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76.「なのに」は”期待の居場所”


就活、遅く始めたわけじゃのに。


真面目にやってきたはずなのに。


悪いことを言っているわけじゃのに。


うまくいかないことばかりだと、報われない気持ちを「なのに」に込めて、自分の心を守ろうと必死になる。


でも、これは決して逃げているわけではない。
おかしいわけでもない。これにはちゃんと理由がある。


『・・・こんなふうに、うまくいくはずだった。』


この、行き場のなくなってしまった期待の気持ちの居場所を、探しているだけなのだ。


そこ、「なのに」などの逆接の接続詞は、私たちの昇華しきれなかった期待をためこんでくれる役割を果たしてくれる。


しかし、だけど、けれども、なのに・・・etc.


マイナスな言葉は、他人が言ってるのを聞くとうざったいかもしれない。
でも、自分で自分のために使う分には、実は私たちの心の支えとなってもいるのである。


だから、いったんマイナスな言葉はとっても大切な存在なのである。



私の価値観のひとつでもあるけれど、弱さや痛みをいったんでもいいから肯定できたり、寄り添えたりする人は、本当に強いと思う。


嫌なものからは目をそらしたくなるし、忘れたくなってしまう人は少なくないと思う。

(私も知らない間にストレスをため込んでしまったり、漠然と自信がないよって言ってしまっているのは、きっと目をそらしているからだと思う。)


だけど、書くかなんかしたり、誰かに話したり、言葉に発したり・・・


とにかく言葉の型にドロドロした感情を流し込んであげられる人は、実はとっても強いんじゃないか?って思うのだ。


ネガティブな人って弱くない?ダサくない?なよくない?


弱くないよ。たとえ、そう思われたとしても、
だからこそ口に出せるってことだから、すごいんだよ。


愚痴を吐いてしまっても大丈夫。
少しでも、こんな感じに話しかけながら、自分の頭をなでてもらえると嬉しいです。



ということで、私はネガティブであり、noteに吐き出してしまったり、よわよわオーラ全開で生きているので、頭をなでなでしながら明日を迎えようと思います。


みんなも、わたしも、今日もお疲れ様です。


おやすみなさい・・・🌙





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