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年をとることが楽しみだし憧れる


そんな世界であって欲しい。



8月生まれのわたしは、もうすぐ20代最後の年を迎えます。
誕生日はまだ嬉しい。おめでとうの言葉も、わたしのためを想うあたたかな贈り物も。
けれど、嬉しさと一緒にどこか焦りと哀しさがぐるぐると、マーブル状に入り混ざる感覚もやってくる。


大人になるのって、すてきなこと。
自分のための時間とお金。きらきらとした自由がとめどなく降ってくる。パンケーキのホイップみたいなあまくてとろける時間や、はじめて飲んだ日本酒に似た苦味を孕んだ時間。それらすべて自由に選び取ることが出来ます。

反面、大人になるにつれて現実が押し寄せてくるのも感じます。
ぐわぁあっと荒れ狂う波のようなそれぞれの生活、そのなかでやれ結婚はまだか子供はまだかとせがまれる。いつからだろう、てのひらで大切にあたためてきた夢や希望をひとつひとつ窓辺に並べて、そうして想いを馳せる時間は遠ざかっていく。
そして、ひたひたと静かな足音とともに近づいてくるものも、ある。


はだあれくましみくすみたるみ。
わたしにとって、年齢を重ねてきたことをいっとうに実感した出来事でした。
ちいさくぽつぽつと、あごのラインに現れてなかなか消えないそれ。目元を擦るくせの代償として、消えなくなってしまったあれ。夕方ちらりと鏡を見て、思わずもう一度見返してしまうほどの顔色の悪さ。照明のせいであれと天を仰ぐけれど、なんとも悲しいかな、自然光だ。

誰にでも平等に、あまりにも静かに訪れる老いをわたしはまだ受け入れられないでいます。
そしてこれから先、さらに積み上がり、びゅんびゅんと加速していくそれがたまらなく怖くもあります。きっと、わたしたち年代、もしかするとその下、上の方々だって、そう思うひとがいるのではないかな。

美容医療がめきめきと発達し、びっくりするような値札を掲げたスキンケアアイテムが数え切れないくらい列をなしています。多くのひとが若さとうつくしさをとどめておきたいと願い、そうしたなかでこの分野が急成長してきたのでしょう。


若さこそうつくしさである。
その前提にわたしたちはぬるりと取り憑かれた。ずぶり、ずぶりと1センチずつ沈み込んでいく。湿気を帯びて全身がじとっと湿る不快な感覚、抜け出そうと縁に手をかけても何かに押し返されてさらに身体が沈む。ちがう、と叫んだことばはくらい靄に押し流される。そうして覆せないでいる。

空から落ちる雫のようにきらめいて、それでいてすぐにぱっと弾けてしまう。
若さは希望のようで呪いにも近い。きらきらとした輝きを宿しているのに、なんともふかくて重たい。



でも、わたしは知っているのてす。
たくさんの仕事を掛け持ちして働いた、かさかさで皮膚が伸びきった手。
家族を養うため、定年するまで屋外で力仕事をこなしていたと話してくれた、真っ黒に焼けた肌に乗るたくさんのしみ。
生きるため、見た目なんて気にしていられなかったと笑うしわくちゃの目尻。


彼らが、彼女たちが生きてきたその時間、喜楽も後悔もまとめてかき混ぜて、ぴたぴたと重ねてぎゅうっとつよく押しつぶして、やさしく飲み下したその姿は、誰とも比べがたくうつくしかったことを。

年を重ねた外見に、思わず吐息が漏れるようなきらびやかさなどは何もなくて。
それでも、そのからだに、いのちの奥に、けものの爪痕のように刻み込まれた、辿ってきたその足跡。経験。あたたかいことばたち。
若く浅いわたしたちには得られない、時を重ねてきたからこそ滲み出る深いうつくしさが、そこにありありと浮かび上がっていました。


若さをどどめていたい、外見を美しく保ちたいと願う気持ちも、決して間違いではないのです。
自分が感じるうつくしさを追い求めるその姿だって、うつくしいものに変わりはないから。
ただ、それがいつか損なわれたそのとき、どうか、それを恥じないで欲しい。
失われるものばかりだと思わないで欲しい。
若いときのような、ぴかぴかとした強く鮮やかなひかりではないかもしれないけれど、年齢を重ねた姿に宿るあたたかくて柔らかなひかりも、確かにうつくしいのです。



年を重ねたわたしはどんな姿でそこにいるのだろう。
ずっと先のその未来、わたしの頬に居座るそれが消えなくなってしまっても、目元のあれが濃ゆくなっていっても、きっとその姿は誇らしい。
年をとって衰えが見えてきて、さらに背中が曲がって立てなくなっても、自分の痕跡がそのいのちの真ん中まで刻まれた身体、いっとうにうつくしいと笑えたらと思います。



年をとることが楽しみだし憧れる
そんな世界であって欲しい。




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