琳琅 第三号より、「棚の間」武村賢親

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 レジで用を済ませ、興奮冷めやらぬまま出入り口を抜けると、そこには家にいるはずの路子の姿があった。スマートフォンも財布も持たず、ただまっすぐに私を見つめて立っている。

「家にいろと言っただろう。なんで出てくるんだ」

「だって、心配だから」

 そう言って路子は私の手から提げられているビニール袋に視線を落とした。酢豚のパックと紹興酒のラベルが透けて見えている。

「これは夕飯のおかずと、晩酌用だ。ヨーグルトもシイタケも、ちゃんと返してきた」

 いや、ちょっと待て。そもそも路子と一緒じゃなかったのだから、こそこそ商品を返したりせず、堂々と店員に事情を話して引きあげてくればよかったのだ。盗んだのは私でないし、きっと路子が幸穂の連絡先を告げる前に店員による身元の確認は済んでいるはずだ。身内の犯してしまった罪を謝罪しにきたのだと素直に告げればよかったのではないか。

「そうじゃなくて、あなたのことよ」

「私の」

 血の気がさっと引いた気がした。まさか路子も榎田さんと同じように、私がクレプトマニアになるのではないかと疑っているのか。

 とっさにトートバッグの持ち手を掴んだ私の背に、男性の野太い声がかけられる。

「すみません。お支払いのお済でない商品はございませんか」

「なんですって」

 振り向いてすぐの距離に立っていた男は、ストライプ柄のワイシャツにエプロンをつけた店員だった。お支払いのお済でない商品です、と繰り返す男の胸には「店長」と印字された名札がつけられている。

「いえ。すべてお支払いしましたが」

「左様でございますか、ですが少々、確認させていただいてもよろしいでしょうか」

 そこまで言って、店長の男は私の後ろにいる路子の姿を認めた。さっと表情が変わり、あんた、ここは出禁だってさっき言ったばかりでしょう、と語気を強めて言う。

「私の妻です。先ほどはご迷惑を掛けたそうで、申し訳ありませんでした」

「商品の確認は事務所の方でよろしいですか」

 急に態度を強くした男は、いまにも私の腕を掴みそうな勢いで一歩距離を詰めてきた。煙草の匂いが鼻をつく。見ればエプロンのポケットの奥に、煙草のパッケージとオイルライターの頭がのぞいていた。

「いえ、この場で結構でしょう。代金はすべてお支払いしましたし、袋の中にレシートもあります。ご希望ならバッグの中も確認してください。財布とスマートフォンしか入っておりませんが」

 私が彼の申し出に断固として従うつもりがないことを感じとったのか、男は厳しい表情を崩さぬまま、路子と私とを交互に睨んだ。

「ほんとに、困るんですよ。軽い気持ちで万引きなんてされちゃ。いくら病気だって法律が適用されないわけじゃないんだから」

 話をすり替えるな、いま疑いをかけられているのは私のはずだ、と男の非礼を指摘しようと口を開く瞬間、背後にいたはずの路子が私の隣に立って、すみませんでしたと深々と一礼した。

 おい、と咎めようとした私の声をかき消してなおも男は食い下がってくる。万引き一つで店の利益がどれだけ消えるのか、盗まれたという噂で連鎖的に犯行が重なるんだとか、手前の対策不足を棚に上げてすべての責任を路子にかぶせようとするその男の態度に、私は吐き気すら覚える嫌悪感を抱いた。

 それは路子も同じだったようで、口元を抑えて気分の悪そうな仕草をする。それが気に入らなかったのか、男はさらに攻勢を強めようとした。さすがこれ以上は我慢ならないと、私はわざと男の胸に拳をぶつけるようにして袋とバッグを押しつけて、レシートは中、確認はそっちでやって、と周囲に聞こえるくらいの大きさで叫んだ。その瞬間、ひとのものとは思えないほど低い呻き声が隣から聞こえて、足もとからつんと饐えた匂いが立ち昇ってきた。見れば路子が地面に髪の先が触れるほどしゃがみ込み、口もとを覆った手の隙間から粘度のある糸を何本も垂れ流している。

 嫌悪感からか、詰め寄られたストレスからか、本当に吐き戻してしまった路子の背中をさすりながら、もう限界だろうと、もう自分たちではどうにもならないと確信し、私は路子を榎田さんのもとへ連れていく決心をした。

「……商品の確認は済みました。こちらの勘違いだったことに関しては謝りますが、奥様には今後うちで買い物をしないよう、ちゃんと言いつけておいてください」

 そう言って袋を傍らの地面に降ろした男に、私はふざけるなと怒声を飛ばすために顔を上げた。そのとき、男のずっと後ろの出入り口から、おにぎりを盗もうとしていたあのご婦人がじっとこちらを見つめていることに気がついた。

ありがとうございました。

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武村賢親
物書き。ストレッチトレーナーとして働きながら細々と文筆活動を続けています。 文芸同人誌「琳琅」の編集者です。 好きな花は藤、葵、蝋梅。柚子湯に浸かる瞬間が至福の時間。 別の名前で映画やオーディオドラマを制作していますが、そちらはまた、機を見てご紹介します。
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