#4.1 毒親と絶縁計画〜逃亡先の確保・メンタル編〜
この記事は、逃亡先の確保・メンタル編である。
上の記事で紹介した通り、私はパートナーと共に引越しをした。
記事を書き終えた当時、引越しは決まっていたものの実際に引越して新しい土地に住んでいたわけではなかったので、今回は引越し前から十日目までのメンタルの浮き沈みについて書いていく。
全ての人たちに当てはまるものではないと思うけれど、メンタル面での浮き沈みにはある程度覚悟を持った方が良いと思う。特に、毒親を嫌いになりきれていない方。
結論から言うと、三日目までは気持ちの沈み方が異常な程だった。引越し前くらいまでのラインまで落ち着いたかなと思えたのは現状まだ未確認である。現在十日目の夜に書いている。
まず、引越し前。
引越し先、引越しセンター、日取り……これらが順調に決まっていくに従って、どんどん気持ちが浮き足立っていった。
何でもかかってこい!私は強いぞ!という無双状態。
悪く言えば、現実が見えていなかった。未来に一点の陰りが無いように見えていた。どこか旅行気分のような気持ちもあったかもしれない。
そして、引越し当日。
朝一番にお願いした引越しセンターの到着時間に合わせて起床。夜型の生活が祟り、睡眠不足のまま移動。移動中も仮眠出来ず。
昼から夜まで新居での生活に必要な物の買い物や、掃除などでバタバタ動き回る。ベッドが間に合わず、ビジネスホテルに宿泊。不安と緊張でほとんど寝れず。
その夜、母に宛てて書いた手紙を思い出し、自己嫌悪と後悔で号泣した。翌日は目がパンパンに腫れて、酷いものだった。
二日目。
目が腫れた状態でこの日も前日に揃えきれなかった物を買い足し、家の掃除に明け暮れ、やはりベッドの問題でビジネスホテルに宿泊した。
夜、パートナーと向かい合って夕食を取ろうとした時、今まで必死に保ってきた糸がぷつんっと切れて涙が溢れた。気付けば止められないくらい流れていた。
人前で泣くのに抵抗がある私にとって、これは最悪の事態。私の中での最も恥ずかしい方法で助けを求めてしまった。
目の前にいたパートナーは私に向かって、この先のお金の話や仕事の話など、これからの生活について安心させるような言葉を掛けてくれた。
でも違う。私にとって一番の不安はこれからの生活の不安ではなくて、「母に対してもう後戻りできない行動を取ったことで、母が苦しむのではないか」という不安だ。
いまこれを読んでくださっている方にも、あんなに記事で母相手に嫌味書きまくっていたのになんで?となった方がいるかもしれない。
全くその通りである。ここまで来て、お前は何を言っているんだ?と思う。
でも感じてしまったことだから、嘘は無しにしたい。私の中で母は根底では「嫌いと言いたくない相手」「嫌いになりたくない相手」という表現がしっくり来るような気がする。出来れば傷付けたくないというのが本音かもしれない。
今まで散々"毒親と絶縁"と言っておきながら、当の本人は母の支配から全く克服できていない人間だ。
中途半端に母を毒親と呼び、足りない覚悟で絶縁状を送りつけて、勝手にやっぱりやらなければ良かったと泣いた私。
さらに三日目。
記憶が無い。何をしていたか思い出そうとしても思い出せない。絶縁すると決めた日から一日も欠かさず何かしら更新していたTwitterで、この日はツイートもリプもしていなかった。
何をしたかも記憶が無くて、唯一思い出せるのはその日の夜に窓から花火を見て「綺麗!」と動画を撮ったこと。そこから前の行動は全く覚えていない。
逆にその花火の辺りから調子が緩やかに戻ってきている。
十日目。
いま記事を書いている現段階では、引越し前よりも「昔あった母との出来事」を思い出すことが増え、涙腺は緩いまますぐに涙が出てくる。
最近はやらなくても大丈夫だった、フラッシュバックを起こした時にやる落ち着かせる方法を使いながら上手くコントロールしてはいるけれど、ここまで精神的にダメージがあることは想定外であった。
母と縁を切れば良くなっていくと信じていた。現実は甘くない。
引越し前の状態に戻るにはもう少し時間が必要そうだ。
以上が、引越し前〜十日目までの具体的な浮き沈みの様子だ。
また後日、落ち着いたなと思った頃に精神面の様子を記事にしようと思う。
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