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人はハングリーな方が頑張れるのか①

あなたは何かで結果を出そうとしているとする。

仕事やスポーツ、または受験や研究などにおいて。

そんな時、どんなモチベーションだと頑張れるだろうか?

もしくはどんなモチベーションだとやる気が出るだろうか?

「モチベーション」

この言葉も、働き方改革というワードとともに出てきやすいのではないだろうか。



ハピネス、幸福度の研究

というものは、ここ最近かなりメジャーになってきた。

より具体的に、かつ科学的に。

ウエラブルデバイスを使ったり、採血しながらデータを取るという研究もだいぶ進んでいるようだ。

かなり話ははしょるけど、現代において”幸福度”というものはハックできるようになったようだ。

要は、「自分は幸せだ」と言っている人の行動パターンをビッグデータをAIで分析できるようになったからだ。

ほんと、いまの時代は面白いなと感じる。



で、話はもどって。

かつての自分のモチベーションは

・悔しさ
・義務感

であった。

それは勉強でも、受験でも、日常の振る舞いでも。

大学を卒業してからは仕事の成績でも。

悔しさはエネルギーの源泉であると、30歳くらいまでは考えていた。

悔しいとか、惨めだとか、見返してやりたいという思いだ。

そんな思いが自分を奮い立たせ、自分を突き動かす。

そう信じていた。



そして義務感。

必ずやらなければならない。できなくてはいけない。

そんな思いが、自分を突き動かすのだと考えてきた。

逆に、それがないと自分はダメになってしまう。

ねばならない、という強制力こそが動機になるのだと考えてきた。

とくにぼくは長男だlたし、両親からの期待を受けてきたように感じてきた。

その期待に応えなければならない。

優秀でなければいけない、人並み以上でなければいけない。

両親の期待に応えなければいけないーーー。

そんな思いにつき動かせられてきた。


・・・


結果、ぼくはウツになり、これまでの生き方や価値観を考えざるを得なくなった。



なんでウツになったのか?

今なら分かるけど、これらのモチベーションはとても不健康なんだ。

なぜならば、根底に”劣等感”があるからだ。

言い方を変えれば、

「自分の内側からでてきたもの」

ではなく

「外部から与えられたもの」

だからだ。

ただウツになるまではこれでいいと思ってきた。

これらがないと逆に頑張れないと考えたからだ。

しかし根底にあるのは劣等感であり、

自分は周りと比べて標準的かそれ以下であるという自己評価の低さであった。

自分には価値がない、だから頑張って結果を出して認められなければいけないーー。

そんな風に、いつも何かに追いかけられているような、苦しさがあった。

けれど。



自分が頑張るには、この劣等感を使うしかない。

何かに飢えている、その欠乏感こそが、心を突き動かすんだと信じていたから。

だから、自分は満たされてはいけない。

突きつめると、自分は幸せではいけない、ということ。


ーーーー


ウツになって約6年後、それ以外のモチベーションを偶然見つけた。

それは感謝や、恩返ししたいという思いだ。


長くなったので、続きはまた!

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