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リスニングじゃなくて聴力検査/エッセイ?

2年前、コロナで休校状態だった頃の話。当時私は高校三年生だった。学校に行っていないせいか、最後の一年だとも、受験生だとも思えないまま、残酷に時は過ぎていった。

6月の文化祭を終えたら受験生になる。そう伝えられていたが、文化祭の中止により、受験勉強を始めるきっかけが掴めずにいた。あっという間に夏休みに入り、勉強もせず、少し前のドラマにどハマり。「コードブルー」だの「奇跡の人」だの「Woman」だのを朝から夜までずっと見ていた。

そんなこんなで夏休みが明けた。「夏休みで受験が決まる」とよく言われるが、それならば私は絶対不合格だ。なぜなら1分も勉強していないからだ。単語帳すら開いていない。さすがの私でもヤバさを感じはじめていた。何かやらないと。

しかし、これまで何もやってこなかったため、はじめ方が分からないのだ。エンジンがかかりはじめたら進むだけだが、エンジンのかけ方がわからない。

そんな時、とある動画の中で
「国語なんて視力検査」
と誰かが言っていた。それにひどく感動した。そうか、テストなんて、問題なんてそんな難しいものじゃないなと。

視力検査と言えば、円のどこが空いているかを答えるやつだ。視力検査って全然頑張る必要がない。それなら私もできるかも。

国語の問題集を開いて、視力検査だと言い聞かせる。しかし、ずっと勉強していなかった私に、あの膨大な文字量は耐えかねた。三行読んだら飽きてしまう。

それなら英語のリスニング...いや聴力検査だ。

聴力検査は音が聞こえたらボタン押すだけで、「頑張って聴こう」という気力は不要だ。だって聞こえないものは聞こえないのだから。それを発見するためのテストなのだから。

それは勉強においても同じだ。テストや練習問題は、自分がそれを解けるレベルにいたら解けるし、解けないものは解けない。逆はあるけどね。普段なら解ける問題を間違えてしまうことはあるから、それにだけ集中する必要はあるけれど。そして今は本番じゃない。直前期でもない。分からなさを発見するくらいの気持ちで勉強しても良いのかなって思いはじめた。

リスニング=頑張るもの
聴力検査=聞こえないところを調べるもの

リスニングを始めるのは労力いるけれど、聴力検査は何も構える必要ない。リスニングを聴力検査と呼びはじめてから、椅子に座る時間が増え、他の教科もできるようになった。最終的には共通テストでリスニング9割達成。他の科目もまあ悪くない。

頑張れないもの、やりたくないものは
簡単なもの、ワクワクするものに
名前を置き換えてみては?

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