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私に「親友」っていう価値観がわからない。みんな友達だし、知り合い、他人。

「親友だよね?」

以前まではたくさん友人とこういう話をした。でも私は理解できなかった。だから自由に行動してる。

自分はいままで「友達」が少なかった人生なのかもしれない。

今までのことを書いたnoteがあるので時間がある人は読んで私をすこし知ってほしい。
・人より他人の目を気にするのは、小さいころいじめられっ子だったから
・大学デビューで初めて人と対等と話してもらえた私。約11年間は長すぎた。だから、自分に酔ってる最低な女になった

だからこそ、私だからこそ、大学でできた大事な友人との関係を大事にしたかった。もう失敗をしたくなかった。でもちゃんとした「友達」がわからない。そんな私でもかっこよく生きていける。

親友って必要なの?というか私のことを全部知ってる友達って必要?

私にはいろんな側面がある。女子大生の私。おんなとしての私。家族の前での私。趣味に純粋に打ち込んでいるときの私。noteを書いているときの私。

そんな私を知りたいって言ってくれる友人ができた。いろんな共通点があって結構仲良くなった。旅行にも行くし、ごはんにもたくさんいく。一緒に勉強したりもするし、小さなことで喧嘩もする。大学生生活で一番仲がいい友達だ。

「友達ってなんでもはなせる相手だよ」
彼女の口癖だった。彼女は私のすべてを知りたかった。でも私は彼女に言えない過去や感情がたくさんあった。だからもやもやした。

彼女は嫌いじゃない。だけど「友達」という言葉に対しての重みが違った。彼女は人のことをとても大事にする子。でも、どうしても彼女には話せない自分の側面がある。

彼女のことを理解しようと頑張った。彼女がいう友達はどういう人なのか、どういう気持ちなのか、彼女がなんで不安になって「ともだちだよね?」ってきいてくるのか。

私はよくわからなかった。私のいえない話を彼女に話してデメリットがあるわけじゃない。だけど話さなくてもいい話もあるんじゃないか。彼氏やパートナーだって一緒。相手にすべて話す必要はないと思う。別に隠しているわけじゃないけど、嘘をついているわけじゃないけど、無理に話さなくてもいい部分ってある。

そんな中で見えてきた。私の人とのかかわり方。私みたいな生き方だっていいんじゃないか。というか、この生き方で困ることはほとんどない。

私は話したい話題によって友達を変える。友達だから話すんじゃなくてその人と話すと楽しく話せるから

私の生き方。それは、友人とか知人とか区別をつけないってこと。

もし私が野球の話をしたいとき、興味がない女子大生にはなしても面白くない。株や政治の話だってしたいと気がある。でもその話を興味がない人に話したとしても全く面白くない時間になってしまう。

人生相談をしたいときだって、対等な人より人生経験豊富な人から話を聞きたいときだってある。きっと”親友”っていう子に話を相談してみるのも大事なのかもしれないけど、どうしても違う意見が聞きたいときだってある。

だから私はその人と話したいからその人とごはんに行くんじゃなくて、その話題が話したいからその人とごはんに行く。

だから心を許す相手とか、必要ない。反対に私は話しているすべての人にこころを許しているというか。そんな境界線でわけてない。

境界線を引けるほど簡単な問題じゃないし、複合的にいろんな事象が絡まって人間って出来てるものだし。表裏一体というか人間関係を一言であらせるほど簡単なものじゃない。

「本当の自分を理解してほしい。」そんな淡い期待はもう捨てた。それは友達を大切にしているから

自分と他人の考え方は必ずしも一緒にはならない。というか似ている人もほとんどいない。今まで「自分のことを分かってほしい!」って自分の気持ちを受け止めてくれる人が自分にとって大事な友達になるんじゃないかって、頑張った。その子の趣味や興味、いやなことを理解しようと努力する。気持ちよくその子が話してくれるようにいろんな聞き方をする。だから、私のよくわからない感情もストレートに伝えてみた。自分なりに素直に。

だけど、わからないってはっきり言われた。

「頑張って理解しようと思っている。そこは経験したことがないし、あなたと私の考え方は根本的に違うから共感することはできない。」

ほしかった反応はかえって来なかった。だけどなんとなく納得がいった。というか今まで焦って自分の力が抜けた。私は「人に期待しすぎた」からがっかりした。わかったけど、悔しかった。その人は最後までゆっくり聞いてくれた。

真剣な私の話を真摯に聞いてくれる友達。わからないとはいいつつも部分的には共感できる部分も多くあるって言ってくれた。

彼女と話していて思った。

私は今まで「友達」にはちゃんとすべて話してそれを分からないといけないっていう変な考え方たいなものができていたのかも・

だからこそ、「他人に期待しない」そんな生き方にたどりついた。正確には他人に期待しすぎないという言葉のほうが正しいのかもしれない。

だって人間の成長速度は人によってそれぞれだし、他人を変えることなんてそうそうできるもんじゃない。他人に理解しようと努めるって本当労力のいることだし、知ったかぶりになってしまうのかもしれない。

だから、他人と自分を傷つけないように、人に期待するのをやめた。

人間の悩みのほとんどは対人関係。自分の自分のもの。だから”友達”に悩むなら友達を捨てればいい

「友達を捨てればいい。」

そんなことを平気で言える冷たい人間になってしまった。でもそれは自分を守るため。私はいろんな人のことを受け止められる大きな器の人間にはなれない。

自分だっていろいろな問題を抱えていたり、悩んでいたり、逆に楽しんでいることだってある。そんなとき、友達が必要じゃない時だってある。

「ちゃんとした友達がいないなんてさみしい」

そんなことを誰が決めたんだろうか。自分に余裕がなくなって他人につよく当たってしまうときは友達をやめてみればいい。ずっと一緒の友達なんている人が全てじゃない。

私には幼馴染みたいな子がいることはいるけど、5年とか連絡をとらないことだってある。ただお互いに興味を示した瞬間に連絡を取ろうとして見ればいい。それがわたしのタイミングであったとしても、相手のタイミングだったとしても。

自分のことを愛せれば、友達なんて求めなくても人はついてくるもの。

なにも心配しなくていい。感情に素直に生きていけばいい。

P.S.
最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。わたしの知っている情報をもとにこのnoteを書かせていただきました。
 もしよければ、コメントとかにこの話を読んでどう思ったか、どう感じたかを教えていただけるとうれしいです。

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