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産んでみたら、こんなに大変とは…

こんにちは。梅雨ですねー。
体調を崩しやすくなるので気をつけていきたいところです。

12年前の今頃、私はそろそろ臨月が見えてきた頃。
失敗だらけの妊婦生活を思い出します。

大っきいお腹プラス蒸し暑い…汗ダラダラでのっしのっしと歩く感じ。
さらに、引っ越しという大仕事もあり、ただでさえ不安があるのに
本当に心身ともに余裕がないなか、過ごしてしまったなと。

引っ越しについては、妊娠が分かる前から進めていたことなので、
仕方なかったのですが、出産前後は身体第一で計画的に動くことを
お勧めします。

そんなことを思い出しながら、
私の産後についてちょっと書いていこうと思います。

■産後のことをほぼ何も知らずに出産してしまった!

今思えば、私の妊娠生活は本当にひどいものでした。
それまで、自由な生活を謳歌していたので『妊娠生活=最後の自由期間』という感覚でした。
「今しかない!」とやりたいことを身体が許す限り片っ端からやっていました。お医者さんからは検診の度に張り止め薬を処方されながら、高齢出産にもかかわらず…。

そんな感じなので、産後について知識を得る行動はほとんど取らなかった
気がします。もちろん、最低限のことはやりました。
  ー毎回の検診は必ず受ける。
  ーちょっとだけ気になることがあったら検索して調べる。
  ーちょっと疲れたなと思ったら寝て休む。
  ー赤ちゃんの衣服、寝具、ベビーバス、哺乳瓶…あたりは事前購入。

おそらくこの程度の、本当に最低限だったかなと思います。
多くの方がやっているように、妊娠雑誌を毎月読んだり、検索したりということはほとんどしませんでした。今みたいにいろんな種類の子育てアプリもなかったし。

ひとつよかったとすれば、「検索不安」に陥らなかったことでしょうか。
巷にはあふれんばかりの情報があるため、ほしい情報をすぐに受け取ることができ、とても便利。
その反面、検索しすぎて検索不安になったり、情報の取捨選択ができずに
混乱、困惑してしまい余計に悩みが深くなってしまうこともあります。
現在は、ますます情報過多の世の中。適度に情報を得ていきたいですね。

当時の私は、人並みの不安はあるものの、「世の中の人、世界中の人が出産してるんだからどうにかなるでしょ!大丈夫でしょ!」と高をくくっていました。

そう。多くの人はどうにかなっています。
でも、今思うと、出産はやっぱり最後まで何が起こるかわからない。
身体にとっても、心にとっても、夫婦にとっても、自分自身にとっても、
もちろん、一番は赤ちゃんにとって妊娠期間は大事な時であり、
妊娠&出産は人生最大のプロジェクト!!
と、今なら声を大にして言えます。

だから、ほんとにダメ!!
ポイントを押さえて知っておくべきことは知っておいて!と思います。

■夜泣きって、3時間おきってこんなにツライの!?

実母や友人たちからは「産後は大変!」とは聞いていました。
「毎日3時間おきに起きるんだよ!」「寝られないんだよ!」
わかってはいても、聞くのと体験するのとでは大違い。実際には覚悟が
できていなかったと思います。だけど、仕方ない。
だって、知らないし、いくら情報を得たところで体験してみないとわからないものはわからない。

退院翌日からその生活は始まりました。
病院にいる間はお医者さんや看護師さんが24時間いてくださいます。
問題は退院翌日から。
私の場合、母からの提案で1ヶ月間は自分の実家で過ごすことになりました。実家だから大丈夫、安心と思いながら…。

夫は自宅にいて、早く帰れる時だけ実家に寄るという生活になりました。
今思うと、この状況もよくない。妻とパートナーとの間に、気持ちも毎日の育児ルーティンにも差が開いてしまう。
だから、いざ同居を始めると、”妻が担当している育児”をパートナーが
「お手伝いします」というかたち
になってしまうんです。
育休を取ってもらえば、有休だけでも取ってもらえばよかったなと後悔しました。退院翌日から一緒にやった方が絶対いい!

昼間は家族が起きているため、赤ちゃんが泣いていたり、私が困ったりした時には誰かに言えばよかった。しかし問題は夜。夜中は家族は寝ているし、
私の実家は二世帯住宅だったため、すぐ隣の部屋に誰かがいるわけではありませんでした。
夜泣きがあっても泣き声が意外と階下まで届かない。それに、私自身もみんなを起こしちゃいけないと思っていたから、どうにか自分一人で対処しなきゃと思ってしまった。だけど、今思えばこれも間違いでした。

うちの子の場合、教科書通りに3時間おきに起きていました。私は毎日慣れない育児に疲れ始めていました。
ようやく自分が深い眠りについた頃に起こされる。これを一晩で何回か繰り返します。

当時はラジオを聴いて夜中過ごしていました。まだ radikoがなかったので、電波の状況しだいで、必ずしも聴きたい局が聞けるわけではなかったですが、それでも夜中に誰かがしゃべっていてくれる。起きているのは私だけ
じゃないんだと思うだけでも嬉しくて、大して聴きたくないような番組でもなんとなく聴いていました。

本当に毎晩孤独だったな。当時はまだ今ほど SNS が活発ではなかった
から、 Facebook やTwitterのアカウントは持っていたけれど、そこに文章を打ち込む気力も余裕もありませんでした。

■今でも覚えているあの日

そんな孤独な夜中を過ごす日々が一週間ぐらい続いたある日、おっぱいを
あげても抱っこしても何をしても寝てくれず、ずっと泣かれていました。
その時間が地獄のように感じて、キレそうになっている自分がいました。
そして、思わず何の罪もない赤ちゃんの肩をつかんで「どうして寝てくれないの?お願いだから寝させてよ!!」と声を出して揺さぶっていました。

この時の私は、これが揺さぶられっ子症候群に近いものだということすら
想い浮かばなかったと思います。疲労と睡眠不足とストレスで、ただただ感情をぶつけてしまった…。その時の赤ちゃんの頭がぐわんぐわん動いていたことは覚えています。時間としてはほんの数秒だったと思うけれど、大事に至らなくて本当によかった。数秒で我に返ったものの、今度は何の罪もない赤ちゃんに対してなんてことをしてしまったんだろうと自分を責めて、今度は自分が泣いていました。

その後どれぐらいの時間が経ったか覚えていないけれど、赤ちゃんを抱っこしてあやしながらなんとか寝かしつけ、私もうとうとしていたらあっという間に朝を迎えていました。

■予想外のできごと

朝になってようやく昨晩の大変な体験を共有できると思って、経験者である母なら分かってくれるだろうと話したところ、全く親身になってくれず、
むしろ私が母親になって苦労してるのをちょっと楽しんでいるようにさえ
見えました 。自分の子育ても大変だったから、「やっと私の気持ちがわかったでしょ!」という思いだったのかもしれませんが…。こんな態度を取られることは私はまったく想像していませんでした。

でもその時の私は、「大変だったね。大丈夫?そんな時は起こしてくれてもいいよ」と言ってほしかった。寄り添ってほしかった。

それからも睡眠不足は続き、実家暮らしが始まってから2週間経ったあたりのこと。母の態度がどんどんおかしくなっていきました。
私は何もしていない。私はただ赤ちゃんの子育てを毎日してただけ。
なのに私と顔を合わせると、明らかにケンカを売ってくるような発言をしてきます。
どんなこと言われたかな?もうあんまり思い出せないけど、「家の事何もしないで昼間寝てばっかり!」そんなことも言われました。
私は夜中寝てないんだから当たり前じゃないと思って呆気にとられていました。なんで経験者である母にわかってもらえないんだろうとだんだん混乱していきました。

■産後2週間から1ヶ月は要注意

ただでさえ産後2週間から1ヶ月というのはとても不安定な時期。ちょっと間違えたら産後うつに陥ってしまう時期。なのに母は、私が弱っていくのも
お構いなしに追い詰めていきました。

そんな気が狂いそうな日々が一週間ほど続き、ついに母がキレ、私は罵声を浴びせられました。私は何もしていない。私はただ毎日赤ちゃんを死なせないように必死に頑張っていただけ。
これ以上実家にいたら私はおかしくなる。そう思ってその日のうちに荷物をまとめ、タクシーを呼んで自宅へ戻りました。

自宅に戻ると当然自分と赤ちゃんだけ。孤独なはずなんだけどとても心が
落ち着きました。自分の家に帰ってきてホッとしていました。

母は何で激昂したのだろうと考えました。
何度考えても私がそんなに怒らせるようなことはしたとは思えない。
真意はわからないけど…推測するとしたら、嫉妬なのかな??
何に嫉妬したのかはよくわからないけれど、近い言葉がそれしか浮かびませんでした。

ただでさえ慣れない育児を疲弊しながら頑張っている。もし一瞬でも間違っていたら、あの時もっともっと揺さぶってしまっていたかもしれない。
家族の何気ない一言が引き金となって虐待や自殺をしてしまうこともあるかもしれない。後から冷静に考えると、身の毛もよだつ1ヶ月間だったと思います。

■妊娠&出産は家族みんなで

私はあまり情報収集をせずに産後の生活に入ってしまったので、自分が
どんな状態だったのか、当時はよくわかりませんでした。
後から思うと、おそらく『産後うつ』に近い状態だったと思います。
さらに疲労と睡眠不足と母からの言葉で悪化していったんだと。
あの時、瞬時に判断して自宅に戻ったことは本当に正解でした。
実家から「逃げた、助かった」そんな感覚だったことを覚えています。

産後のことを具体的にイメージしてほしい
自分自身が安心だと思える場所で過ごしてほしい
それをパートナーや家族と話しておいてほしい

多くの人は実家はきっと居心地のいいところ。
実家が最善という人もいれば、私のように最善かと思ったら違ってたり、
こんなご時世で実家へは帰れない。そもそも実家がない。
いろいろだと思います。

妊娠中から、産後を安心して過ごせる場所をパートナーや家族と一緒に考えてほしい。家族みんなで、生まれてくる赤ちゃんのために何が最適なのかを考えてほしい。
もし頼れる家族が近くにいないなら、友達でもご近所さんでも自治体でもSNSでもいいから誰かとつながっておいてほしい。

生まれる前からもう人生最大のプロジェクトは始動しています。
ひとつの命を育むという一大プロジェクトを家族一丸となって乗り越えて
いってほしいなと心から思います。

ここまで読んでいただいて、「今思えば」「後から思うと」などのフレーズが多いことに気付きましたか?
そう!私の出産は失敗だらけだったことがわかりますよね。

■ポイントまとめ

・妊娠期間から産後の生活を具体的にイメージしよう。
・退院翌日からパートナーも一緒に同時に育児スタートしよう。
昼間の家事分担、夜中の体制をパートナーと話しておこう。
・パートナーはぜひ育休取得を!せめて有休を!
        〈育児・介護休業法について〉
        https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000130583.html
               ↑  わかりやすいリーフレットもあり。
・どんな産後生活を送るのが母子にとって一番いいかを家族みんなで
    話しておこう。
・妊娠&出産は、人生最大のプロジェクトという認識で!

これから出産を迎える方には、
私のような失敗はしてほしくないと思っています。
今ある不安をできるだけ軽減し、落ち着いた穏やかな環境で産んでほしい。
応援しています!

長くなりましたが、
ここまで読んでくださってありがとうございました!

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