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氷点下32度の私たちは|アリソンとエレナの場合
ダウンタウンのアートギャラリーで出会った、
中国人大学生がいる。
アリソンは彫刻科の3年生で、私と同じギャラリーのアルバイトだった。黒髪の豊かなウェーブヘアが肩の上で揺れていて、二重瞼の大きな目と分厚い唇が目を引く女の子。
お父さんは芸術家で、純粋芸術で生計を立てているらしい。それも、娘を海外大学に進学させられるだけの財力を、自分の作品で稼いでいるという。
彼女は時折、お父さんの個展の写真を見せてくれて、私はその度にアリソンの清々しさに嬉しくなった。
言葉の節々から零れ落ちる、
父親への愛情と尊敬。
美しく、私には理解しがたい感情。
2人でいる時の彼女は、いつも眩しい自信と希望に満ち溢れていたと思う。
気が滅入るこの土地ではその明るさがどうしても必要で、私は彼女のマンションでよく寝泊まりした。
アリソンはキッチン横の出窓でハーブを育てていて、土の上に卵の殻がのっかっていた。ブラインドから差し込む光で、赤い絨毯はいつもポカポカだった。
寝室の姿見の周りには彼女が作った塑像が並んでいて、夜寝る時なんかは、少しゾッとする。壁に顔を向けて並べてくれないかと、彼女に頼んだほどだった。
そんな塑像に色付けをしようと言い始めたのが、エレナだ。
アリソンの彼女で、イタリア系カナダ人。背が高く、長いブルネットを後ろでまとめていて、後毛がくるくるしていた。
彼女たちは2人とも快活で、太陽のように美しいカップルだった。
ギャラリーで使われなくなった画材をもらってきては、アリソンが「失敗作」と呼ぶものに3人で色付けをした。
「失敗作」がまあまあイケる作品になっていくのは、見ていて心がストンとする。
こうしている時もやっぱり、
たぶん、アリソンは楽しそうだった。
と私は思っている。
夜な夜な2人から聞く心地よい惚気話は、「盲目だな」と内心で思うことはあっても、それは「良い」盲目だった。
人生に必要なタイプの盲目だと、分かっていた。
私たちはその冬、シーシャ専門店を3人して出禁になった。マンションから2ブロックのところにあった、お気に入りの店だったのに。
エレナが何度か店で泣きじゃくり、テーブルの上の物を投げつけて癇癪を起こしたからだ。
きっかけは決まって、アリソンの帰国の話か、女性関係の話だった。
エレナの執着心の炎は一気に燃えたぎって、アリソンに燃え移る。いつも一瞬だ。
嗚呼、すごい、この女たちの執念はすごい、
と私はひたすらに感心してしまう。
圧倒されて、そして怯えながらも2人の愛に憧れもした。
この激しい喧嘩を、面倒だとも思わなかった。
私は、これだけ感情をぶつけ合える他人を持つ2人を、いつも羨ましく眺めていた。
蚊帳の外で。
太陽なんて、もうそんなのはとっくに通り過ぎて、2人ともマグマだった。ぐつぐつ、ぼこぼこ、ぎらぎらと強烈な光源で、周りの人を巻き込んだ。
最終的に2人は中国語とイタリア語で激しく怒り(きっと罵っているんだろう)、お互いに引っ掻き合うのだが、それでも次に会う時にはケロッとしていた。
激情の渦中に同席させる割に、仲直りの相談を私にすることは一度もなかった。私が耳にするのは惚気だけだ。2人は不思議な吸引力で惹き寄せられて、不安定なようで安定していた。
だから、私も深く考えない。
安心して、存分に「考えなかった」。
オーロラアラートが赤だった、あの日。
色が波打つカーテンが、高確率で見れるはずだった。
だから、3人でオーロラを見ようと思ったんだ。
それで、アリソンに連絡したけれど、返信がなかった。
それからずっと、なかった。
ダウンタウンのマンションにも、帰ってこなかった。
アリソンも、エレナも、帰ってこなかった。
2人は私が全然理解できないところで、
勝手に愛を見つけて、
あるいは見つけた気にでもなって、
私の前から突然姿を消した。
塗りかけの塑像なんて、余計なものを残して。
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