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ママから毒母に変わった話。

  #名前の由来  というタグを見て、自分の名前について考えた。

 「誰からも愛され、自分も誰かを愛せるような人になりますように」「白い小さなお花のような可愛らしい女の子になりますように」

 私の名前はこの願いと共に与えられた。

 小さい頃、私は自身の名前を大変気に入っていた。漢字を見ても華やかで、口に出してみても丸くて棘の無い名前。由来も含めて大好きだった。

 どうでも良いが、父は私に初恋の相手の名前を付けようとしたと聞いた。

 それを話す母は「有り得ないよね」と少し怒り気味で、私は父の初恋の相手の名前がどうのというよりも母が私を呼ぶたびに怒りを感じる名前に決まらなかったことに心底ホッとしたのを覚えている。

 幼い頃は母が世界で一番正しい偉い人だと信じていた。少なくとも中学生までは。

 母の言うことやることは全て正しくて、すぐに怒られて反省しないといけないことばかりする私は、いつも母からの「いいよ」という言葉に縋った。

 「○○ちゃんと遊んできても良い?」「ノートがなくなったから買っても良い?」

 これらのお願いは大抵が「いいよ」の判定だったから、まだ気楽に聞けた。

 だけど「今日、門限を過ぎても良いですか?」「お泊りに行っても良いですか?」といったイレギュラーなお願いには気を遣った。必ず下手に出て、良いですか?と聞く。

 それを隣で聞いていた友達に「お母さんに敬語使うの?」と驚かれた記憶がある。それまで当たり前だったことが他の子にはびっくりされるということに、私の方がもっと驚いていたと思う。

 そして、そのお願いに「だめ」と言われたら、「はい」と返しておしまい。
母は正しいので、そもそも抗議するという考えはなかった。母の意見や気持ちがいつだって最優先事項である。

 だから高校生になって行動範囲や私の価値観が広がるうちに、これまで感じたことのない母への疑問が湧いてくるようになって、自分という人間と母という偉大な存在の間で苦しむようになった。

 母の良し悪しの判定や私を傷付ける言葉に、「?」が浮かぶ。言葉では表せない違和感のようなものだ。

 援助交際や風俗店の勤務、自傷行為などこれらの行為は、母への反抗でもあったのかもしれない。断言はできない。私は今でも自分が正しいと思えないから。誰でも良い、第三者に肯定されて初めて私の中で「そうです」と言える。

 母から離れて五年と少し。絶縁を考えるようになってまだ一ヶ月未満。

 毒母という言葉に太鼓判を押せない私がいるのも事実。母の「愛しているよ」の言葉の欠片を集めて必死に本当?嘘じゃない?と、まるでそれが宝石かどうか確認しようとする私がいるのも事実。

 時には道端の石ころに見えたり、時には光り輝くダイヤに見えたり。今でも「これはただの石ころですね」と判断を下すことに迷いがある。

 私を完全に否定する言葉を投げかける人は、私を愛しているんだと抱きしめる人でもあった。二十年と幾年か、それらを交互にされ続けたら、敵か味方か分からなくなってしまう。

 だけど、確かなこと。

 もしも本当は母が「私を愛していた」として、本当は私の「一番の味方」だったとして、今までずっと苦しかったという思いは消えない。辛い記憶も消えない。私に向かって投げつけた全ての武器を私は抱え込んでいて、行き場のない息苦しさに踠いているという事実がある。

 だから、私は初めて自分の気持ちに肯定してあげるという選択をした。

 「ママ、じゃないよ。毒母だよ」

 名前という贈り物に関しては、ひとまず愛情として受け取っておこうとは思っている。今の所は。 


 ※ハートのイラストは、川中紀行さんから拝借いたしました。ありがとうございます。

 

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