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人前で歌うの無理だった話

こんばんは。

バンドでボーカルやってた身ですが、
子供の頃から人前で歌うの恥ずかし過ぎて無理でした。

発表会の劇とか、
笑いを取るシーンは全力のボケをかまして
体育館中を爆笑させてたんですけども。

歌は無理でしたね〜。

とにかく周りに聞こえるボリュームで
歌うのが恥ずかしくて。

小学校中学校通して、
歌う声小さ過ぎて音楽の授業で注意されてましたね。

とはいえ、小学校でピアノ習い始めて。

理由が
「兄貴も姉貴もピアノ弾けるのに自分だけ弾けないのは嫌だ」
という意地っ張りな感じでした

そんでピアノ教室に通う事になり

めちゃくちゃやる気を出して

1番最初の教本を
1週間で全曲弾けるようになりました笑

自分からやる気出した分野は
めっちゃ頑張る子どもでした

しかし

母親が毎日の練習時間を指定してきたり
家での練習に立ち会うようになってからは


一気にやる気を失くした笑

ピアノ教室もサボって近所の書店で少年ジャンプ立ち読みするようになりましたね💦

しかし

「先生!ぼく、今度の発表会でオレンジレンジ弾きたいです!」

という要望が叶い

他の生徒ががクラシックやジブリを発表する中で
オレンジレンジの花という曲を演奏し

ピアノの先生曰く、
「普段の姿とはまるで別人のように活き活きと演奏していた」と。。。


子どものやりたい事にあんまり大人は手を出さず口を挟まず、伸び伸びとチャレンジさせてあげるのが一番、という事例でしたね(多分

で、この時がキッカケでコードとかキーとか、音楽理論を少しずつ覚えて、耳コピもできるようになったし、好きなバンドの曲をピアノアレンジで弾けるようになっていきました。

音感が身についてきたタイミングでギターも弾き始めたので、高校に上がる頃にはギターアレンジも耳コピも多少できるようになってましたね。

独学だけど、県の作曲コンクールでいきなり3位に入賞したりとか。

ウチの両親は1番偏差値高い進学校に合格するよう躍起になってましたが、それ実現するための力を、ちゃんと自分の自己実現のために注いできました。

2番目に偏差値高い高校に入れたし、
内心そんくらいの方が自分にとっても居心地良かったのでホッとしてました。

そんな高校での一年生の時の音楽の授業。

「自分の好きな曲でも何でも、自由に発表してみましょう」

という、教育現場の鑑のような課題を貰えました


この時に初めて、ピアノ弾き語りで自分のオリジナル曲をクラス全員の目の前で投下する、という自殺行為に踏み切りました


毎晩家のピアノ弾きながら作曲してました

そんなヒマあったら大学進学のために勉強しろ、と口うるさく言われるから
親が風呂入ってる合間を見計らって練習してた


もうその頃、だいぶ虐待されてたし
自尊心もボロッボロだったし


音楽しか自分には無かった


自分で作った歌詞とメロディを人前でやるなんて半端なく怖かったし


授業当日も、ピアノの前に座って
足がずっとブルブル震えてて


まあやるしかないから


ほぼノーミスで弾けたし
多分声もちゃんと出てた


クラスの皆も先生も
すげー拍手してくれた


当時ずっとケンカで口聞いてなかった奴も
「メッチャ良かったよ」って握手してくれた



生きててあんなに褒められたことなかったからね


16歳には刺激の強すぎる経験だったし



ああ


自分って生きててもいいんだな

って思いました


自分が自分のまま
生きる事を許して貰えた


そんな感じでした



有難いですよ本当に
笑顔で接してくれて
自分の存在を肯定してくれてる人がいるって事



いまだに
早く消えたいし上手いこと死ねないかな、
とか思うけど



こういう時に救われるし
幸せに思えますね


ちょっとテーマから外れましたが



なにも隠さず押さえ込まず
自然な自分のままで
誰かと関わり合えるということは
本当に幸せな事です


読んでくださった皆さんにも、
1人でも多くそんな人達が
ずっと居てくれますように。

ではまた。、

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