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映画「心と体と」私たちはいつだってきっかけが欲しい、


とても綺麗な映画を観た。


映画【心と体と】




舞台はハンガリー・ブダペストの食肉処理場。
そこで産休に入った社員の代理として働くマーリアは、人見知りで周りの人間と馴染めず浮いてしまう。マーリアを気にかけていた上司のエンドレは彼女をフォローしようとするが、マーリアはエンドレを避けてしまう。そんなある日、処理場内で牛に使用される交尾薬が盗まれる事件が起きる。
犯人探しのため行われた精神鑑定を社員全員が受ける中で、マーリアとエンドレが同じ「鹿の夢」を毎日見ていると判明し…


ベルリン映画祭にて
最高賞である《金熊賞》を受賞するなど
批評家からも評価されたハンガリーの作品。

監督のイルディコー・エニェディ
18年ものブランクを経てこの作品を撮ったそうです。




映画は
静寂の雪景色のなかに佇む
二匹の鹿の映像からはじまります。


美しい鹿たちの映像と
舞台の食肉処理場にて
飼育されている牛たちの映像が交互に繰り返される。


雪景色のなかで生きる鹿たちと
処理場で殺されてゆく牛たちの姿。

"生"の端と端を見せられているよう。



そんな生の世界を行き交うように
マーリアとエンドレは夢と現実の世界で交流してゆきます。


産休に入った社員の代理で来たマーリアは
人と群れようとせず、周りにも固い態度をとる。

しかし
マーリアの浮き方というのは不思議なもので、
どこかマーリアには人間にはないようなオーラがあり、誰も近付けない。


まるで、神聖な生き物のように。


しかし、そんなマーリアに対して
自然に近付けたエンドレというのは
マーリアと同じく普通の人間とは異なる何かを持っているからだ。


このような二人の姿から
二人が同じ「鹿の夢」を見ているという
潜在的な心の結びつきがみえてくる。


牛の交尾薬が盗まれた事件により
行われた精神鑑定で同じ夢を見ていると知った
マーリアとエンドレは夢を通して互いに惹かれ合ってゆく。

しかし、
マーリアは自分の気持ちに反し
夢のなかでエンドレを避けてしまったり
エンドレからの好意に対して反発してしまう。

そんな距離ができてしまうなかでも
同じ夢を見続ける彼らが行き着いた場所というのがどこか私たちに希望を与えてくれるようなもの。





感情表現が苦手なマーリアは
不思議な「鹿の夢」を通して、
気持ちを相手に伝えることを学ぶ。

"同じ夢を見ている"
という不思議な現象は
マーリアが生まれて初めて相手へ感情を解放してゆくきっかけとなる。



生きているなかで
自分の感情というものを丸々ぜんぶ
思っていることを相手へ伝えられるのって、
少ないのではないだろうか。


こう思われたくない、とか
嫌われたくない、とか

どうしても私たちは
相手にネガティブな感情を持たれるのがこわい。

本音を丸ごと、
かけらを落とさずに伝えることは難しい。

感情を解放するにはきっと、

今持っている何かを捨てたり

変えたりしなくちゃいけない。



それって、
なにかきっかけがなければ出来ないことで。
私たちは怖がりで意固地だから、なかなか自分の持っているものって変えられないし、変えようとしない。


マーリアも私たちと同じで
ひとりの世界にこもっていた彼女が
初めての恋を知り、自分の感情を解放する。

彼女にとって解放のきっかけとなったのが
「鹿の夢」だったのだと思う。




現実世界では
ありえないようなものだけれど

この映画が伝えたかったことのなかで
感情を解放するきっかけとなる「なにか」
人間には必要なんだと教えてくれたのかな、なんて思いました。





東欧らしい
意味深で、しとやかなラブストーリー。

牛が殺されるグロテスクな場面でさえも、
不思議と見苦しさはなく、吐息のように薄く儚いフィルターがかかっているような映画だった。


恋を諦めた中年の男と
恋を知らない初心な女の
手のひらで溶けてゆく雪を見ているような関係。




普通のラブストーリーに見飽きていたり
ささやかで気品のある映画を観たい人におすすめです。



では

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