年収890万は社会のお荷物?

林修ふたたび

それとなくネットサーフィンしたらこんな発言が私のアンテナに引っかかった。


「年収890万以下は社会のお荷物。」


発言の本元を調べたら、「林先生が驚く初耳学」というTV番組で林修氏の発言らしい。どうやら1年前あたり放送された様子。

そもそも何をもって社会のお荷物か、ざっくりいうと、年収890万以下の人は払ってる税金に比べて、受ける公共サービスの方が多いという意味合いらしい。

以前の記事でも取り上げたことがある氏だが、今回はこのことについて取り上げてみる。まあ、TV番組の演出上、ある程度扇情的に言ってるとは思うので、その辺も考慮した上でこの発言を考察してみよう。

連載している教育問題とは少々離れるが、林修氏は予備校の教師だし、まあ、いいでしょ。「今でしょ」ではなく(笑)。


医者寒からず、儒者寒し

「お荷物」という表現は少々過激だが、発言の真意を簡潔に言うと、低所得者は高所得者に守られている、といった意味合いであろう。
おそらく、低所得者は高所得者に守られているのだから感謝の気持ちを忘れるなよ、といった真意も含まれているのだろう。

ただ、こういったマイルドな意味合いに解釈したとしても、私は首をかしげざるを得ない。

そもそも社会になにかしらの価値を提供できている人が必ずしも所得が高いとは限らないからだ。

学者がいい例だろう。ことわざに、「医者寒からず、儒者寒し」というように、医者も学者もどちらも社会的な価値をもたらす尊い仕事のはずなのだが、医者と違って学者は貧乏になりやすいというのが昔から相場だった。

そういった人達の仕事の価値を保障するのが税金の役割のはずだが、林修氏はその辺をわかっていない。

いや、わかってないのは氏だけでなく、このサイトを見る限り、ネットの民も全くわかっていないようだが。


私は駕籠に乗っているけど

いくら高所得者の税金の恩恵を受けてるからって、低所得者は卑屈になる必要はない。お金を稼ぐのに向いている能力とお金を稼ぐのに向かない能力があるからだ。

社会とは、そういったお互いの欠けてる部分を補って成り立っているもの。「駕籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人」ということわざがあるが、それが社会の本質。

私のnote記事の執筆だって、お金にはならないが、社会的な価値はあるはず。少なくとも私自身はそう自負して執筆している。
私も上記のことわざでは、おそらく駕籠に乗っているポジションだろうが、ただ乗ってるだけでなく、例えばこういった記事の執筆で社会に価値を提供することだってできる。そういった人を格下に見ないでいただきたいと思う。

私自身、学生時代あたりに職業適性検査的なものを何回かやったが、適正は学者、あるいは芸術家といった結果が良く出た。どちらも見事にカネ稼げんタイプだなあ、としみじみ思い返した。


後書き

上述のように、私はカネが稼げない職業適性のタイプである上に、慢性疲労症候群という足枷まである。

お財布事情は相変わらず苦しい状況。サポートは引き続き募集中なので、ホントによろしくお願いします。

動画投稿が最近滞っているが、動画投稿している間は少々滞っていた部屋の片づけを再開した。動画投稿からライブ配信の方にシフトしようかと思い、配信環境を整えながら部屋の整理を進めている。
まあ、動画投稿以前から準備は始めていて、思うとこがあって動画投稿の方からやっては見たのだが、やはりライブ配信の方が、視聴者との距離が近くなるのではと思い、結局こちらにしようと思っている。来年の頭から、できれば年末あたりから開始できればと思っている。

部屋の整理で出た品も順次メルカリヤフオクに出していくのでこちらの方もリンク先からよろしく。

では、また。ちょっと早いが良いお年を。


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