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「進路:わからない」って書いてもいいんじゃない?

3月4日(月)に高校生みらいラボの出張授業で文京区立第九中学校第一学年を訪問させていただきました.
そして今回は全15回の授業の最終回!
第二学年と同様「1人で1分間以上クラスのみんなの前で原稿を見ずに自分がやりたいことを発表する!」というミッション発動です✨

今までの授業ではワークシステムを用いて自分がワクワクする学問分野や職業,動名詞(おもしろい企画をする,こどもと関わる等)を選びそれをもとに自分だけの職業(鬼盛職業)を作るワークをやりました.
また,自身の過去のエピソードを振り返り,何が今の自分の判断に影響を与えているのかを体感してもらいました.

そして授業最終回の今回は発表会!
こちらも2年生と同様「発表するのー.えー」という反応.
なんだかこうゆう素直な反応ができるっていいなって思います.
大人の目を感じてなかなか自分の感情を言えなくなることってかなりありますからね.

発表するためにみんなの前に立つときにはどの生徒さんも緊張した面持ちをしているのですが,発表が終わるとクラスの子の拍手を聞きほっとした表情をするんですよね.
「自分のやりたいこと」を話すのは授業の発表とはまた違った感覚なのだと思います.

今回の発表で目立ったのが「自分の進路についてはわかりません」という言葉.
本当なら,「今興味を持っている進路って何かある?」とか聞いたほうがよいのだろうかと発表者の横でしゃがみながら考えていたのですが,過去の自分の経験からどうしても言葉にすることを促せませんでした.


私は将来の夢を小学6年生のときに決めた.
6年生主催で開催するイベントで,私は体育館掲示について担当するリーダーになった.
当時から会場装飾についてはその小学校では一番詳しかったのもあり,先生からの期待や同級生らからのどんな装飾を作るんだろう!というキラキラした目が私のやる気を引き起こし,朝から晩までずっと装飾のことばっかり考え2か月ぐらいは画用紙を切り貼りして掲示物の試作を繰り返していました.

どんなに考えても,準備時間と装飾物の量が合わない.もし,このままのメンバー数と時間でやるなら体育館の壁の一部ががら空きになってしまう.
そこで苦肉の策で,6年生全員に将来の夢の絵を画用紙にそれぞれ書いてもらうことにしたのだ.
これを縦に吊って並べれば空いた壁も埋まるし,イベント当日まで体育館の全面を装飾することができる.
もちろん,この絵の制作企画の立案者も依頼者も私なので自分も描かなくてはいけないことを誰よりも先に知っていたんですよね.
内心,(自分の将来の夢ないから正直やりたくないなこの企画.)って思っていました.本当にごめんなさい.

でも,自分が言ったんだから描かなくてはならない.当時から学校の先生とはよく話していたのもあって,学校の先生を描いてもいいなぁと思っていた.
仲良くしていた先生から「菅谷さんは将来の夢の絵何を描くの~」と聞かれたとき私は咄嗟に「学校の先生描こうと思います.面白そうですし.」と答えてしまった.
そのときの先生のキラキラした笑顔が今でも忘れられない.とても素敵な笑顔だった.
その先生は近くにいた別の先生をとっ捕まえて「菅谷さん!教師の絵描いてくれるって!」と大喜びで伝えるとこれまた別の先生も喜んでくれた.
私は小学校のときの先生方にはかなり恵まれていたのもあって,尊敬している先生方がこんなに喜んでくれることは私にとって大きな自信になったし,あぁこれが”正解”なんだと考えるようになった.

イベントは大成功した.体育館装飾についてもこの小学校に長年勤めている先生から「過去最高の出来栄えだと思う.ぜひ写真を撮って帰ってくださいね」とお褒めの言葉もいただいた.
そして私は,将来の夢を決めることは正しいことであり,将来の夢が決まっている子はいい子なんだという価値観を獲得した.


この価値観はこの後の何年間かを思考停止して過ごす要因の一つになってしまった.
進路が決まっている子がえらい.ならば,「教員になる」という夢さえ持っていれば高校進学→大学進学→教員免許取得→教員になるという決まったレールがある.
自分の夢がある,将来を見通すことができる,その目標に向かって計画的に動くことができる.
これだけで周りからは最高の評価を得られる.

だから,私はどんなに教職の嫌な部分を見せつけられても,信頼していた先生が突然学校に来れなくなってしまっても,「あなたが教員になるのはもったいないから,やめたほうがいい」と言われても意地を張って「教員になる」という夢を変えようともしなかった.

大学受験のとき,一人でのんびり考える時間が増えたこともあり「自分の進路,こんなもんでいいのか?」と考えるようになった.
中学生のころから教員になるためにいろんな勉強をした.この時点でそこらへんの大学生よりは教育については詳しくなっていたと思う.おかげで,大学の授業で出てくる言葉や思想については聞いたことがあるものが多い.
高校生のときは教育の分野でそれなりに活動して,それなりに多くの人に影響を与える立場にいたと思う.おかげで,今も教育に関する活動を続けることができている.
それでも,今のままの進路に進みたいの?6年間こんなに勉強して活動してなんで夢が変わらないの?

大学受験間際に悟りました.
「多分,自分は教員にそこまでなりたくないんだな」と.
教員養成課程への受験が決まっているのに.

なんなら代表と初めて話したときにぽろっと言われた「菅谷さん研究者向きなんじゃない?」という言葉が思い出されて,「いいなぁ研究者」とまで考えるようになっていたのだ.

私は今だから思います.
あのとき,「進路:わからない」と書いても良ければもっと自分の進路をしっかり考えられるようになってから考えていたかもしれないと.
「進路:わからない」と言っても否定されることなくそうゆうこともあるよねと認められていたら,自分のやりたいことを見つけようと思えたかもしれないと.


私が高校生みらいラボで出張授業をするとき,「わからない」という言葉を悪い言葉だと思わないようにしています.
だって自分の将来がわかんないのなんて当たり前じゃん.
私だって明日の予定あんまりよくわからないもん.(それはカレンダー見ていないから.)
わからなくてもいいと思う.それが今の自分だと捉えることができるのであれば.
この授業では「進路:わからない」と書いている子たちに,「なんかいいかも!?」を探すためのアイテムをプレゼントしたり,視点を見つけたり,きっかけを作ったりすることが大切なことだと私は思っています.
最終的には親でも先生でも私たちでもなく「自分の頭で考えること」ができるようになってほしい.

授業終わりに担当の教室の子たちに話したいと口から零れたのは,
「今日,自分の進路についてわからないって言ってくれた子たちいるよね.今は全然それでいいんだよ.周りが進路を決めているからといって焦る必要はないからね.これから,高校生みらいラボの授業で見つけた考え方や周りの友達や先生の話を聞いたりしてじっくり考えてみてね.
逆に,もう決まっていると言ってくれた子たち.これからいろんな経験をしていく中で面白いと感じるものはかなり変わってくると思う.今回発表したことをこれで決まり!とするのではなく,これからもずっと考え続けてね.
まだ中学校だけでもあと2年もあるのよ!?いっぱい時間あるんだから贅沢に使いな.
高校生みらいラボの私も他のメンターさんも先生もこの授業でたくさんのことを伝えたけれど,最終的に自分の将来のことを考えられるのは私でもメンターさんでも先生でも親でもなく自分だけだから,そこのところは忘れないでね.」
ということ.
文章に起こすと長い...…


一旦,私が今年度出張授業をするのは今回が最後.
今年度,学校連携の担当になってから,大学の課題に追われ,資料作りに追われ,会議では疲れて寝て,至らないところが多いなかで各学校の担当の先生方には親身に対応していただき本当に感謝の気持ちでいっぱいです.
いらぬ負担をおかけしてしまったのだろうなと定期的に心が痛んでおりましたが,少しでもお役に立てたのであれば幸いです.

そして授業に欠かすことができないメンターさんも!
急にご依頼しても快く学校に集まって授業サポートをしていただいてありがとうございました!
来年度はもう少し,スムーズにできるように頑張ります!

ではでは,来年度もどうぞよろしくお願いいたします.




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