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スミレのマカロンが食べたい

「スミレは香りが良く、ほんのりと口から鼻に広がっていくのがとても良く出来ていて……」
透き通るような金髪を丁寧にセットした、わたあめみたいな日本語を話す店員さんがそう紹介してくれた。
私の記憶では色とりどりの可愛らしいパレットみたいな並びの中で、スミレは少しくすんだ、薄紫色の控えめな姿だった。

なんでだろう。あの時買わなかった、ピエール・エルメのあのマカロンが今頃になって無性に食べたくなってしまった。

薄紫のマカロンを思い描いて、その色と同じような、なんだか切ない、霞がかった気持ちが浮かんでいるのに気付く。
ひとつの菓子を通じた思い出が、寒くなって丸まっている私を揺する。マカロンと言えば思い出す、かつての友人はどうしているだろうか。


数年前の12月、家族で訪れた神戸にあるデパートの小さな一角で売っていた大好きなピエール・エルメのマカロン。
私は定番のローズと、ヴァニラ、ショコラ、レモンなど、知っているフレーバーを買い、スミレは買わなかった。
それから毎年、毎シーズン、手の込んだ、発音の難しい名前のフレーバーが編み出されては、我こそがと入れ替わっていく。今年もスミレ味はアンヴィという名前で店に並んでいる。
だが、ときが流れ過ぎて、それは ” あの ” スミレではない。
多分、私程度の味覚にはだいたい一緒なのだろうけど、あの時売っていたスミレを今一度……と贅沢を言ってしまう。


こんな話をお互いにわぁわぁ言い合う友人が、ひとつの丁寧に作られた菓子を味わうことの至福に、ともに浸れる友人がいた。

彼女はダロワイヨのマカロンが好きで、スタバの私には甘すぎるマカロンも「大きいから好き!」と言って、瞬きが数えられるような目をキラキラさせて笑っていた。
ひたすらに推す熱につられて買った、初めて口に入れたマカロンは、小さすぎる冷たいワンルームで、贅沢極まりない、幸せすぎる味がした。私たちの間にできた、同じような周波数の繋がりが心地良かった。

私の誕生日にはフランボワーズの小さなクッションみたいなマカロンを作って来てくれた。プレゼントする前に一度練習したというそれは、お世辞じゃなく「すごい!」と叫んでしまうほど美しい出来栄えだった。やさしく酸っぱくて、純粋な甘さが美味しかった。
いや、普通、一度の練習でそう上手く作れるものじゃないはずだ。彼女は何でも器用にこなす人だったものな。

仕事を辞める日にも、ピンク色のマカロンをさらに沢山焼いてくれた。「ちょっと失敗しちゃって壊れちゃったの」、細く揺れる声と共に手渡された袋の中の繊細なコ達は、確かにところどころヒビが入って、ぱらぱらと崩れてしまっていた。
深夜まで続くシフトの前にわざわざ早起きして、職場までの長い距離の満員電車で揺られて守りながら、こんな風に届けてくれた贈りもの。
そう実感すると、崩れた姿はよけいに愛しくて嬉しくて涙が出そうだった。

今書きながら泣くぐらいなら、あの時泣いて、抱き着いて頬ずりでもしておけよなと思う。私はいつも肝心なときにぼさっとしている。

ああいうとき、ハグ&キスの文化がないことを残念に思う。言葉と表情だけで一時の間に伝えるというのは、感情が一定のバロメーターを超えると、とたんに難易度が増す。私はさらにぎこちなく、見つめ返すただ置かれた人形のようになってしまう。
あーあ、瞳孔の動きを、頬や耳のわずかな赤みを、喉から漏れ出てくる空気の掠れた音を、どうか相手がつかみ取ってくれていますように。
私という人間の底は全然クールなんかじゃないのだと。

———多分、そういうことを分かっているから、あんなに沢山焼いてくれたのだよね。ありがとう。


もっとあそこにいれば良かったのかな。
仕事も人間関係もゆらゆらと続けたまま、もう少し頑張れたのだろうか。なじめない社会への疲れと一緒くたに手放したものは、とても大きかった。
ふとそんな風に思ってしまうのは、そのときが、それほどまでに素敵だったからなのだろう。肌に感じる冷たい空気は、私の少ない経験値の中から人の近くで感じた熱を何度となく思い出させようとする。

人生はもっと複雑で、沢山の選択をしなきゃいけない。
その中で長くひきこもった私は、彼女とはもう会うことのない別の世界に来てしまった。
でもきっと、大好きなマカロンか、もっと別の可愛いお菓子か、きゃあきゃあ楽しそうに誰かと選んでいるんじゃないかと思う。あの頃みたいに。

彼女ならふと思い出したスミレのマカロンを買いに行くだろうか。
息苦しく思う、混みあった電車で揺られていく距離が少し縮まった気がした。

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