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卒業式で送辞をよんだ日のこと

中学2年生の春。
先輩方の卒業式で、送辞を読みました。


ある日の放課後、厳格で怖い先生から呼び出しをくらいました。呼び出しの事実だけで寿命が1年くらい縮んでしまう私は、ぞくぞくしながら職員室に向かいます。

職員室で先生に声をかけると、別室に案内され机に向かい合う形で椅子に腰を下ろしました。

私は何をやらかんだろう?

全く身に覚えなのない別室連行に、顔は硬直し肩は上がっていました。

「〇〇に送辞をお願いしたい」

そうじ?

そうじを正しく漢字変換できないでいると、強面先生が歴代の送辞用紙を机の上に広げました。見た目は芳名帳みたいな冊子です。

やっと事情を飲み込み、強面先生を前に断ること選択肢などなかったため「わかりました」と返事をします。

そこから、卒業式まで送辞と向き合う日々が始まりました。

まず、文章の作成から。ただ読むだけだと思っていたら、自分で言葉を考えるのか…と呆然したことを覚えています。

お世話になった先輩方数人の顔を思い浮かべ、定型文を参考にしつつ必死に考えました。

体育祭では…文化祭では…と一つ一つの行事から思い出を捻り出し、きちんとした言葉選びを心掛けます。正直、テスト勉強の何倍も苦労しました。

強面先生は国語の先生だったので、文章を添削してもらい、また受け取り、という作業を何往復かしたのちに、先生の前で読む練習をすることになりました。

てっきり、強面先生の前だけで朗読するのかと思いきや、学年主任の先生もその場に登場。そして、お二人とも国語の先生。緊張で喉はカラカラ、体はブルブルに震えました。

「もっと、ゆっくり」

「もっと、言葉を丁寧に」

何度も冒頭の一文を言い直します。ゆっくりゆっくり…緊張している状態でのゆっくりは、全然ゆっくりになりません。

そうやって、初めてのお披露目会を終え「〇〇なら大丈夫ですね」とお墨付きの言葉をもらってしまいました。

ありがたいお言葉のはずが、先生の期待にますますプレッシャーを感じることになります。

文章が固まったその日から、私の猛特訓が始まりました。ゆっくりゆっくり、丁寧に。夜ご飯を食べながら、お風呂に浸かりながら、何度も送辞の練習をしました。

「よし、これで当日も大丈夫」

卒業式の前週に国語の先生方にOKをいただきました。この頃には人前で送辞を読む緊張も薄れ、なんならほぼ暗記状態に。

お風呂で練習した甲斐があったのか、送辞が自分のものとしてスラスラと口から溢れ出てきていました。


卒業式当日ーーー


厳粛な雰囲気の中「在校生代表…」と自分の名前が体育館にこだまします。緊張で胸が張り裂けそう……になるかと思いきや、練習をしすぎていたため不思議と無敵な気分でした。

壇上に上がり、送辞の1ページ目を開きます。

すっと息を吸い、何度も反復した一文目をゆっくりと発しました。

そこから、12分間。

一度も原稿に目を落とさず、しかし、ページをめくるタイミングは感覚で覚えていたので、手元は動かしながら、卒業生の顔を見て送辞を贈りました。

今だから言えることですが、言葉を発しながらも違うことを考えられるくらいに余裕をぶちかましていました。

心の中で、あの卒業生、寝落ちしてる。あ、小学校の頃に仲良かった先輩だ、など。一人ひとりの顔をじっくり見回しながら送辞を読んでいる姿は、少し奇妙に映っていたかもしれません。

そう、奇妙でした。

12分もの間、原稿を何も見ず、ゆっくり丁寧に語りかけている中学2年生は、ちょっと子どもっぽくないと言いますか、何か乗り移っているようだったのです。

その奇妙さは一部卒業生も感じたことらしく、当時流行していた「戦場カメラマンの渡部陽一」が送辞のあの子に降臨している、と卒業式直後から噂されました。全然嬉しくない。

先生や保護者からは拍手喝采。でも、12分もゆっくり原稿を読んでいるとき、あくびを噛み殺したり時計をチラチラ見ていたのことに、気づいていました!とは口が裂けても言えませんでした。

なんだかな〜、ちょっと練習しすぎたかもしれない。と後にも先にも、練習のしすぎで心悔やんだことは、この時だけかもしれません。

卒業式シーズンになると「戦場カメラマンの渡部陽一」が降臨した、と噂された時のことが蘇ります。

いっそのこと、降臨してくれていたら良かったのですが、あの日の私は紛れもなくいつもの私でした。

誦じた送辞は一文たりとも覚えていないのに、10年以上経った今でも複雑な気持ちがぼんやりと残っています。


ーーー卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。




前回のエッセイはこちらです。

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