型生活補助用ロボット(ネオセリウス) 登録ネーム'ドール'の話だ

ドールの朝は早い
ロボットに朝が早いなどという感覚などないだろうが
朝5時ごろから動きはじめ掃除、その日の食事の仕込み、朝食の準備、服の準備などをする
丁寧に作られたその食事は大変美味しいものなのだがそんなことを感じることはもうすでにない
この家の住人たちは大変な大家族で家族合わせて7人いる
朝食は別々にとり一人ずつでメニューも違う
一家団欒などということはこの家族にはない
でもそれはこの家族以外どの家庭もだいたいそうで顔を合わせるのすら稀なんてめずらしい話ではない
ひと昔前だったら育児放棄を疑われそうだが
そんなことを言われることはない
ネオセリウスを含めるロボットなどの進出により育児や家事はすべてロボットがする時代になった
だから家族とは言っても各々が別々にしたいことをしているし、コミニティ関してもインターネットを通じて話すことに事欠かない
いわゆる好きなことだけをして生きて行く時代になってると言えるし、むしろ好きなことを追求していかなければならないとも言える
これはまた別の話だが、

そういっても人がしなければいけない仕事はあるロボットのメンテである
僕の親父はこの仕事をしている
この仕事をしている人は馬鹿にされることも多い
今人が働くのは自分が好きなことを広めたり、それでイベントを開いたりすることでお金を稼ぐことが多いからだ
だからロボットのメンテの仕事をわざわざ選ぶ人は好きなことがないやつという括りで見られる
この時代に好きなことがないというのは社会的に見てもいいことがない
そして僕も同じく好きなことがない
というのも
身体に障がいをもって産まれた
だから産まれてから何かに行動的になったことがない
自分以外で世界が回っていってるような感覚を幼い頃から持ちはじめていた
とはいえ障がいをもって産まれたが昔と比べるとまだましな方だ
体不自由な人むけの補助用機械があるからだ
VR技術の応用で生まれたその機械は脳の命令を受け取り機械が体を動かしてくれる
だから障がいを持って産まれたからといって昔ほどは不自由しない1人で外出するのも問題ない
でも動けるとはいっても動こうとする気はおきない機械を使わなければ動けないので何かするのにもいつもストッパーがあるのだ
もって産まれたその不自由さは僕の物事に対する意欲を削いだのだ
不謹慎なことだけどこんな機械がなかったら何かに取り組むことがあったのかもしれないとも思う
まあ多分そんなことはないだろうけれど

ドールが僕の朝食を持ってくる
僕が朝食の最後だから他の家族は仕事に行ったか、自分の世界に飛び込んだらしい
そんなくだらないことを考えてるとドールが僕にご飯を食べさせようとしてくる
僕はそれが子供みたいだから嫌でドールから箸を取って自分で食べようとする
子供みたいだから嫌といってもドールしかみてないのだから何に見栄をはるというのか、
僕の朝食は和食だ
鮭の塩焼き、味噌汁、白ご飯、漬け物とあと何個かの野菜だ
いつも思うけれど入院食みたいだ
まあ食にこだわりがあるわけではない
もっというならドールが食事を持ってこないなら食べる気がおきない
食欲がないのだ、栄養とエネルギーを得るために義務的に食べているそんな気がする
そんなことを思うから自分が機械じみて生きているように感じる、それをいうなら自分だけじゃなくてこの家族も社会の人たちも機械的になっているような気がするのだ
ロボットの登場により人間の対応するのがロボットに任されはじめて数十年の時が経つ今現実世界での人の繋がりは希薄になっている
現代の人類はインターネットの世界の住人である
現実での生活を煩わしく思っている
僕はインターネットの世界に入るのも煩わしくて現実の世界で物思いにふけている
そんな僕にドールは話しかけてくる
会話のプログラムはある時代に急速に発展したので普通の人と同じような返しができる、むしろ現代の人より会話するのは上手いんじゃないだろうか?そんな錯覚すら覚える
僕はここ何年現実の世界で話してるのを見ていない
とはいっても僕はドールと仲良く会話するわけじゃない
ドールの方から話題をふってくれるし喋りやすいようにしてくれているのだがロボットと仲良く話をするのがプログラム通りの回答を自分がしているような気がして嫌だからだ、そんなことが誰が気にするのか?昔の人の会話もこんなことだったんじゃないか
仲良くするって何だ、好きになるって何だと思う
仲良くするのも、好きも自分を騙してみせるだけじゃないのか?
好きとは何か、愛とは何かは、ある時代にニュース上でえらく騒がれた話題だ
人がインターネットの世界になっていく過程で電子ドラッグが流行った
そのはしりは好きな子に好きになってほしいと思った男が電子ツールにより脳みそに操作を加えるプログラムを作ったからだ
この事件は最初のほうは露見しなかった
普通に恋愛として関係を作っていったと思われていた、それぐらい自然だった
事件が発覚したのはその男からの自白によるものだった罪悪感常に持ちながら彼女と付き合っているのが辛くなってということだそれは事件発生から5年後のことだった
その一件から人を好きになることは電子ツールの操作で簡単に構築出来るものという認識になった、
その後その電子ツール、ドラッグの対応は進歩し今はそういった事件は起こらなくなったが、その認識が覆ることがなかった。今ではネット内で合意をすればネット内でセックスは軽くする時代だ、現実より女性側のリスクが減ったからだろう
その際に電子ツールを使うのはわりかし普通のことになっていったし相手のことを好きだからとかいうのはわりと考えられてない、ちょっと激しめの挨拶程度の認識だ
そういった認識の世界で恋愛だどうのこうのを深く話すやつはいない、こんなこと考える自分は稀有な人間だろうとは思う
ネットの世界にあまりいない自分だからこんなことを思うのかもしれない
自由に身体を動かせないイスに座る自分と温かい家族のリビングを演出しているんだろうと上っ面だけのリビングの家具たち、生活感のない静寂がこの世界を満たしている
ドールの物音だけがその静寂を壊してくれる
それが心地いいのだ
昔の話を知るのが好きだ
まだ人間がインターネットの世界ではなく
この大地に縛られていたときのころの話を知るのが好きなのだ
今は人間がだんだん機械的になってるように感じる、それに対してドールをはじめとする人型ロボットが人間的になってるような
そんな気がする
人間的とかいうのも昔の人たちに影響を受けているからそんなことを思ってしまうのだろうけれど

家族一緒にご飯を食べるゆうな、仲良くなりたいと思って頑張って声をかけてみるようなそんな関係に憧れを抱いているんだと思う

ドールが視線に気づいたかのよう振り向いて笑顔を作った
表情だけはまだ発展しきってないためのそのぎこちない笑顔が僕には救いだった




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