Risa uekusa

ピアノを弾いています。 音楽と言葉がすきです。誰かを救う言葉が生まれるかもと ひっそり…

Risa uekusa

ピアノを弾いています。 音楽と言葉がすきです。誰かを救う言葉が生まれるかもと ひっそりと書いています。 https://www.instagram.com/risa____u/

最近の記事

いま、芸術に触れること。

芸術は、どんな存在であっても等しくそのままに受容する。 存在そのもの全てを肯定する。 人間の根底にある受容されたい、肯定されたいという普遍的な感情。 その感覚を求めて、ひとは無意識のうちに芸術に触れることを求めるのではないか。 頭をからっぽにして、美術館へいく。 演奏会へいく。 そんな体験を、いま不安や心許なさを感じているひとほど、味わってほしいと思う。 誰に伝えるでもなく、 インターネットを通じて誰かに発信するでもなく、 自分だけの経験として、まずは感じてほしいなと

    • 2023年の日々によせて。

      たくさん本を読んで、たくさん言葉を描いて、 たくさん演奏を聴いた。 より深く自分を理解したいと願ったその過程は、 自分の行動や感情にひとつひとつ色を付けるような日々だった。 その中で、自己理解は他者理解に直結することを知った。 好きなものや大切なものは、昔からみんなきっと、ずっと変わらなくて。 実際には、もう既にそこにあるものを思い出すだけで良かった。 改めて演奏と向き合ったとき、 演奏をする私たちにとって、幼い頃の体験と、音楽やピアノとは密接に結びついていて、 ほ

      • 本質には、自分を守るちからが宿る。

        自分が本当に求めていることは、どんなに頭で考えても出てこない。 感じている心からしか生まれない。 それは、どこか身体感覚に近いもの。 大事なのは解放することだって。 自分と向き合う事に不都合のある人だけが、いつまで経ってもそこに気が付けないのだ、と思う。 もしもあなたが今、それに気が付けていないとしても、それはあなたのせいじゃないよ。 そうさせてしまった状況や、環境に原因があるのだと思う。 それでも守りたいものがあるのなら、自分の心に違和感を感じているのなら、 それを

        • 時間の掛かりかたを愛することにした。

          時間の掛かりかたを愛することにした。 実際に足を運ぶこと。 見て、聴いて、感じること。 会いたいと思う人に会いにゆくこと。 たっぷりと呼吸をすること。 読書をする時間、楽譜を見つめる時間。 素材にこだわって、お料理やお菓子をつくることも。 その事から生じる時間も、 手間ひまも、余白も、湧き出る感情も、 全部全部愛する。 身体と心をたっぷり動かして過ごす。 そのための時間を奪うものは、きちんと手放す。 自分にとって大切なものだけ、大切なひとだけ。 かえの効かないものだけ

        いま、芸術に触れること。

          "北大路 魯山人"の言葉集

          2023年1月27日、京都・祇園町にある「何必館 京都現代美術館」で出逢った言葉。 メモしていた、北大路 魯山人の陶芸の展示に寄せての言葉が素晴らしかったので、忘備録に載せておく。 写真は、清水寺から見た白銀の京都。

          "北大路 魯山人"の言葉集

          言葉を捉える朝に思うこと。

          言葉はけっして感情を超えない。 心に1番近い形の言葉を、なんとか探して、言葉にするけれど、 膨大な感情が溢れてきた時、飲み込まれてしまって、ただ呆然と立ち尽くしてしまう時がある。 それでも、日々、言葉を紡ぐことから逃げ出さないでいたい。 頭の中で生まれては消えていく感情と、本音の片鱗を、心と、そして耳を研ぎ澄ませてつかまえる。 形にして残して置かないと、それは霧のように消えてしまうから。 そこに確かに在った、という痕跡を残したい。 自分だけがわかっていればいい。 言葉

          言葉を捉える朝に思うこと。

          12月、また素直さについて。

          素直さ、とは、物事が起こった時に生じる心の抵抗を、ありのままに認め、受け入れることだと感じる。 つまり、向き合うべきはいつも自分自身の心なのだ、と。 そして、その出来事や事象から何かを学ぼうとすること。良く見ること。 出来る限り、美しいものや温かいものに目をひらいていたいとおもう。 それは起こっている嫌なことに蓋をするのでは無くて、 自分に都合の悪いことに目を瞑るのでは無くて、 ただただ自分の意志で、 目の前にある事から、出来る限りの希望を見つけ出したいと思う強い気持ちと

          12月、また素直さについて。

          一方通行にしか時間が流れないのは、間違いなく希望だ

          過去どうであったかは関係なく、 積み重ねた事が、ちゃんと蓄積して残ってゆくから、時間が一方通行にしか流れない事は間違いなく希望なのだ。 生きるということは、運動とそれによる変化しかないのだとしたら、「何かを始めるのに遅すぎる」という考え方自体おかしなこと。 今までの蓄積の、すきな部分は大切に自覚して守って、 新しいことは少しづつ重ねてゆこう。 それは決して消えない。 宜しくね3月。🌸

          一方通行にしか時間が流れないのは、間違いなく希望だ

          ひとりの時間が創るもの

          つくづくセンスって、"ひとりの時間"から生まれるものなのだな、と思う。 素敵な人、素敵な作品に出逢う度に、 "ああこの人はどれ程の膨大な時間を、自分と向き合ってきたのだろう" と、尊く、深い静かな感動がうまれるのだ。 素晴らしい本を読んだ時、 素晴らしい音楽、演奏に出逢った時、 そこからはいつも圧倒的な孤独を感じる。 圧倒的な没入。永遠への渇望にも似た気持ち。 言葉にする時は孤独ですね。 本を開く時も。 人間の魅力とは、孤独の中から生まれる輝きのことなのかも知れない

          ひとりの時間が創るもの

          読書について。

          わたしは言葉がすきだし、読書がすきだ。 本の世界に没頭する時間がたまらなくすき。 だけどいまこうして 日々本を読んでいるのは、 どうしたって読まずにはいられないから    読んでるのであって 昔からいつも、 言葉に頼らないと、 言葉の支えが無いと 生きていけないから読んでるのであって、 本当は少しだけ 本を読まなくても生きていける人達が 羨ましかったりする。 それでも、 自分がいっぱいいっぱいだった時に 必死にしがみついた言葉達は その先もずっと心の奥に残っていて、

          読書について。

          日常と終わり

          "世の中の全てには必ず、いつか終わりがくる。永遠に続く幸せはない。" 頭では理解していても分かっていなかった事を実感させられる、それが今なのかもしれないな。体感しないと、ひとは理解できない。 一年後、数ヶ月後、翌週、明日がある事も、幸せを感じる日常を過ごせる事も、保証なんてされていないこと。 終わりの前日は、いつだって日常の1日だ。過去の戦争だって、始まりの前の日は、日常の1日が繰り返されていたはずで。 先を知る事だけが不可能なのだ。 日常の終わりが今なのかもしれ

          日常と終わり

          心に響く演奏、響かない演奏

          コンサートホール、ライヴハウス、今や日本では、沢山の音楽に実演で触れる機会に溢れている。 東京に至っては、クラシック音楽だけを例に取ってみても毎月のように一流の音楽家が海外から来日し、コンサートを行なっている。 そして毎日のようにどこかで演奏会があり、足を運べばいつでも演奏を聴く機会がある、恵まれた時代のように思う。 そんな中で、様々な演奏に触れていると、『感動した、心に響いた』と感じる事、また『イマイチ心に響かなかった』という違いを感じる事があり、その違いの根本は何処か

          心に響く演奏、響かない演奏

          Sir András Schiff piano recital

          『音楽は娯楽では無い』と語るシフ氏の言葉の意味を、そしてそのエネルギーがもたらす力を、 同じ空間で実演を聴けばすとんと理解出来る事だけど、このクラスの演奏を実演で聴いた事のない人は、きっと腑に落ちない人が多いのだろうなと思う。 ひとりでも多くの人に、生でほんものの音楽に触れてほしい。 逆に、実際に生で聴けばそれはすぐに伝わる。 本質が伝わるって、すごい事だ。 音楽に限らず、絵画も本も、良質なものからはちゃんと本質が伝わってくるものだと思う。 きっとそれは、人の心だとも。

          Sir András Schiff piano recital