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【映画】猫に恩返し、されてみませんか?

猫になっても、いいんじゃないッ?
というキャッチコピーを、覚えていますか?


昔からよく映画に連れて行ってもらった記憶がある。そのなかでも、毎作劇場で見せてもらっていたのが、スタジオジブリのアニメーション映画だ。
元を辿れば、母がスタジオジブリを好んでいた。千と千尋の神隠しは劇場で2回見たし、原作のマンガであったりラフスケッチ本など、それに関するアイテムは身の回りにあふれていたように思う。
おかげでわたしは今もジブリが大好きだ。

そのなかでも特に好きな映画が、冒頭のキャッチコピーでおなじみ、”猫の恩返し”。
2002年上映のジブリ作品22作目、監督は宮崎駿さんではなく森田宏幸さん。
今までのジブリ作品とは毛色の違う絵柄に賛否両論はあるが、わたしはこの作品がたまらなく好きである。

女子高生のハルがトラックに轢かれそうになった猫を助けたことから物語は動き出す。その猫が猫の国の王子だったことで、猫たちから恩返しを受けることになるのだが、その内容は猫の国で王子のお妃になってもらう、というとんでもないもの。
不思議な声に誘われ、太っちょ猫のムタと出会い、猫の男爵バロンの営む猫の事務所へ導かれるハルだったが、あれよあれよと猫の国に連れ去られてしまう。はてさて、猫の国からの脱出は叶うのか、、、というストーリー。

コミカルに動き回る、ぬるっと胴の長い猫たち。ハルの喜怒哀楽ゆたかな表情や、バロンのまなざしの凛々しさ、ムタのことばや行動に混ざるやさしさ。キャラクターたちの魅力は言いつくせないほどだ。
そしてなによりも猫たちの暮らす国、背の高い草が柔らかく揺れるさらさらとした音や、ほわっとした日差しのあたたかさが画面越しでも伝わってくる。手足を広げて伸びをしたくなるような世界は、何度見ても惹かれてしまう。

猫の恩返しを上映していた頃、わたしはちょうど10歳。
あまり深く考える子どもではなかったから、猫がたくさんいる国なんて素敵だなあ、かっこいいバロンが助けに来てくれるなんてハルちゃんいいなあ、とか、呑気に考えていた。
だから、猫の国について問われたときのムタのことばも、たくさんあるセリフのなかのひとつでしかなかった。

ありゃあ、まやかしだ。
自分の時間を生きられないやつの行くところさ。

あれから15年以上がたち、わたしは大人になって、やらなければならないことに追われる毎日を送っている。そんなとき、テレビで猫の恩返しが上映されていて、久しぶりにその世界に触れた。そして、このことばを、大人として聞いた。
自分の時間って、なんだろう。
わたしは、自分の時間を、生きられているのだろうか。

ハルは優しい子であると思う。同時にひどく受け身な子であったように思う。友達のために面倒な掃除当番を引き受けて、好きな人には彼女がいて話しかけることもできない。
猫を助けたら厄介ごとに巻き込まれ、”猫なんて助けなきゃ良かったってこと?”とため息をついて、自分が決めた行動にさえ自信がない。

どんどん猫に近づいているのに、自分を連れて必死に逃げてくれるバロンを見て、”ああ素敵、猫でも良いかも”なんて思っちゃったり。
自分の軸っていうのかな、ぶれているのを感じる。自分がどんなふうに生きていきたいか、定まっていないのだ。
それはわたしだってそう。今でも道の真ん中、ぽつんと突っ立って、途方に暮れることだってある。たった10年20年そこら生きただけでは、自分の生き方なんて定まらない。

そんなハルが自分の時間の意味に気づくシーン。あたたかいココアを飲み込んだときのように、ほぅっと息が漏れる。
なんだ、こんなに単純なことだったんだ、と。

ハルが小さい頃に助けた子猫、ユキちゃん。その声がハルを導き、手助けをしてくれていた。
今回助けた猫の王子様はユキと恋仲で、ユキにハルとの思い出のクッキーをプレゼントしようとしていた。その途中、あわや事故になるところをハルに助けられた。

  ハルがあのときユキを助けていなければ、ハルを導くものはなかっただろうし、王子を助けていなければユキと王子は結ばれなかった。

ハルが悩んで、逃げて、それでも歩き続けた結果、知らず知らずのうちに誰かに影響を与えていた。
間違っていると思っていた時間もすべて、ハルがハルとして生きた”自分の時間”だったのだ。

そう気付かされたハルの最後のことばには、この映画のなかではじめて、彼女の強い意思がこもっていた。

わたし、間違ってなんかいなかった。
猫を助けたことも、迷って苦しんだことも、
みんな大切な自分の時間だったんだ。


ひとはどうしても、意味のある時間の使い方を美徳ととらえてしまう。でも、きっとそれがすべてじゃない。
嬉しいことも悲しいことも手のひらに広げて飲み込んで、少し乾いたこころに染み込ませて、そうしながらわたしたちは自分を補強して、また前を向く。
涙を堪えてベランダに座り込む夜も、終わったことでぐだぐだと悩む休日も、自分をつくって、また立ち上がるための大切な時間なのだろう。

それに気付けたのも、一度猫になったから。
キャッチコピーのあの一言は、現実の世界に戻ったハルが呟いたのだろうか。きっとそうだ。
猫になっても、大切なことに気付いたのなら、いいんじゃないッ?てね。

迷って泣いて傷ついて、それでもわたしたちは自分の時間を生きている。
当たり前のようで気付けない、それに気付かせてくれたこの時間こそが、時間を超えた猫の恩返し、なのかもしれない。


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