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山鹿茂睡「アナモルフ」前編

 軽快な出囃子とともに噺家の歩みが終わる。
「えぇ臆病な私にはたくさん怖いものがありまして、そのうち感染症というものがいちばん怖い。症状が現れた時にはもう手遅れときますからね。虫の世界でも寄生というものがありまして、アナモルフという無性生殖で増えていく菌類がございます。どの菌を顕微鏡で見ても同じ形をしている。秋の山にキノコ狩りに行きますと根っこには寄生された虫が繋がっていた、なんてことが稀にあります。それがアナモルフでございます。虫から栄養を吸って最後には乗っ取ってしまう。自分がもともと何だったのかも忘れて、他の何かになってしまうなんて、えぇ大変気持ちも悪い。生きているのか死んでいるのかもわからないもんです」
 
——アナモルフ。
 
「ゾンビとヴァンパイヤどっちで行く?」
 放課後、三笠の家に立ち寄った飯島はコスプレ衣装を差し出された。近所に住む三笠と飯島は家族でも交流があり、春には桜見、夏には海へ、冬にはスキーを楽しんだ。飯島家の秋は祖父との紅葉狩りに独占され、三笠家との思い出がなかった。去年の末から体調を崩していた祖父が亡くなったため、今年の秋はイベント好きの三笠にとってハロウィンに誘ういい機会だった。
「僕はいいよ、コスプレなんて恥ずかしいし」
 秋のビックニュースと言えば、さんまの漁獲量と渋谷の暴動「ハロウィーンコスプレ徘徊」の二つだ。毎年十月三一日の日没後、先進国の首都が規律を失い、性に乱れ、集団性の快楽に自我を失う日。普段のイイジマであれば足を突っ込むはずはなかった。だが、それよりも三笠の混沌へと進む異常さは!
「恥ずかしくなんてないよ。だって何万人の人が全員コスプレしてくるんだよ? していかないほうが絶対恥ずかしいって。去年のニュース見てないの? 魔女とかピエロとか ほら、このゾンビとか。大勢いたし大丈夫だよ。これ去年の写真! 私じゃないみたいでしょ? あの場所で私がこれしてるなんて誰もわからないよ。年に一度、私が私じゃなくなれる日! キャラクターになりきれるとかじゃなくて、新しい何かになれるあの感覚! 同じコスプレしてる人同士で写真とかと撮ったら最高の思い出になるよ!?」
 三笠のスマホ画面には血濡れたゾンビナースの集団が映し出されていた。既製品に身を包み同じ場所にある傷メイク。その中から三笠を探すには何回か拡大しても不可能に思われた。新しい何かになれる感覚。
「わかった。わかったから」
 三笠は満足げにうすら笑いを浮かべた。

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