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鬱病でした。Part.6

久しぶりの鬱シリーズ更新です。

※↓前回Part.5です。

鬱シリーズは大抵、過去を思い出して夜寝れないときに書くことが多いです。今夜もなんだか寝れなくて。

noteを書くと少し冷静になって落ち着きます。

ちょっと今回は重たい内容になりそうです。
(重たいのはいつもじゃん笑)

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思い出していたのは、昔もこういう寝れない夜があったな~ということ

部屋で一人、ベットの上で考えていた。

どうやったら死ねるか。

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この家に生まれた意味、こんな境遇になってしまった理由

「なんで……?どうして…?」っていくら考えても分からなかった。

今、思うときっと理由なんてないのだろう。
そういう運命(さだめ)だったのかなと思っている。

でも、当時はその答えが欲しかった。

何に怒りをむければいいのか、何のせいにしたらいいのか
分からなかった。

もちろん、母との確執は大きな要因だったけれど、
母だけのせいにするのは私自身が嫌だった

離婚は母だけのせいじゃない
かといって、父だけのせいじゃない
母子家庭でも、今まで通りうまく暮らしていけた可能性だってある

大きいことも小さいことも色々なものが、複雑に絡み合ってこうなってしまったのだろう
と、いうことは分かっていた。

でも、それによってなぜ私が苦しまなければならないのか、が
ずっとずっと、分からなかった。

その理不尽さは、どこまでも行き場がなくて、
ずっと私の中にしつこく棲み憑いて仕方なかった。

今もそれが消えたかというと、そうでもない。
今でも分からないまま

ずっと分からないままなのかもしれない

それが消えない限り、私の中で過去は終わったものだということに
ならない気がする。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

ずっと答えが分からない私は、無意識に無理やり答えを作った

”私が苦しんでいるのは、私が生きているからだ”

これはあながち間違っていない

生があるから苦がある
死人は苦しまない

これが苦し紛れに探し回ってやっと見つけた、
私なりの筋の通った答えだった

私がこの家に生まれなければこんな思いしなかった
でも、それは私が選んだわけじゃないし
今更、変えれない

こんなところ生まれたからだ。

となると、今度は

死にたいと思うようになる。

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自殺。

色々な方法がある

例えばリストカット

私は切り絵が趣味なので、カッターは部屋にあるからリストカットできる環境としては整っていた。

その切り絵用のカッターをじっと見つめて考える。

ん~でも、リストカットのために買ったものじゃないしなぁ
そもそも、痛いのは嫌だなぁ
却下。

痛くないとなると、睡眠薬の大量服薬とかかなぁ
薬でお腹いっぱいにして死ぬのは嫌だなぁ
どうせ死ぬのなら美味しいものお腹いっぱい食べてからにしたい!
却下。

自殺は色々といちゃもんをつけて、
結局コレというものが見つからなかった。

自分が死んだらみんなどう思うかな

お母さんは自分の言動を後悔するかな
友達は悲しんでくれるかな

でも、
そんなことを考えられているうちはまだ、ましだったのだ。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

本当に辛いのは、

”自分が死んでも何も変わらない”

と思うことだった。

追い込まれてくると、

”お母さんは自分の言動を後悔するかな”
”友達は悲しんでくれるかな”

なんて呑気に(?)考えていたものが、

”自分が死んでも誰も何も悲しまない
何も変わらなくて、今まで通りの暮らしをするのだ

厄介者がやっといなくなったと悲しむどころか
逆に喜ぶのではないか”

と考えるようになる。

鬱というのは本当に怖いもので、
本当にとっことんネガティブになるのだ

もちろん、自分ではそんなことないと信じたいし
そう思いたい。

でも、鬱のせいでネガティブになり、
自分の被害妄想が本当のことに思えてくる

”そうだ、確かに。
自分が生きることによって、
食費や学費などお金もかかる
母子家庭になったことで家計もいくらか苦しくなった

理由は忘れたけど、父親のところに連れて行ってやるから
早く荷物まとめてこの家を出ていけ!と言われたこともあったなぁ

自分がこの家にいる意味なんてないし、いる価値もない

自分なんて死んでしまったほうがお母さんも喜ぶのではないか”

そう考えて一人過ごす夜は、言葉にならないくらい辛く寂しいものだった。
鬱のいけないのは、自ら自分を更に追い込んでしまうことだなぁ。

ただただ苦しくて、いる意味もなくて、いる価値もない
この家は私にとったら牢獄みたいなものだった
生まれた時から無理やり居場所にされてしまった場所
息苦しい場所だった
こんなとこ、生まれたくて生まれたわけじゃないのに。

色々考えた。
親戚の家に住もうか
親友の家にお邪魔しようか
いや、迷惑すぎる

鬱の私が考えうる誰にも迷惑かけずに、牢獄からでて楽になる方法が
死だった。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

ここまで書くと、読者の皆さんが心配になってくる
大丈夫ですか?
文章に呑まれて辛くなってないですか?
すみません、辛くさせて。

ここから少し光がみえます…!

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

幸いなことに、私には心から大好きな親友がいて、
学校でいつも話を聞き、私を支えてくれていた。

保育園のころからの私の幼馴染で、
記憶にないほど、小さい時から仲がよかった。

趣味嗜好など、気味が悪いほど気が合ってしょうがない
以心伝心のような出来事も多い

2人で前世双子説唱えているぐらいだ(笑)

(親友については書いていたら朝がきそうなので、
今度また詳しくお話できたらなと思います。)

そんな親友が、私に言ってくれた言葉で私は自殺したいと思うことをやめた

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

「死んだら絶対許さんから!!」

彼女は私の話を聞いて、涙ながらにそう言った。
その涙には怒りも含んでいた。

許さない。

死んだら悲しいよ
じゃなくて、

許さない。

私が死んだら、彼女は私を絶対許さないらしい。
悲しみは時間が癒すけれど、怒りは時間がたっても
解決しないかぎりずっと続くのではないか。

怒りの原因は死んでるから解決しようがない。
それは、永遠に彼女を苦しめるのではないかと思った。
私がどうしてこんな状況に置かれ、苦しんでいるか
その理不尽さのやり場に困って苦しみ続けているように。

大好きな彼女を苦しませるわけにはいかない……
死ぬわけにはいかない…!
と思えた。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

その言葉は私の中で、強い希望になった。

自分の存在価値が見いだせなくなっていた私はきっと、
死を想像し、周り人が悲しむことを考えて
そこから何とか、少しでも存在価値を見出そうとしていたのだろう

でも、死んでも何も変わらない。
逆に死んだほうが喜ばれるという発想が生まれたことによって、
私の存在価値も見いだせなくなってしまった。

そんなの、絶望しかない。

親友の言葉は、私をその絶望から救い出した。
私が生きることで、大好きな親友を苦しませずにすむ
当時の私が生きている理由はそれで充分だった。

それから、辛くて孤独や絶望が襲ってきても歯を食いしばって耐えた。
親友のためにも、死んじゃいけないって。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

私は親友を心から愛しています。
出会えたことを本当に感謝している。

親友がいなかったら、
あのまま絶望に呑まれて死んでいたのではないかと思います。

当時は携帯もないから、固定電話かPCでのメールでしか家では親友とのやり取りができなかった。
固定電話もPCも家の一階にあって、私の部屋は二階。

お母さんが家にいるときは基本的にやり取りはできないから、
一人で耐えるしかない。

お母さんが祖母の家に行っているときを見計らって、
固定電話で泣きながら親友に電話をかけた日もあった

本当に心の支えだった。
お母さんと喧嘩してどんなに辛い思いしても
明日学校で親友に会える。話を聞いてもらおう。
そのためになんとか耐えよう、なんとか生きなきゃ。
と自分を励ましていた。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

結構長くなったので、今回はここまでにします。
キリもいいかと。

長かったですが、読んでいただきありがとうございました!!

大丈夫ですか、私は読者の皆さんがこれを読んで、
一時病まないかちょっと心配です。

今までを上回る、内容の重さだったなぁと。
重いから逆に今まで書かなかったのかも。

次回も楽しみにしてください。
ありがとうございました。では、また。










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