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小説を通してパリを見るということ―『フーコーの振り子』とパリ散策

 『小説の森散策』というハーヴァード大学での講義録の中で、講演者(そして講義録の著者でもある)ウンベルト・エーコは自身の小説のとあるシーンに関する読者の面白い反応を取り上げています。それは彼の2作目の作品『フーコーの振り子』で主人公のカゾボンが深夜のパリを放浪するという場面に対してのものでした。カゾボンの深夜行は1984年6月23日から24日にかけての夜、サン・マルタン街から始まり様々な実在する通り歩きながら最終的にヴォージュ広場に到達して終わります。この現実的過度に詳細な記述(実際エーコは何度もこの行程を実際に歩いてみたり、コンピュータのソフトを利用して1984年6月23日の深夜にその場所から月がどのように見えたか、まで調べたそうです)がある読者にその物語を現実のものと信じ込ませてしまったようです。この読者は当時の新聞を調べた結果、カゾボンが通ったであろう時間・場所で大きな火事が起きていたことを突き止め、エーコに対して、カゾボンが新聞にのるほどの大火事を見逃していたのはおかしいと指摘しました。この読者は小説の中のパリと現実のパリを完全に同一化した(あるいはすべきだと考えた)というわけです。またほかの読者の中には、同じ小説の同じ章について、小説の中に登場する場所を同じ時間帯に撮影し、カゾボンの足取りを再構成した方もいたそうです。それどころかこちらの読者は、エーコが小説の中で創造した場所まで同定し写真に収めることに成功しました(カゾボンが通り抜けた中近東風の居酒屋がありますが、エーコは特定の店を書いたわけではなかったのにも関わらず、読者はその場所を発見したそうです)。つまりこちらの読者は現実のパリが小説の中のパリと同一であるように願ったということです。
 上記の読者の態度はある意味反対であるわけですが、形のない記号の集合体としてのパリ(つまり小説で描写されたパリ)に対して、現実のパリを重ね合わせることでなんらかの実体を与えたいという欲求は同じではないでしょうか。

この青年たちは、現実のパリというかたちの定まらない広大な世界に、ひとつのかたちをあたえようとして、小説を利用したのです。

ウンベルト・エーコ『小説の森散策』和田忠彦訳、岩波書店、2013年、162頁。

 私たちはこの「実体化」の快楽にとりつかれています。Googleマップを使えばいつでも街並みを見れるにも関わらず、ネットで検索すれば肉眼よりはるかに細部まで絵画を眺められるにも関わらず、私たちは現実のパリを訪れます。パリの街並みの中にカゾボンの足取りを感じ、ルーブル美術館の傑作の中に多くの人がモナ・リザについて語った言葉を見るのです。人が旅をする理由は、形のないものに実体をもたせ、経験としてのみこみたいからではないでしょうか。
 私もまた小説の世界を現実と同一化することがとても好きです(現代風に言えば「聖地巡礼」ですが、『フーコーの振り子』のテーマで書くとなにか怪しげに聞こえてしまいます)。せっかくなので上記の少々パラノイア気味の読者にならって、一度もいったことのないパリを、カゾボンの足どりをたどって「聖地巡礼」をしてみたいと思います。

『フーコーの振り子』概要

 『フーコーの振り子』はイタリアの記号学者兼小説家ウンベルト・エーコによる2作目の小説です。主人公のカゾボンはミラノの編集社と契約して働いており、物語の大半はミラノが舞台となっていますが、タイトルとなっているフーコーの振り子パリの工芸博物館にあった振り子のことを指しています。物語のクライマックスにおいて、カゾボンは夜の工芸博物館に忍び込んだり、パリの街を放心状態で放浪したりします。かなり現代に近いパリについて詳細に描写しているため、本を片手にパリを散歩するのはきっと楽しいでしょう。

テンプル騎士団の残した暗号の謎を追うミラノの編集者を見舞った殺人事件。解体された小説の迷路に読者を誘いこむ“知”の大冒険

『フーコーの振り子』作品紹介(下記リンク内より)
「フーコーの振り子」パリ、パンテオン。以下のURLより引用(撮影者等は以下URLを参照)。
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19383691

 あまりに衝撃の事実ですが、小説発売後フーコーの振り子はパリ工芸博物館からパンテオンに移転したそうです…(記事作成過程で知りました)。
 パリ工芸博物館はサン・マルタン・デ・シャン修道院という中世に建造された教会の建物を使用しており、パリの歴史ある建築物の一つです。デ・シャン(des-Champs)とは農地という意味なので、設立当初はパリ郊外だったことがわかります(現代のパリではかなり都心よりです)。
 深夜の工芸博物館の中で、カゾボンは恐ろしい光景を見ることになりますが、肝心の振り子がないのは残念です。小説『フーコーの振り子』に関するキャプションなどが設置してあるかどうかが気になるところです。

パリ工芸博物館(旧サン・マルタン・デ・シャン教会)。以下URLより引用。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paris_-_Arts_et_M%C3%A9tiers_2_cor.jpg

カゾボンの深夜行

 冒頭に記述したようにフーコーの振り子のカゾボンが這う這うの体でパリ工芸博物館の儀式を抜け出した後、彼はパリの右岸地域を茫然自失のまま歩き回ります。その行程をわかる限りたどってみましょう。

①工芸博物館からサン・メリ教会

 始まりはサン・マルタン地区の居酒屋。この店は明言されていません(どころか著者本人は特定の店をイメージしていたわけではなかったようです)。そこから工芸博物館を左手に見ながら、サン・マルタン通りをサン・メリ教会まで南下します。そこでロンバール通り(ロンバルディア、つまりイタリア人のことのようです)に入り、フラメル通り(もちろん錬金術師二コラ・フラメルのこと)の奥にサン・ジャック塔を見ます。

辻を二つ三つ過ぎたとき、突然、左手の闇のなかに浮かびあがったのは、工芸院。(…)そこからはセーヌに向かって進路を南に。

ウンベルト・エーコ『フーコーの振り子 下』藤村昌昭訳、文藝春秋、1993年、478頁。
カゾボンの行程①パリ工芸博物館~サン・ジャック塔~サン・メリ教会

ポンピドゥーセンター前広場

そして今度はボーブールの正面にさしかかる。(…)やっぱりそうだ、大地からエネルギーを吸収するこの巨大な通風孔は、昼間にボーブールを埋め尽くす群衆が、きっと振動を供給し、その正体不明のヘルメスティック・マシーンは生肉を餌にしているのだ。

同書、480頁。

 小説の記述通り巨大な通風孔(ダクト)のようなものが確認できます。昼間はかなり人が多いそうですが、現在もきっとそうでしょう。

サン・メリ教会

サン・メリ教会。向かい側に『ラ・ヴイーヴル』という本屋があり、八割近くはオカルトに関する本。

同書。

 残念ながらマップでは『ラ・ヴイーヴル』は確認できません。もうつぶれてしまったのか、小説の中だけの本屋なのか果たしてどちらでしょうか。左側がサン・メリ教会のファサード(前面)です。

フラメル通り

ロンバール通りの三叉路を直角に左に折れるとフラメル通りで、そのフラメル通りのずっと奥の夜空にぼんやりと白く浮かんでいるのは、サン・ジャック塔。その角に『アルカン22』の書店。

同書。

 『アルカン22』もまた確認できませんが、サン・ジャック塔はよく見えます。サン・ジャック塔付近の角にはZARAがあるようでした。小説の日時から40年近く経っているとはいえ、書店がなくなるのはなんだか悲しいですね。

②サン・メリ教会から二コラ・フラメルの家を通りマレ地区へ

 サン・メリ教会から先ほど通った道をとんぼ返りするように戻り、現存するニコラ・フラメルの家を訪れます。その後タンプル公園に向かい最終的にマレー地区にたどり着きます。タンプル公園などの地名からわかる通り、本書の肝、テンプル騎士団に関連する地区をまわっています。

カゾボンの行程②二コラ・フラメルの家~タンプル公園~マレー地区

二コラ・フラメルの家

後に戻り、北北東に進路をとってド・モンモランシー通りの角に出る。その五一番地が二コラ・フラメルの家。(…)その隣りは「アップル社」の広告を貼ったアメリカン・バー。「ノミを払い落とせ!」

同書、481-482頁。

 二コラ・フラメルの家は1407年に建てられたもので、パリ最古の家といわれています。現在は高級レストラン「オーベルジュ・二コラ・フラメル」になっており、ドアにもミシュランと書いてあります。現在この家の隣はアメリカン・バーではなく服屋さんになっています。

タンプル公園

 タンプル通りに出てブルターニュ通りと交わる角まで歩く。そこにはタンプル公園があり、犠牲になった騎士の共同墓地のように青ざめた庭園。

同書、482頁。

 タンプル公園(ドゥ・トンプル広場)は青ざめた庭園とありますが、Googleマップで見る限りかなり植物の生い茂った英国風庭園のようです。この小説のテーマでもあるテンプル騎士団の本拠地があった場所で、その後はルイ16世が囚われた監獄などとして使われていました。血塗られた歴史が眠る舞台ですが、セーヌ県知事オスマンのパリ改造計画の際に公園としてきれいに整備されたそうです。

ブルターニュ通りからマレー地区へ

 ブルターニュ通りからヴィエイユ・デュ・タンプル通りへ。ヴィエイユ・デュ・タンプルからバルベット通りを横切ったところに、アヒルやヘデラの葉といった奇妙な形の電気スタンドを売っているノヴェルティー・ショップが軒を並べている。嫌味なまでにモダンで、これだったら騙される心配はない。

同書。

 奇妙な形の電気スタンドはありませんでしたが、香水を売る店やマダム向けの衣料品店などがあり、落ち着いた雰囲気の通りではあります。

 フラン=ブルジョア通りまでくるとマレー地区で、マレー地区のことは知っている。そのすぐ先には、ユダヤの古い肉屋が並んでいる。

同書。

 マレー地区はフランス貴族の街として栄えた後、ユダヤ人が多く住むユダヤ地区として発展しました。現在はパリ屈指のオシャレ地区として有名で、カフェ・バーや最先端ブティックが数多く存在しているそうです。パリの中のLGBTコミュニティとしても機能しています。やはり肉屋よりもブティックや香水のお店が多く見受けられます。ちなみに地図上だとこのあたりに無印良品などもあります。

③ヴォージュ広場

 フラン=ブルジョア通りをただまっすぐ歩けば、ヴォージュ広場に到着します。上述したようにオシャレスポットなので、ただ歩いているだけでも楽しめるコースでしょう。最後に落ち着いた観光スポットとしても人気のヴォージュ広場を抜けてカゾボンの深夜徘徊は一旦休憩をはさむこととなります。

カゾボンの行程③フラン=ブルジョア通り~ヴォージュ広場~サンタントアーヌ通り

フラン=ブルジョア通りからヴォージュ広場へ

 一軒のバーがまだ開いていて、床につくほど長い前掛けの給仕が店仕舞いの後始末で椅子やテーブルを片づけている。飛び込んでビールを注文、一気に飲み干してもう一杯。
(…)
 現在位置はヴォージュ広場の角。広場を取り巻く建物の回廊を進む。

同書、483頁。

 カゾボンが入ったバーの場所は文脈から判断することは難しいです。店を出た記述の直後に、「現在位置はヴォージュ広場の角」とあるので、フラン=ブルジョア通りからヴォージュ広場に入るあたりのバーから出てきた、と解釈することもできるかもしれません。実際このあたりにはレストランやブラッスリーがあり、下のBrasserie Royal Turenne Parisで駆け付け一杯ビールを飲めばあなたも気分は小説の登場人物かもしれません。ただこのお店はだいぶ小奇麗なので、小説の中で示している場所ではなく、比較的最近できたものでしょう。

ヴォージュ広場

 十六世紀の低い天井、半円形のアーチ、版画や骨董品や家具の店が軒を並べる、ヴォージュの館。その縁が欠け落ちた古めかしい縞模様の低い玄関。百年も動かずにじっと息を潜めて隠れ住んでいる住民。

同書、484頁。

 ヴォージュ広場は四方をルネサンス様式の赤い建物に囲まれている広場で、この館には昔ヴィクトール・ユーゴーが住んでいたことでも有名です。建物の下部分は記述の通り、低い天井とアーケードで形成された通路になっており、建物の1階部分にあたる箇所にレストランやギャラリーなどが営業しています。お店は入れ替わっているのでしょうが、現代でもほぼ変わらない街並みといっていいのではないでしょうか。ちなみに下記の写真のあたりが、ヴィクトール・ユーゴーの住んでいた六番地で、現在は博物館になっています。

ビラーグ通りの角

 〈社会保険・家族年金・共催連合組合〉、七五番地、一号棟。入口の扉は新しく、おそらく金持ちが住んでいるのだろう。しかし、そのすぐ隣りにはミラノのシンチェーロ・レナート通りの建物のような塗装の剝げ落ちた古い扉、その次の三号棟には真新しい扉。(…)この一角のアーチだった部分には板が釘で打ちつけられている。ここには確かオカルト関係の本を扱っていた本屋があったはずだが、もうその店はなくなっていて、その一角が空家になっていた。(…)
 ビラーグ通りの角から限りなく続く柱廊の長い列を見る。人気はなく、真っ暗のほうがいいのに、黄色い電燈がついている。

同書。

 この七五番地はいまいちどこかわかりません。Googleマップを見る限り、ヴォージュ広場は20+αくらいまでの番地しか確認できませんでした。ただ「ビラーグ通りの角から柱廊を見た」のはおそらくまさにここでしょう。

サンタントアーヌ通りへ

 私は広場をあとにして走り出した。(…)サンタントアーヌ通りに出てタクシーを探す。まるで招霊の呪文にでも導かれたかのように現れる。

同書、485頁。

 ビラーグ通りをまっすぐ行くとサンタントアーヌ通りに出ます。サンタントアーヌ通りはかなり大きい道のようなので、タクシーが簡単につかまってもおかしくないでしょう。ここでひとまずカゾボンの放浪はひと段落つきます。

まとめ

 足取りが重なる部分もあるので、かなりわかりづらい図になっていますが、おおむねカゾボンの足取りは以下の通りになります。ざっくり計算して大体1時間くらいかかるでしょうか。パリ右岸の歴史ある地区をまわるので観光としても面白いかもしれません。経路を調べているときに知りましたが、この行程を辿っているファンは結構いるようです。幸いにして私たちはカゾボンと違い、(よっぽど運が悪くなければ)命の危険を感じながら歩くわけではないので、このパリ観光ルートを穏やかに楽しむことができるでしょう。

カゾボンの行程
パリ工芸博物館A~二コラ・フラメルの家G(A')~サンタントアーヌ通りJ

「聖地巡礼」が楽しい理由

 エーコは講義録の中で、多くの人がフィクションの登場人物に感情移入してしまう理由を考察していました。

また、「小説の読者によって常に結ばれる暗黙の協定によって、読者はフィクションの可能世界を真剣に捉えるふりをする」ということも述べました。そのため、強く引き込まれるような魅惑的な物語世界に出会うと、テクストのストラテジーによって、神秘的な恍惚や幻覚に似たようなものが引き起こされ、読者は自分が入り込んでいるのが単なる可能世界であることを忘れてしまう場合もあります。

同『ウンベルト・エーコの小説講座-若き作家の告白』
和田忠彦・小久保真里江訳、筑摩書房、2017年、131頁。

 フィクションの可能世界を真剣に捉えるふりをするとは、小説を読むとき特有の「書いてあることは小説(の設定)なので、その世界観を前提としてある程度無条件に受け入れなくてはいけない」というテクストと読者の間の約束のことです。この約束があるがゆえに、素晴らしい小説を読むと、感情移入しすぎて現実と可能世界(小説の中の世界)を混同してしまうことがあると述べています。
 エーコが論じていたのはフィクションの人物への感情移入についてでしたが、物語舞台への感情移入という意味でも似た論理で考えることができるのかもしれません。私たちは小説の登場人物が実際に(可能世界の中で実際に、という意味です)歩いた通りを同じように歩き、語った建物をこの目で見ることでより深く物語と自分を同一化し、可能世界の中に自分を置くことができます。実は私たちは進んで現実と小説を混同したがっているのです。それは混沌とした無限の世界に解釈という一つの秩序をもたらす行為です。そうすると世界を少しだけ理解した気分になります。これが人に安心をもたらし、楽しいと感じるのかもしれません。

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