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[エッセイ1200字]私を形作るもの

 もうかれこれ25年前にもなる。今は亡きおじいちゃんは、私のヒーローだった。おじいちゃんは、いつだって私が一番欲しいものを持ってきてくれ、やりたいことをやらせてくれた。どうして私の欲しいものがピンポイントでわかるのかと、いつも不思議だった。

 春には、一番たくさんカエルの卵が採れる穴場の池を教えてくれ、卵からオタマジャクシが孵り、池に放流するところまで、一緒にお世話をしてくれた。

 夏には、砂糖水で湿らせた布を罠としてひたすら仕掛け、クワガタ探しに一日中付き合ってくれた。

 秋には落ち葉焚きをしながら、アルミホイルにくるんだサツマイモを焼いて、焼き芋にしてくれた。栗の木を揺らして、いがぐりをたくさん落としてくれ、長靴で踏んでいがを外し、とびきり大きな栗の実を両手にあふれるほどくれた。

 そして冬には、ノコギリと金づちで、とんてんかんと、黄色いペンキを塗った椅子型の橇を作ってくれ、私を乗せて雪原をいつまでも散歩してくれた。寒さに震えた野良猫を連れて帰っても、最後まで家族にばれないように秘密にしてくれたし、とにかく、おじいちゃんに怒られた記憶は全くない。
 
 不思議なことに、おじいちゃんのことを思い出すとき、何を話していたか、会話をした記憶は残っていないのだ。おじいちゃんは、寡黙な人だった。気持ちが通じ合っていたので、言葉は必要なかったのかもしれない。
 
 そのかわりに、音声ではなく映像として、おじいちゃんとの思い出は私の心に刻まれている。群生し咲き誇る真っ白な水芭蕉。どこまでも続く雪原に見た、キツネとウサギの足跡。都会では決して見られない、地平線に落ちる真紅の太陽。木をつつく美しいアカゲラ。真っ暗な畑で見上げた、宝石をちりばめたようなまばゆい天の川。
 
 おじいちゃんは、心臓を病んで入院した。時間があるときにはひたすら畑仕事をしていた人だったから、病院着姿のベッドの上のおじいちゃんは、全然『らしくなかった』。ちょっと入院するだけだから。すぐに元気になって、また一緒に遊んでくれるから。そう思っていた。

 こうやっておじいちゃんを思い出すと、熱いものが目の中で溶けて、目頭をぬらすのは、きっと、自分で 思っているよりも、おじいちゃんが大好きだったからだろう。
 
 自分の過去について人々と語るとき、私に与えられた原体験がいかに素晴らしいものだったのか、私がいかに幸運だったのかを再認識せざるを得ない。 

 この原体験は、時にジェットコースターのような私の人生を支え続けてくれていたのだ。思い出を振り返ることは、開けるのがもったいないほど大切な宝箱をひらき、宝物をひとつひとつ眺めるように、尊い。

 おじいちゃんは、きっと天国で、大好きな動物や植物に話しかけながら、鍬で畑を耕していることだろう。おじいちゃんのように、静かで、強く、やさしい人に、私もなりたい。

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