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自分が幸せになるために、親は子供を利用する。例え、毒親でなくとも。


タイトルの文章を見てこう思った人もいるかもしれない。

「いいや、親が自分のために子供を利用するなんてことはしないはずだ」
「そんなことはおかしい」
と。

では、一体なぜ「親は自分の幸せのために子供を利用している」と思うのか?
ここでは、そう思った理由を書く。


常識


「子供は産み育ててもらった恩を、親孝行として親に返すべきだ。」
このように言われて育った人も多いだろうと思う。
実際、私もそういわれたことがある。


自分が親に支えてもらったのだから、
今度は老後の親を自分が支えてあげなければいけない。


そう言われてきたから、私も人生の途中まではそれを信じてきた。
必ずどこかで恩返しをしなくてはいけないんだな、と。


しかし、
親に押し付けられたもののせいで苦しんだことはたくさんあったし、
今も苦しめられているという事に変わりはない。
これからも、
きっと苦しめられて生きていくことになると分かってきた。


主張


だが、ここで私はそういう常識に対して
「それこそ間違っているのではないのか?」
と疑問を投げかけることにする。

「いやいや待て、別にその常識は間違ってないはずだ。
お前だって、親に育ててもらったんだろう?」

うん、育ててもらったよ。

「育ててもらった、というのは、親がお前にくれた恩義だろう?」
「だったら、その恩を返すべきなんじゃないのか?」

でも、
自分が幸せになるために親は子供を使う、ということには変わりはない。

「それはなぜ?」

じゃあ説明しよう。


理由


ほとんどの親は、「子供が欲しい」と望んで子供を授かる。

それはつまり”物欲”に他ならない。
「子供がいる幸せそうな人生」というものに対する物欲によって、親は子供を産む。

言い換えると、親は「子供がいる幸せそうな人生」という商品に対する物欲を、子供を授かることで満たす。


「今後20年近く子供を育て続けるために必要な労働力」
という対価を支払い、
そして自分たちの経済状況や環境、
遺伝子などの全てを子供の人生に押し付けて、
子供を授かり、自分の物欲を満たすのである。


そういう意味では、究極の傲慢といえるかもしれない。

私はこう思っている。
だから、自分の子供に対して
「お前なんか産まなきゃよかった」
とかほざくような親を見ると考える。


「育てていく自信がないなら産むな」って。
その子は、きっと生まれないほうが幸せだった。


「生まれないほうが幸せだったなんて酷いこと言うな」
と思った人もいるかもしれない。
では、その子供の気持ちを考えたことはあるのだろうか?
子供にとっては、親しかいないのである。
帰る場所も、よりどころになるべきだった存在も、
子供にとっては親以外には無い。
子供は親を無条件に愛している。ずっと見ていてほしい。大好きだ。
それこそ”無償の愛”だ。
常に”無償の愛”を受けるのは、子供ではなく親のほうだ。
そんな大好きな唯一の存在から「お前なんか居ないほうが、私は幸せだった」なんて言われたらどう思うのか?


そうなったら当然、「死にたい」とか「消えたい」とか、
「自分がいるせいでお父さんやお母さんが不幸なんだな」とか、
「自分なんか生まれなければよかった」とか、
そういう風に思うようになる。
自分が嫌いになる。


私は、
「お前なんか産まなきゃよかった」とはっきり言われたことはない。
でも、
「自分がいるからみんなが不幸なんだ」
「自分が憎い、殺したい」
「呼吸をしたり心臓を動かしたりして、自分の体が生きようとしていること自体が気持ち悪い」
とか、そんな風に思っていた。
なぜ自分があの頃自殺という道を選ばなかったのか、と不思議に思うくらいには。


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子供は、親に人生まるごと利用される。
だって、子供の人生が存在するのは、
そもそも親が物欲を満たす為だったのだから。

だからこそ、
子供が親に感謝するべきなのではなく、
親が子供に感謝するべきなのである、「利用されてくれてありがとう」と。

子供には、「親に恩返ししなければいけない」という義務はない。
でも、
親には「子供の人生そのものを利用したことに対する、子供への償い」をする義務がある。
その義務は、「教育」として行われる。
そう思っているので、私は教育された事に対して何の恩義も感じない。


そもそも親とは、ただ自分を産んだ人であるだけだ。
産んでしまったのだから、
「育てたいと思っているかどうか」に関係なく、
親には「育てなければいけない」という強制的な義務が発生した。
そして結果的に、
子供は「親に育ててもらった」という状況になっているだけに過ぎない。


親だから、家族だから大切にしなければならないというのも、
よくよく考えてみればいまいち分からない。
「血が繋がっている」ことと、「大切にしなければならない」には何の関係があるのか?
「血が繋がっている」だけでは、大切にする理由にはならない。


他人だろうと家族だろうと、
「大切にしたい」と思った人を大切にすればいいし、
「大切にしたくない」と思った人を大切にしなければいい。


要するに子供は生まれた時点で、
既に、親の願いを叶えるために利用されていたという事だ。
そして、自分勝手に自分の願いを押し付けたことへの償いとして、
親は子供へ「教育」という名の償いをするのである。


教育とは、親が子供に貸しを作ることではない。
親が子供に貸しを返すことだ。


私には、結婚する勇気も、子供を授かる勇気もない。
子供にすべてを押し付ける資格があるとも思えない。


でもどうせ押し付けるなら、
可能な限り素晴らしいものを押し付けなければいけない。
親には、その義務がある。


私はそう考えている。

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