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頼ることは信じること

 私は「頼みごと」が苦手だ。

 ひとから頼まれるのは好きだし、何ならひとよりも頼まれごとを得意としていると思う。だけど、いざ自分が誰かに何を頼もうとすると、極端に身構えてしまう。

 先日も友だちに協力をお願いしたい場面があった。私が学んでいることの練習相手になってほしいというもの。複数人が必要なので、LINEのグループで投げかけてみた。すると、すぐに数人の友だちから「いいよ!」と返事してもらえた。

 さて、問題はここからである。

 日程調整に入ると、とたんに気持ちがそわそわしてきて困った。LINEの日程調整機能を使ったのだけれど、「いいよ!」と言ってくれた友だち全員が〇の日がない。誰かを取ると、誰かが参加できない…はて困った。

 一人だけ△で、後の人は〇という日が2日ある。△の人には何か予定や都合があるはずで、私の頼みごとに無理に付き合わせるのはいかがなものか。ちなみに2日間ある「一人だけ△で、後の人は〇」の△の人は、それぞれ日によって異なる。

 うぅ。胃が痛い。

 いっそ「一人だけ✕で、後の人は〇」の日にしようか。そうすれば△の人に無理をさせずに済む。そう考えてから「いやいや、△の人が参加できれば、参加者がいちばん多くなるのだから」(実際、協力してほしい内容は一人でも参加者が多いほうがいいことなのだ)と思いなおす。

 いろいろ考えているうちに、私は自分の中にある不信のようなものに行き当たった。

 何を信じていないのか。

 ひとつは「相手は断ることができる」という相手の能力を信じていないということ。相手は大人なのだし、無理をするかしないかを自分で選択することができる。「△だけど、どう?」と尋ねた時に、何を話し、どう選択するかは相手の自由だ。

 で、もう一つは自分と相手の関係性を信じていないということ。たとえば、相手が大人であったとしても、上下関係とか、圧力とか、損得とか、そういうものが作用して、正直に答えづらいということがある。はたして、自分と友だちはそういう遠慮のある関係か?という問題。
 △の人が「やっぱ無理だわ、ごめん」って言って、壊れる関係か?そんなことないよね。

 相手の断る力を信じ、相手との友情を信じていさえすれば、フランクに「△をつけた日って、どんな感じ?」って尋ねることができるはず。

 私が怖れているのは、相手から断られることではない(むしろ率直に断ってくれた方が気が楽)。相手に無理をさせることなのだ。だけど、自分が頼まれた時は少々無理をしてでも、相手の頼みを受け入れることが楽しい部分もある。役に立てて嬉しいことだってある。

 じゃあ、やっぱり相手との関係性を信じて、聞いてみるしかなくない?

 自分の中にある“繊細さん”と話し合う。
 勝手に気をまわして、相手を置き去りにして結論を出そうとしていないか、と。
 そういう傾向が結局、自分を苦しめることになって、前の職場をやめることにつながったんじゃないのか?と。

 そこまで考えて、ようやく友だちに△の理由を尋ねることができた。一人は「なんとなく土曜日のほうが気が楽かなと思って、日曜日には△を入れただけだから、別に日曜日でもいいよ」と返信をくれた。
 これはこれで、その子の気遣いかもしれないけど、そんな裏を読みだしたらキリがないので、その日に決めさせてもらった。もう一人の△は仕事の都合とかだったので。

 そこまでに2日かかった。でも、みんなが参加できる日に決めることができたし、私は自分の苦手をちょっと克服できた気がしてうれしかった。

 頼るのが下手なのは、相手を信じていないからかもしれない

 その視点はこれまでの自分にはなかったので、ちょっと驚きだった。で、「そんなことない。信じてるもん」となって、今回はそれを証明するべく行動する後押しとなった。

 私はこれからひとを頼っていくことを覚えないといけない。起業もするし、加齢もするし。
 少しずつでもいいから頼れる相手を増やしていく。
「ひとを頼ることは、相手を信じることだ」と自分に言い聞かせながら。

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