僕達らの4単位戦争:3057文字

「私の必修科目では、電子機器の音が鳴った時点でその生徒に、単位は上げません。ブザーも、例外ではありません。」

大学2年の春私は絶望した。
これまで受けてきた授業では、確かに電子機器の取り扱いについて厳しい教授はいた。
しかし内容は「その回の講義の出席点が0になる」「強制退出を求める」といった、今思えば軽いものだ。
「今から、1分間のみ電子機器の使用を、認めます。機内モードにして、一切音の鳴らないようにして下さい。」
騒ぐ暇もなく呆気に取られた教室は、その一言でダムの放水と聞き紛う程に急ぎ始めた。
舌打ちや、「マジかよ」と小さく乱暴な言葉、リュックを机の上に置く音。
静かな喧騒に包まれた教室は教授のそこまで!と言う合図でピタリと止む。
「ここまで聞いた生徒さんの中には、厳しすぎると思われる方も、いらっしゃるかもしれません。」
恐らく教授を除く全員が思っているだろう。と教授を除く全員が思ったはずだ。
「その為一つ、皆さんの応用力を伸ばす試みとして私が講義中に電子機器の音を鳴らした場合は、その講義に参加していた全員に単位を、無条件で差し上げます。それまでに、単位を、没収された生徒も、講義に参加していれば、単位を差し上げます。」
ただの蜘蛛の糸である。
このジジイが救済とのたまわったのは完全なる運ではないか。
カンダタが他の罪人が蜘蛛の糸に掴まないでくれと願った様に、私にも教授の携帯やらが鳴れと願えと言うのか。
教室中が静けさに覆われる中一人の生徒がピッと腕を上げた。
ヤギみたいな髭を生やしヤギみたいな面のジジイが「どうぞ」と一言。
「メールアドレスがシラバスに記載されていなかったのでメールアドレスを教えて頂いてもよろしいでしょうか。」
何の意味があるのかと思ったその質問は、喉元に届きうる刃だった。
ちょっと待ってくださいねとボヤきながら教授がカバンから古くさい折り畳み携帯を取り出したのだ。
このタイミングで、
教室中が静かな期待に包まれる中、ジジイは一枚上手だった。
「その手には乗りませんよ。」
携帯を鞄に戻しニヤついた顔で続ける。
「来週の講義でお教えさせて頂きますね。皆さんもこの講義の出席点は50%なので必ず出席する様に。総合点が60%未満は足切りですからね。」
希望が乗ったガラケーは開かれることなく焦げ茶色のブリーフケースの奥底。
思考は絶望の二文字だった。

その後の1週間2週間は全員が帯を締めて講義を受けにきたが、3週間目で遂に初めての脱落者が出た。
そこから回を増すごとに増えていく単位失踪者。
その後の各々で行動は違っていて、単純に来なくなる者。最初の発言が冗談と自分に言い聞かせて真摯な姿勢を見せて授業に取り組もうとする者。来るだけ来て、話は一切聞かずにただひたすらに祈る者。
三者三様の行動は見ていて少しながら面白くもあった。
ちなみに私は祈るタイプだ。
13週目、信仰者もだいぶ減ってきた。不思議と言い聞かせるタイプの者の数は減らなかったから驚きである。
講義も終わり、今日も祈りが通じなかった事に慣れつつある私はそそくさと身支度を整えていると、いつも私の右前に陣取り、単位を失っているにも関わらず真摯な態度で受けている女性が話しかけてきた。

「いつもそこの席で祈ってますよね。」
女性から話しかけられる事によって上がるテンションと今日も祈りが通じなかった事によって下がったテンション。
上手く作用して、至って冷静に答えられる。
「そうなんですが?」
答えられない。
「私2年生の水野って言います。」
私の曖昧な返事を華麗に避けてくれた彼女は自己紹介を始めた。
慌てて
「同じく2年生です。」
と応じた。
同年代であることを知った彼女は安堵のため息を漏らして、敬語をやめていいか尋ねてきた。
こちら側に選択の余地がある質問を女性にされるとは。
昂る感情を抑えて努めて落ち着き払い答える。
「あ、えーと、どっちでも大丈夫ですよ」
どちらでも構わないと言いつつ敬語で喋ってしまった。やはり彼女も敬語で話し始めてしまった。
完全に女性に話しかけられた事によるテンションが相殺出来ていない。
「あの、これまでチャレンジがあったことはご存知ですか?」
勿論知っている。
これまで数々の武士が立ち上がり、あのヤギに一矢報いようと様々な試みが行われてきた。
遠隔バイブを途中退席時に忍ばせ、リモコンで鳴らそうとした者。
遅刻と同時にブリーフケースを盗んで細工を行おうとした者。
挙げ句の果てには教授への誕生日プレゼントと称してノートパソコンの中に爆弾を仕込んだ者も中にはいると噂で聞いた。
それで鳴るのは火災報知器なので、意味ないだろう。
私が軽く頷くと彼女は続けた。
「再来週の講義はテストだから教授は油断しきっていると思います。そこがチャンス。なのでこの作戦に協力して欲しいんです。」
彼女の作戦は至ってシンプルだった。
朝ティッシュ配りのバイトに扮してヤギにタイマーが入ったポケットティッシュを渡す。
そのタイマーは授業中に鳴るよう設定されており、晴れて全員単位取得、大団円というものだ。
なるほど。
中々どうして良い作戦である。
今まで誰も実行しなかったのが不思議なぐらいに。
しかしながら聡明な私はこの作戦の2つの問題点に気付いていた。
それは
「ヤギが受け取るか分からないですし、タイマーの重さで気付かれそうじゃないですか?」
そう告げると彼女は手を胸に当てて得意げな表情を見せる。
「そこで協力者のあなたが必要なんですよ!」
こやつは只者ではなかった。
「あなたには両手いっぱいに荷物を抱えてポケットティッシュを受け取りたいっぽい人を演じて欲しいんです。
ヤギが親切心からあなたの代わりにポケットティッシュを貰い渡そうとする。それの心を利用するのです。」
中々に悪どい事を思いつく女だった。
しかし可憐な乙女の単位の為とあらば私も一肌脱ぐ他無い。
「やりましょう。」
私が瞳に炎を宿し彼女を対してまっすぐ見れず、少し言葉に詰まりながら答えると彼女は
「ありがとうございます!」
とキーを1つ挙げた声で私の手を取った。
体が発火しそうだ。

朝9時に大学前の歩道橋に集合と言われた私は朝7時に彼女を待っていた。
昨晩はこの作戦実行に緊張して中々寝付けなかったのだ。彼女に会えるから眠れなかったのでは無いと断言したい。
とある筋によるとヤギは9時15分に健康のためとわざわざ歩道橋を毎日上り下りしているとの事。
筋とやらがどこから来ているか分からないが、あれほど欠陥のない作戦を立てる彼女の言葉だ。信用性は十二分にあると差し支えない。
そんな事を考えていると1限の授業に向かう学生がチラホラと現れ始めた。この時間から登校する者は勉強の事を真面目に考えている学生諸兄ばかりだ。どこか町の雰囲気がより澄むように思えた。
がしかし30分も経つとたちまち学生街へと街は姿を変えた。こうやって街は時間によって顔が変わっていくのかと感心していた。
彼女は9時半に現れた。
ヤギは不相応なゴツいヘッドホンをつけて15分前に通過している。
体で息をして涙ぐんでいる。
「遅れてしまいごめんなさい。」
精一杯の言葉だとは思うがテッシュ配りのバイトに変装した彼女が言うと私がバイト先の偉い人と思われてそうで笑ってしまう。
「取り敢えずテスト受けに行きましょうか。」
何を発言すればいいのか分からず静かに学校に向かい、そのままテストを受け、彼女がお詫びにとスープ料理店を案内してくれた。
禍福糾えること縄の如しとはよく言ったものだ。
実った恋の惚気話などさらさらする気は起きない。

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