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飲み会後のひとり反省会


飲み会疲れの大半は、飲み終了後のひとりイベントで生み出されるものだと思っている。

アルコールに耐えきれなかった体の叫び(二日酔い)。それもあるけど、私の場合は精神的な疲れと言いますか。自然と反省会モードになった時の心の疲弊がすごいエネルギー消費運動なのである。


たとえば昨日、会社の同期5人で行った飲み会について。

自分会議風(?)に反省点を挙げると

①あーあ。聞き専でいるはずだったのに、最終的には喋り専になってしまったなあ

②しかもさ、別に話す必要のない、話していいのか微妙なラインの他人の話をしてしまった罪悪感もあるんだよね

③てかその前に、冷静な判断ができないほど、疲れているのにお酒をまあまあなペースで飲んでしまったのが原因ではないだろうか

④絶対そうだわ、お下品な話題にも楽しそうに応じてしまったもん(恥)

⑤それにさ、周りに楽しんでもらいたいが故、自分の話だって盛ってしまったのも…どう思われてるのか怖いな

⑥しかもせっかく2回目の飲み会なら、唯一の女の子のメンバーともう少し仲良くなりたかったな

⑦全体的に私の話し方、傲慢だったり偉そうだったり不自然な感じに聞こえてウザがられたりしてるのかな…
2022年10月29日 帰りのJR線でのひとり反省会議事録より


といった調子である。


パッと見、HSS型HSPの私ならではのいつもの定番メニューといったところだ。

ただ、今こうしてざっと書き出してみると、なんともリアルで生々しくて、こんな公の場で公開していいものなのか…と改めて不安になる(おい)。
が、ひとつ分かったことがある。


他人の目を気にする割に「他の人に対して目と耳と心で向き合えていない」


「他人にどう思われているか、気を遣うことで精いっぱい」

一見、自分を犠牲にして他人に合わせているようにも思えるが、
言い方を変えれば自分を監視しておくことで精いっぱいで、主観的なことしか頭にない状態である。

誰かと一緒に飲み会をしてても、実質は一人飲み会なのだ。何なら、BARで一人しっぽり飲んでいるときの方が、お店のお客さんやマスターに意識が向いたりもして、他の人と一緒に一つの空間を作っているような…そんな客観的な姿勢でいられるような気がする。


飲み会終わってしっぽり飲んでました、バーボンは強い…


たぶん、もっと客観的になれたら、飲み会がもっと楽しくなる気がするのだ。これは、悩みというよりも希望の光である。


InstagramにTwitter、Youtuberのルーティン動画。
「自分がどう見られているのか」が快感や満足感、裏を返せば損失感につながる世界。それが、スマホの画面上からリアルな世界へとなだれ込んできてしまっているのは否定できない。

その流れを完全に断ち切るということは難しいけれど、「なだれ込んでいる」という事実だけでも忘れないようにして、生きていきたいな。







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