人生に悩み東大を休学した1年前のぼくへ
さて、そんな24歳の誕生日からちょうど1年。
「25歳の大学4年生」が爆誕してしまったわけだが、1つの節目なので休学を終えた今感じていることを記しておきたい。
結論から言うと、
「何か明確な答えが見つかった!完ぺきにすっきり!」というわけではない。
信じると決めたはずの道に自信がなくなるときもあるし、怖さや不安に飲み込まれそうな日だってある。
でもじんわりと何かが変わりつつある感覚がある。
自信もかなり回復したし、自分との付き合い方もマシになった気がする。
何より、休学という決断をしてよかったと思えている。
このnoteでは、休学中の1年間を振り返るとともに、未来の自分にメッセージを残しておきたい。
ダメダメな面も含め、成長の過程をなるだけ赤裸々に綴ってみたい。
そうすることが、将来も変わらずもがいているだろう僕の背中を押すはずだから。
大学1・2年生〜社会課題への理解を深める〜
幼い頃からなぜか、社会に貢献したい、人の役に立ちたいと思っていた。
生まれ育った大分県では、過疎化や少子高齢化のニュースがよく流れていた。
実際、母校の小学校が閉校になってしまったこともあり、地方創生にも漠然と興味をもっていた。
家族の支えといくつかの偶然が重なって、3度目の試験で東京大学の法学部(文科一類)に入学した。
高校生の僕は、どうやったら社会に貢献できるかなんてわからなかった。
だけど、官僚になったら日本の抱える課題を解決できる気がして。
あるいは、「社会のために俺たちは何ができるんだろう」なんて青臭いことを、恥ずかしげもなく語りあえる仲間に出会える気がして。
4年前の4月、僕は憧れの門をくぐった。
実際、大学では本当にたくさんの出会いに恵まれた。
社会課題について学び、国の視点から解決策を考えてみたり(学生団体GEIL)、
机上の空論ではなく住民目線の地方創生をめざして、ひたすら地域に通い詰めてみたり(東大むら塾)。
こうした活動の中で、多くの経験をさせてもらい、かけがえのない仲間ができた。
社会課題が複雑に絡み合っていることを知ったし、自然を相手にする農業の異質さも知った。
それに、僕がお世話になった福島県飯舘村の農家さんは
「社会課題を抱えている弱者」なんかじゃなく、
「一人のかっこいい経営者」だった。
この気づきは「社会貢献したい、課題を解決してあげたい」と意気込んでいた僕にとって衝撃だった。ハンマーで頭を殴られたようだった。
---
活動拠点だった飯舘村に通っていた2年生の秋頃から、自分の中で新しい悩みが生まれてきていた。
少なくとも僕が出会った農家さんは情熱に溢れ、困難をものともせずに突き進んでいくような人だった。
でも同時に彼らは、人口減少や少子化といった個人では抗いようのない構造的な課題に直面してもいた。
現場に足を運べば運ぶほど、理論を学べば学ぶほど、問題がいかに巨大で複雑かばかり理解される日々。
そんな社会課題に対して何ができるのか。
果たして官僚を目指すのが最善なのか。
3年生が迫り、「就活」という単語がちらほら聞こえてくる中で、身の振り方について悩みはじめていた。
まさにその時、先輩に紹介してもらったのが『都市と地方をかきまぜる』という本だった。
そして僕は大学生活2度目の衝撃を受けた。
そこに書かれていたビジョンに強く共鳴し、ひとつ一つの言葉に心から共感した。
そして、著者の高橋博之さんが経営している会社でインターンをしたい、彼から直接吸収したいと思った。
調べてみると2年前を最後にインターンは募集していないようだったが、
それでも熱量を抑えきれなかった僕は、高橋博之さん(以後、博之さんと呼称)にDMを送り、なんと受け入れてもらえることになった。
こうして大学3年生の4月から1年間のインターン生活がはじまり、僕は博之さんの運転手として全国行脚することになる。
大学3年生〜現場に飛び込む中で悩みが深まる〜
こうして始まった憧れの人との全国行脚。
約8ヶ月間で全国47都道府県をまわった。
農家・漁師をはじめ様々な方にお会いした。
この1年間については別のnoteで書いたので今回は割愛する。
でも、結論として、僕はいつしか自信を失っていた。
あんなにワクワクして始まったのに、博之さんへの憧れは変わらないのに、人と会うのが怖くなっていった。
インターンの仕事、大学の期末試験、就職活動。
大学3年生の冬、色々なものが押し寄せる中で、2回目の緊急事態宣言宣言の発出も重なり、ひとりアパートにこもってしまうようになった。
14時くらいに起きて、それでもやっぱりベッドに寝たままで。
特段見たくもない動画をYouTubeやNetflixから垂れ流し。
日が暮れる頃になって、いい加減何か食べなきゃとベッドから起き上がる。
そんな日々を過ごす中でも、どんどん決断しなきゃいけない期限は迫っていった。
結局そんな状況が1ヶ月も2ヶ月も続き、僕はどんどん負のループに絡め取られていった。
ただ、あるタイミングで数人の友人にそういった弱さをさらけ出せるタイミングがあって。
ほとんど同じタイミングで親とも話す機会があって。
僕は、1年間だけ休学させてもらうことにした。
休学の理由としては上に挙げたような精神的なものが大きかったし、時間ばかり浪費していた中で進路選択を先延ばしにしたい「逃げ」の部分が大きかったと今は思う。
でも同時に、自分の中で変化というか新しい感覚みたいなものを自覚しつつもあった。
博之さんと全国をまわった1年間は、良くも悪くもそれまでの22年間とは全く違った。
The・優等生として生きてきた自分とは全く異なる豪快な生き方をしている人とたくさん出会った。
「社会的にはこう進んだ方がいい」という道ではなく、「俺はこう進みたいからこっちに行く」という人生の選択をしている人とたくさん会った。
そうした出会いを繰り返す中で何か新しい感覚があった。
でも、大学生活はあと1年間で就活と単位取得がメインになりそう。
掴みつつあるこの感覚を自分のものにするにはどうしても時間が足りない。
そこで1年間だけ時間をもらって、今度は博之さんを通してではなく、自分自身の目で世界を体感してみよう。
そう思って休学した。
それなのに、結局何もできていなかった。
それが冒頭に書いた昨年の誕生日、6月7日だ。
たしかにいくつかのイレギュラーはあったが、それにしても何もできていなかった。結局同じようにベッドの上で過ごしていた。
だからこそ、友達からのラインに怯えていた。
そしてよくないことは重なるもので、誕生日の2日後、僕はコロナに感染してしまった。家からほとんど出ていなかったのにである。。
結局、3日間ほど40度近くの熱にうなされた。
その後、症状は落ち着いたが、10日間ホテル療養することになった。
泣きっ面に蜂とはまさしくこのことだと思った。
でも実は、このホテル療養が転機となって僕は行動をはじめるようになる。
場所を変えたことがよかったのか、療養期間中に気持ちの整理ができた。
何人かに連絡をすることもできた。
そうして、2週間後、僕はひとり屋久島に向かった。
休学した1年間〜ひたすら行動する〜
一度動き出してしまえば、残りはあっという間だった。
7・8月は屋久島のゲストハウスでアルバイト。
9月は軽自動車を借りて全国をひとりでまわった。
11月は北海道で1番小さな村で過ごし、
12月から春までは、宮崎県の人口1万人の町でインターンした。
それぞれが宝物のような日々で、やっぱりまた多くの出会いに恵まれた。
以下、休学中の動きをハイライトでお届けします。
これまでのふりかえり
そして、4月からは東京に戻って復学し、久しぶりにじっくり腰を据えて学問と向き合っている。
この2年間かなり色々と悩んできたが、やっと考えがまとまってきたので、ふりかえりとして残しておきたい。
「行動する」とは
1つ目は「行動する」ということについて。
まず僕は、「自分ひとりの力で行動できていたわけじゃない」というあたりまえの事実に気がついた。
メッセージをしたときに、それを受け入れてくれる人に恵まれているのはもちろん、メッセージをするという行動自体もたくさんの人に支えられていた。
塞ぎ込んでしまってどうにもベッドから起き上がれない日々。
そこから抜け出すきっかけになったのは、友人とのドライブで弱い自分をさらけ出せたからだ。
でも、その友人に思い切ってLINEをできたのは、たまたま電話をくれた、また別の友人のおかげだ。
彼とたわいもない話をする中で、彼の声を聞く中で、自然と前向きな気持ちになれたからだ。
ついこの前まで、博之さんにDMしたのは僕が自分自身の思いを抑えきれなかったからだ。完全に自発的な行動だと思っていた。
でも、ぜんぜん違う事実がつい最近、発覚した。
なんと当時煮え切らずにいた僕に、「それは絶対にメッセージした方がいいよ」と友人が背中を押してくれていたのだ。
完全に記憶を捏造してしまっていたが、たしかにそんな履歴が残っていた。
僕は自分自身の力だけで行動できていたのではなく、
周囲の支え、そして家族の支えがあったからこそ動けていたんだと、改めて自覚した。
---
「行動する」ということについて、もうひとつ気がついたことがある。
それは、「どんなに頑張っても行動できないタイミングがある」ということだ。
家で塞ぎ込まずに外に出て、友人と会って話した方がいい。頭ではわかっている。
悩んでいる間にも時間は過ぎ、間に合わなくなってしまう。だから動き出した方がいい。理解はしている。
でも、どうにも動けない。そしてそんな自分が嫌でまた塞ぎ込んでしまう。この負のループを身をもって痛感した。
しかし同時に、この無限ループから抜け出し、「行動する」ための自分なりのコツも発見した。
それは、「もしかしたら今いけるかも」というタイミングで、勇気を出して「半歩だけ踏み出してみる」ことだ。
僕の場合はその半歩の勇気が、
友人と電話して少し前向きになったタイミングで、また別の友人にLINEをしてドライブに誘うことだった。
コロナでホテル療養になったタイミングで、屋久島のゲストハウスオーナーにメッセージすることだった。
そして意外と、半歩踏み出すだけで、あとは勝手に雪だるま式に行動が連鎖していくみたいだ。
もし過去の僕と同じように、今どう頑張っても動けない人がいたらこう伝えたい。
悩んでいていいんだよ、悩むのは悪いことじゃない。
行動しているからこそ、壁にぶつかって悩みが生じているはずだから。
それに、頑張れないときはあるし、時間しか解決してくれないこともある。
でも、「今かも」というタイミングがあったら、勇気をもって半歩だけ踏み出してみて。
その半歩があなたを救ってくれることがあるから。
「自分自身を理解する」のが好き
もう1つ、やっと自分の好きなことが見えてきたような気がしている。
僕はどうやら、人の話を聞くこと、特にその人のライフストーリーを聞くことが好きなようだ。
僕が農業や地方への興味を強めたきっかけは、大学2年生のときに訪ねた飯舘村での経験だ。
ある農家さんとお話しする中で、その農家さんの生き様に強い衝撃を受けた。
博之さんと全国を回っているときも、休学中にひとりで全国をまわっているときにも、本当に色々な人とお話しさせてもらった。
これまでの人生では接点がなく意識していなかったけど、想像していたより何倍も多様な生き方があることを知った。
これまでどんな人生を歩んできて、今は何に興味があって、将来は何をしたいと思っているのか。
お互いにそんな話をする。
ちょっぴり青臭いそんな時間が何よりも大好きなことに思い至った。
そして、もっというと「自分自身を理解していくこと」が究極的には好きなのかもしれない。
お互いのことを話していく中で、似ているところと全然違うところが浮き彫りになっていく。
自分のことは自分ひとりじゃわからないけど、誰かと話していくと意外な自分の側面に気づいたりもする。
新しい場所に思い切って飛び込んでみたいと思うのも、その行動を通して自分自身が浮き彫りになっていくからなのかもしれない。
進路のことはまた別の機会に報告できればと思うが、
僕はやっぱり地方に関わりたいと思っている。
海外留学をして価値観が揺さぶられる人がいるように、僕の場合は地方でその出会いがあった。
たくさんの困難はあるけれど、自分の人生の舵取りを自分自身でやっているような人。
そんな人と出会えて、語り合える確率が高い場所が、僕にとっては地方だった。
だからこそ、こんなにずっと心惹かれているのかもしれないと最近気づいた。
まとめ〜未来の僕へのメッセージ〜
先日、身内に不幸があった。
電話ごしに聞こえてくる親の声が、涙声になっているのを聞いて、心がキュッと締め付けられた。
今年の誕生日で僕は25歳になった。
あまりに今更であるが、いよいよ自立しなければ。
これからは自分が家族を支える番になるんだと痛感した。
行きたかった大学に入れて、たくさんの経験をさせてもらえて、そして何よりこんなに悩む時間を与えてもらって。
どれだけ自分が恵まれた環境にいるのか改めて痛感した。
これからの人生で僕は、地域に社会に貢献していきたいと思う。
でもそのためには、まずもって自分自身が自立して幸せを感じていなければならない。
そして、最も身近な存在である家族との時間を大事にしていかなければと思う。
未来の俺、頼んだよ?少しずつでもいいからちゃんと行動で示そうね?
---
そして、もうひとつ未来の自分に伝えておきたいことがある。
「わかった!ループ」についてだ。
休学する前の僕は、自分がやりたいことがわからない、何が好きかわからないと悩んでいた。
これまでの人生では、The・優等生って感じで、社会で正解とされている選択肢を、ほぼ無自覚に選び取って生きてきた。
でもそれじゃだめで、「自分自身は」どうしたいのか考えなきゃいけない。なぜ社会貢献したいのかもっと言語化しないといけない、自分軸で生きなきゃいけないと焦り、もがいていた。
でも最近「わかった!」瞬間があった。
自分軸で生きなきゃと焦っている時点で、また新たな「正解」に捉われていたんだなと気づいた。
これまでの自分の生き方じゃだめで、もっと自由に、本当に自分がやりたいことを見つけて生きないといけない。
いつしか、そうした新しい規範に捉われて苦しんでいたのかもしれない。
そんな風に気づいて、ふっと気持ちが楽になった瞬間があった。
思い返してみると、僕は何度もこんなループを経験しながら少しずつ成長してきたような気がする。
大学1年生で政策について考えているときも、福島県の飯舘村に通っているときも、悩んだすえに「わかった!」という瞬間があった。
でも少しするとまた新しい壁にぶつかった。
大学3年生で博之さんと全国をまわっているときも、休学しているときも、苦しいトンネルを抜けた先に、ふっと視界が開ける瞬間があった。
でもまたしばらくすると新しい問いが生じてくるはずだ。
そして、将来このnoteを見返しているだろう僕も、また新しい壁にぶつかっているんじゃないかと思う。
でも、未来の僕にはそのループを前向きに楽しんでいてほしい。
新しい壁にぶつかって悩むのは、行動して問いを持ち続けているからだ。
それに、新しい壁に直面できる、悩めるということ自体とても恵まれていることなんだと思う。
何より、未来の僕がどんなにどん底にいるとしても、君にはたくさんの大事な場所と大好きな人たちがいることを思い出してほしい。
こうしてnoteを書いて自分の近況を伝えたい人がたくさんいるし、また会いに行きたい人が全国にたくさんいる。
違う分野だけど、泥だらけになってもがきながら前に進もうとしている仲間がいるし、かっこいい背中を見せ続けてくれる人生の先輩たちがいる。
そして、ずっと気にかけてくれて、帰る場所となってくれる家族がいる。
だから、どうか未来の僕にもチャレンジを恐れず、悩みもがき続けていてほしい。
君は決してひとりじゃない。
心からの感謝と半歩の勇気を持てば、いつか必ず道は開ける。
今の僕から、未来の僕へのメッセージだ。
---
(1年前の休学を決断したときに書いたnoteです。お恥ずかしい内容も多いですが、読んでいただけるとうれしいです。)
(SNSは主にTwitterを使っています。よければぜひつながってください。)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?