63.成長、成長っていうけれど。
就活中、何度も耳にしてきた「成長」。
いろんな企業が口を揃えて言う「成長環境があります」。
私は、この2文字を見聞きすると、心がずしっと重くなり、モヤモヤしてしまっています。いまいち納得できないみたいなのです。
「成長」って、公に人前で口にしていいものなのか?
そんなに誰に対してもヘビロテで使える言葉なのだろうか?
ずっと疑問でした。
でも、私の求める「成長」の定義も同時にぼんやりしていたようなのです。
だから今回は、私の価値観を踏まえた「成長」の定義について書いてみることにします。
①”綿菓子”みたいなもの
今日のお昼に就活が一息ついたあと、ひな祭りのために親が買ってきた綿菓子を頬張りながら、「成長って何ぞや?」と考えることにしました。
ふわふわとしているけれど、ちぎる時の感触は結構固め。
でも、噛みついた瞬間に口の中の温度でみるみる溶かされていく。
この儚さは、食べてからじゃないと分からない。
いつものように、脳内の私は一人食レポをしているようですが…………
ん?待てよ。この儚さ、「成長」っぽいかも…………!
と、綿菓子を掴んだ後のべたついた指先を見つめて、ピカン!と頭の中の豆電球を光らせました。
一体どういうことでしょうか。
まず、「成長してる!」という感覚は、わざわざ求めて手に入れるものではないという考えが前提にあります。というのも、
「成長」はあくまでプロセスを評価する結果論であって、自分で手にしているかどうかをリアルタイムで断言するのが難しいと思うからです。成長は無意識にしていることが多く、身体には既にスキルが馴染んでしまっているからです。
綿菓子にたとえるとしたら、「綿菓子を食べている」という感覚は口に入れた瞬間に、消え去るようにただの砂糖へと形を変えます。
綿菓子はそのようにして溶け込んでいきます。
そう考えると、成長と綿菓子は似た者同士なんじゃないかって、考えていたって訳です…………。
(御馳走様でした、お母さん。)
②誰しもが同じ定義をしているとは限らない
「成長すること」は、素晴らしい。
自分も「成長」せねば。
本当に、全てが全てそう言えるでしょうか。
たとえば、「成長」が「自分の何かを変えること」に値するのだとしたら、自分の軸が揺らいでしまっている人にとってその変化は必要とされるでしょうか。または、複数人が周りにいる場合を考えてみるとどうでしょうか。
「成長のため、個人にすべて任せてほしい。」
「成長のため、誰かをまとめる力を付けるため沢山の人を巻き込みたい。」「成長のため、他のチームへの異動に挑戦してみたい。」
「成長したくてあの……誰か教育してくれませんか…………」
チーム内の個々人が各々の価値観や定義を持って「成長」を謳い動こうとした場合、チームは分裂しないでしょうか?
協調を意識して、もう既に与えられているルールにのっとって動く方が効率的な場合もあるのではないでしょうか?
③行きつく「ビジョン」&立ち止まる「価値観」を忘れない
変わることは、不変性を捨てること。
そんな重大な岐路に立った時に、どんな価値観を軸に個々人がチームとしてまとまるのでしょうか。
「チーム」という船の冒険(成長)を謳うのなら、どんな島を終点に、どんなスピードで動いて到着するのか…………同じスケジュールを乗員が知っていないと、衝突が起こりかねない状況になってしまう気がします。
その中でも特に、船の進む方向性を見失ったり、チームワークが割れてしま った時に、一度立ち止まって初心に帰るための休憩所(再認識する価値観)を設けるのかがとても大事になってくるんじゃないかと思っています。
私がゼミのプロジェクトで企業の人事施策を考える際にも、途中で課題や目的を見失った時は、「企業理念」や「行動指針(クレドのようなもの)」、そして「企業全体の進みたい方向性」に必ず立ち返るようにしていました。
多様性や個人の自由が尊重される現代で、多くの人達が集まって何かするとしたときに最も大事になってくるのは「価値観」や「描きたい世界」が解像度の高い状態でメンバーに共有できているのかどうかだと思っています。
変化するスピードが速く、どんどん個別化され人の流動が目立つ時代。
「成長」は言葉にする以前に、いまこの場に立って生きている時点で、必然的に無意識にしているものだと考えています。
だからこそ、「成長」というプロセスに価値を置くのではなく…………
私は、立ち返る場所を大切にしたい。
そう考えていることに、やっと気づきました。
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