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大学受験やっと終了しました!!

久しぶりのnoteで上手く言葉に出来るか分かりませんが、受験を振り返ってみたいと思います。
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私の第一志望大学は地元の国公立大学で、思い返せば小5くらいからこの大学を目指して通うことになるんだろうなぁとぼんやり考えていた。
医学部はとても高いけど、それ以外はそんなに難易度も高くなく地元志向の人は漠然とみんななんとなく目指す感じの大学で、私は地元が大好きで心底もっともっと盛り上げたいと思っていたのでこの大学はピッタリだった。
高校に入学してからも、なんの違和感もなく第一志望欄に毎回書いていて最後まで一度も第一志望が変わらなかった。

受験を意識したタイミングは曖昧だけれど、部活動に凄く力を入れていたから始めるのは人よりも遅かった。
塾には高校3年間、一度も行ったことが無かったため、自分に甘い部分もかなりあったように思える…
しかし、近くの公民館みたいな自習室に卒部後は、放課後ほぼ毎日通い、友達と一緒に勉強したり、管理人のおじさんに癒やされたりしながら、コツコツ進めていった。
わからないところは友達や双子の弟に聞いて解決し、付箋を使ったり可愛いノートで勉強したり、自分が楽しめるように工夫した。
ずっと勉強は苦手だったからこそ、この受験期でかなり成長出来たと思う。
この受験勉強の「内容」がなにかに役立つかと聞かれれば、殆ど役立たないと思うけど、計画を立ててルートをつくり、いつまでにやり切る、合格点をとる、という自分と時間を管理していく「プロセス」はこれからの人生で役立つと感じた。
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共テから今日までのこと

私の第一志望は共テ(共通テスト)で殆どが決まると言っても過言ではなかったので記述できるかよりも共テの演習や問題慣れに力を入れた。

そして臨んだ共テは直前5回以上の模試以下の過去最低点をマークしてしまい、二次試験を受けさせてもらえるかどうか分からないくらい絶望的な点数だった。
本当に人生って上手く行かないものなんだな、と痛感させられたし、共テ終わった後が一番メンタル的にキツかった。

しかし、倫理だけは良かったため、私立を共テ利用でひとつだけ申し込んでこれは合格出来た。
この私立の滑り止めがあるという、この先全部落ちても大学生にはなれる!ということが本当に心の支えになった。
(この私立は少ない教科数なおかつ共テ利用で受かるくらいなので、かなり偏差値は低いけれど夢は叶えられるので魅力的な大学だった。)

そして、国公立前期試験
いやぁキツかった。
noteにも投稿してるけどコロナに感染して完全にメンブレして集中力も下がって、もう無理、滑り止めの私立でいいや…くらいの気持ちにまでなっていた。
けれど、家族、友達、担任、面接や小論文指導の先生方のおかげでなんとかやる気を取り戻すことができ受けることができた。
小論文は論理的文章を書くための勉強になり、具体的に進みたい分野の勉強をして本を読んだことで将来の自分について見つめる機会になった。
面接練習は逃げ出したくなったことも何度もあったけど今になっては強くなれたなと思う。
あとは、自分と同じ分野に興味がある人たちにもかなり刺激を受けた。

そして卒業式を経て、国公立中期試験
姉の出身大学のため、朝早く家を出て会場まで何時間もかけて車で送ってもらった。
前期よりも受かる確率が少しだけ高かったので朝はずっとずっと緊張していたが、会場で友達に会えたことでかなりリラックスして受けることができた。
弟も受験会場の入り口まで付いてきてくれて背中を押してくれた。
試験が終わった頃に前期試験の合格発表があり、私の受験番号は見つからなかった。
少しのショックはあったけれど、共テの時点で受かった奇跡だとみんなに言われていたので、まぁそうだよな、という感じで落ち込みは全くしなかった。
姉が「え、泣かないの?悔しくないの?」と不思議そうに聞いてきて、落ち込まなきゃいけない気もしてきた。終わったことは仕方が無い。

帰りは兄弟3人で大きな神社にいったり、街の中を食べ歩きしたり、ドライブしたり、大学生活で必要なものを物色したり、予約が取れないことで有名な姉の元バイト先で焼肉を食べたり、観光を楽しむことが出来た。


そんな楽しい気分を一転させる出来事があった。
帰り道に対向車が全くいなかったため、姉が、センターラインを意図せずはみ出してしまっていたらしく、いきなり前のトラックが止まり、車から降りてきてドアを叩かれ、
「おまえ煽ってんじゃねーよ!!!警察呼ぶぞ!!!これドライブレコーダー付いてるから言い逃れできねーぞ!!」
と怒鳴られ、携帯で番号を打って警察呼ぶふりをされ、本当に怖くて震えた。
今思い出しても身震いがする。
こっちに完全に悪意がなかったことが伝わったのか、脅すふりだけされ、事なきを得たが、免許を取ることが一層怖くなった。

そして、今日(3月12日)の私の受験最後となる後期試験
面接だけだったのでほぼ何もせず挑んだ。
過去10年以上、私の成績から受かった人はいないので本当に捨て身で受けてきた。
全く緊張せず、言いたいことは全て言えた。試験管が高岡早紀さんに凄く似ててそれだけは少し怖くてドキドキした。
面接の隣が高校球児で話してる内容が完全に受ける学部を間違えていた。

行き帰り父に送ってもらったのでお昼には海鮮丼とクレープを一緒に食べた。
これから99%の確率で県外に出て一人暮らしをすることになるのでこうやって父と二人で食べることももうないのかなと寂しくなった。
帰りに献血車を見つけ、何故かカバンの中に献血カードが入っていたので献血をすることに決めた。
受付をして車に乗り込むと優しそうなお医者さんがいてまずは血圧を測った。
試験終わりでドキドキしていたのか何度測っても脈拍が100回/分以下にならない…
一度待って深呼吸してゆっくりしてもう一度測っても無理だった。

しらなかった…

えぇ…どうしよう…と困惑気味の私にお医者さんが優しく大丈夫大丈夫と手を軽く握って腕をトントンしてくれて段々と脈拍が下がってきた。
そのお医者さんは私が今日受けてきた大学の医学部出身で4月に双子の孫が生まれる、と嬉しそうに話していて共通点が多かったからか凄く会話が楽しかった。
20回くらい測ってやっと99回/分になり献血が出来ることになった。ちゃんと下がって本当に良かった。

場所を移動してウトウトしている間にあっという間に献血が終わり、また献血したいとずっと思っていたため、今日叶えられてとても満足だった。
↓宜しければ過去記事も是非🙇🏻‍♀️


私の報告
担任の先生からの返信🥹🥹🥹

振り返るとあっという間だった受験もその渦中にいるときは本当に苦しくて逃げ出したくなることもあった。
そんなときにいつも友達家族先生方、あとはnoteの皆さんの温かい言葉に支えられ、ここまでやり切ったなという思い出に変わったと思う。本当にありがとうございました。

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こんなことをやって意味あるのかな…と本気で悩んだり病んだりしたけれど、全てが自分の成長の糧になっていると今では感じられる。
今は、つい最近まで小学生だった気分なのにもう大学生だなんて遂にここまで来てしまったか、という気持ち。

全ての合否の結果が出るのは21日以降なので、まだどこの大学に通うかは分からず、受験の総括をするのはまだ早いのかな、とは少し思うけれど。

これからも周りの人への感謝を忘れずに、今までの経験を活かして日々成長していきたい。

浪人という道を選択した弟よ、
誰よりも一番応援しています。
運命は最善になる。(受け売り)
頑張れ!!!!

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