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絵に描いたような文系

みんな一つや二つぐらいは武勇伝のような、
強烈なインパクトのある自己に関する話というものがあると思う。

私の片手に収まらないぐらいあるなかで、
一つこういうものがある。

高校生の時、ある全国模試にて
国語で校内一位と、数学で校内最下位を同時に取ったことがある。

というものだ。
ちなみに、同学年270人ぐらいはいたかな。

私はそれぐらい国語と数学の差がある学生だった。

他の教科でいうと英語は10位内にいたものの、
それ以外はパッとしない成績だったから、
総じて成績は良くも悪くも、、、、、
ちょい悪ぐらいの学生だったのではと思う。

(あ、でも、社会は得意だった。県で一位取ったことがある。)

まぁ要するに、文系科目は得意で、理系科目は悲惨だった。


今でも覚えているのが、国語の授業と数学の授業の差だ。

国語の授業、特に現代文は手に取るようにわかる。
本当に“解る”のだ。

先生が何を考えているのかも、次に何を言うのかも。
全部解る。

先生は次にこのような問いをするだろう。そして、答えはココの文にあって、解くにあてってのポイントはココの意味を理解しているかどうか。
解くのにコツがいるから、引っかけに引っかかった場合の解答はこうだろう。そして先生は私が分かっているのをきっと分かっているから、最初に当てないだろう。何人か当ててから、正解発表として私を当てるだろう。

そんな風に考えていたら、本当にその通りになるのだから国語の授業は面白かった。魔法使いにでもなった気分。
私にとって、息抜き、娯楽のような時間だった。

まさに手に取るようにわかるってこのことだなと思う。
問題の答えのみならず、授業の進め方が自体が解る・予測できるって感じ。

センター試験でも国語は満点だった。


一方、数学はほんっとうに分からない。
一ミリも理解できない。

先生の言葉が呪文のように、耳から頭を通り抜けていくだけだ。
全く知らない外国語聞いているような気分。

まず、公式が覚えられなかった。
一番苦手だったのは、サイン・コサイン・タンジェント。
まじで分からない。今でも分からない。

何回も何回も覚えようとしても頭の中にかすりもせずに消えていって
本当に覚えられなかった。

「好きこそ物の上手なれ」という言葉もあるけれど、
その逆で、人は嫌いなものは上手になれないようにできているのかと考えるぐらい、数学が嫌いな私はいつまでたっても数学の成績が上がらなかった。

センター試験の点数は3割ぐらいだった気がする、、、
本当にやばいよね。


中学の時の塾の先生にこう言われたことがある。
「おまえは、数学ができないわけじゃない。素質はある。」

きっと、真剣にやっていたら成績も違っていたのかもしれない。
実際、中学生の時、その先生のおかげで数学の成績は伸びた。

その塾を卒業し、高校生になるとダメだった。
「分からない」が、「嫌い」をつくり、
そして「もうやりたくない」になった。


国語は
「分かる」が、「好き」をつくり、
そして「もっとやりたい」になったかというとそうではない。

もともと好きだった。
だから「好き」が、「分かる」をつくり、
そして「もっとやりたい」になった感じ。

小さい頃から本を読むのが好きだった。


今思うと、
幼少期には絵本、小学生の時は児童書というように
本にふれてきたことが多い。

小学生の時は、一日に一、二冊読んでいた。

小学校低学年の時に、毎日のように読んでいたのは伝記。

主にこのシリーズ

私はもともと歴史に興味があった。

祖母が大河ドラマを観ていたり、父が歴史秘話ヒストリアを観ていたりしていたのが大きい。

「テレビで聞いたことがある人物の本だ」と思って、伝記を手に取った。
最初に読んだのは誰だったかな。

後世では歴史上の人物として有名な彼らも、
元は一般の人と同じように貧乏だったり、苦悩の連続だったりしたということが、私には大きな学びだった。

「元からすごい人なんていないんだ。
みんな色々な経緯や経験を通して、
すごい人っていわれるようになったんだ。
私だっていつか後世のすごい人になれるかもしれない!」
遠くの存在が近くなったように感じ、小学校の私は勇気をもらった。

図書室にあった30冊ほどの伝記を全部読んで、
彼らの人生から学ぶことは多かった。

しかし、私はまだ
「中世ヨーロッパ」「平安時代」「大正」などの、
歴史の言葉は知っても流れは知らなかった。
どの時代がどの時代より、より古いとか分からなかった。


そこで、小学校高学年になった時に登場したのが
社会での歴史の授業だった。

私が今まで知りたかったこと、
時代の流れがやっとわかった。

流れさえ分かれば、あとは時代背景とか文化とかは、
その時代を生きた人の伝記を読んだから大体分かる。
わかるから歴史の時間が大好きだった。

詳しい用語とかは中高生の時より忘れているけれど、
今でも歴史物は好きだ。


本が好きで、伝記が好きで、歴史が好きで、
現代文や社会科が得意だった私は、
大学で経済学部を選んだ。

こうして、絵に描いたような文系の私はできあがった。

なんで大学で経済学部を選んだのって聞かれると

本が好き→伝記を読む→歴史が好きになる→社会科全体が好きなる→国語も得意→数学は苦手→てことは文系じゃん!→進路どうしよ→私は資本主義を生きてるよなぁ→てことは、経済学んどこかな
って感じ。


結局このnoteで何がいいたいかって
別に何か言いたくて書いた訳じゃないけれど、

今考えているのは、
自分がそういう経緯の人生だったから、
自分の子供には将来、本を沢山読んで欲しいなって思う。

けれど、その子にはその子の人生があって
本よりも機械いじりが好きでエンジニアになるかもしれないし、
外に出て遊ぶのが好きでスポーツ選手になるかもしれないし、
どんな人生でも支えて応援して肯定してあげたい。

でも、やっぱり本読んでほしいなぁ
読んでくれなかったら寂しいなぁとか思っちゃって
これが親心ってやつかな
親ってむずかしいなって思ったり、、、。

気が早いんだけどね。


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