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本と、ぬいぐるみと、ひとりではないこと

心臓は落ち着いて鼓動する。足取りは軽い。じっくりと時間をかけて暗転していく空に焦ることもない。
私のかばんには上質な紙で仕立て上げられたハードカバーの本が2冊入っているからだ。彼らと一緒にする散歩は独りの不安感を押し下げてくれる。

歩き出すと、じんわり汗ばむ肌の上を涼しい風が吹いていく。蒸した空気が世界に充満している。夕暮れの草と土の混じったにおいを通り抜ける。遠く、敷きつめられた雲から差し込む太陽の薄い光が、いびつな形をしていて、何かの後光が照らしているようだ。
小さな余裕から生まれる穏やかな視界には、ありふれたものが存在感をもって生まれてくる。このひとときの外出が楽しいと、家から出て良かったと、相棒のように感じる手にかかった重みを揺らす。


文字のぎっしりつまったこの重み。この中には、「あら、まぁ、なんてこと!」みたいな、私が使ったことがないし、この先も一生口にしないだろう言葉がわさわさと入っている。「今日び」「慇懃」「安逸な日」だとか、小説や書きものでしか使われない言葉というのにいつも酔わされる。
どうにも嬉しくなって私の胸はあたたまる。味方になってくれる、大切な仲間を連れている気分。

きっと、図書館という、私の好きな、心落ち着ける場所からやって来ているからなのだろう。図書館にいる人たちは、ただそこで真剣に本を見ているというだけで、同族と出会えた親しみを感じさせる。
静かに文字を紡いでいく著者と、それを静かに読むたくさんの人たち。本を読むこと自体、一人の人間と、とてもじっくりと向き合うことなのかもしれない。
少なくともそこでは、誰かと共存している空気が全身に浸み込んでくる。とてもプライベートでありながら、波を持って共鳴し続けている。
自分の内面を開きながら、本とふたり、言葉の連なりを追って愉しむ。


誰かと、何かと、共に生きている安心感を、この重みから感じるのはおかしいだろうか?

昔、どこに行くにもぬいぐるみを連れているときがあった。あまりにも幼くてぼやけた記憶だけれど、でれんとしたうさぎの子だった。「でれん」としてしまったのは、私がぎゅうぎゅう抱きしめて顔をこすりつけ、暇さえあれば撫でくり回したからだ。
その子は共にいる一体感を与えてくれた。ときには親友で、兄妹で、私の子供のようでもあった。本当の私で話せる唯一の相手であったから、秘密を打ち明けているように感じた。
今思い返せばひとりでは受け止められない現実があった。いつも傍らにぬいぐるみがいた、というのは幼い私にとっては、ほとんど救いと言ってしまえるような、大事な意味があったと思う。

私は大人になった今でもぬいぐるみに寂しさを癒してもらっている。
家ではぬいぐるみ相手におしゃべりをし、ふわふわの毛をやたらめったら撫でまわして、籠った愛情を発散させている。なぜか大学受験に付き添わせたこともあるし、ひきこもり中の勇気ある外出に連れていったことも何度かある。
広すぎる世界に放たれて途方に暮れそうになっても、かばんの中にいる、よく見知った黒くまるい瞳が私を映しているのが心強かった。


精神科のグループ療法で会った女性は、お気に入りのキャラクターが決まっていて、そのキーホルダーや小銭入れ、小さいぬいぐるみを集めていた。
「これがあれば安全地帯だと感じる習慣を作るの。こうやって手にすれば私は大丈夫だからって。」
と言って、やさしく、小さくてふわふわのキーホルダーを握った。
看護師として立派に働いている彼女を不安にさせるものを想うと、心がひりひりした。そのしっかりした女性の足元を支えるのに、つぶらな瞳のぬいぐるみが立派に加わっていた。


何にせよ、こうやって自由にできる安心感を得られるのならば、もうどんなにおかしくたってかまわない、と開き直る。
だって、たった2冊の本を持った私の浮かれようと言ったら訳がわからない。年に一度の祭りにでも出かけて行くみたいだ。とりわけハードカバーの本というのを手のかかった貴重品に感じて、私は躍る。
興奮してぶんぶん振らないように気をつけなければ。歩きながらページをめくってしまいたい欲求に理性を働かせる。

ふと図書館というものが縮小に向かうことを考え、さびしさと不安を感じる。孤独さを癒してくれる、私が肌で感じる共存の楽しみが減っていってしまうのだろうか。
言葉も物語も素晴らしいのは変わりなくとも、残念ながらスマホに入った電子書籍は、こんな役回りを担ってはくれない。
もはや外出恐怖症のような私を浮足立たせて歩き回らせる、このおかしな力は、重みのある、生活感という実体のある彼らにしか感じられないのだ。

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