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元不登校が語る「つらい経験をしたから人の痛みがわかる」は嘘!説
はじめに
「重い病気などのつらい経験をした過去があるから人の痛みがわかるんだ!」といった美談をよく耳にする。
しかし、はっきり言おう。それは嘘である。つらい思いなんて、しないのが一番。
病人でも相手の立場に立って考えられない人、普通にいるもんね。「そこ、責めてくるんだ?」って人、いるもんね(あ、自分のことは棚に上げてます)。
結局、“僕”“私”のことは“僕”“私”にしかわからない。誰も悪くないのだ……悪くはない。でも、なんだかなぁ……うーん……。
この文章を書くに至った経緯
こんな話を書きたくなったのは、病から復調してきてまわりとコミュニケーションを取る機会が増えたことで、ちょっとした悩みが生じるようになったからだ。
まあ大したことないといえば大したことないし、ある程度は予想していた悩みなのだけど、多少の負担にはなっていて。
やっぱり、思うように動けない。思うように話せない。以前はできていたかというと微妙だが、それでも僕としてはままならないなぁと感じている。
漠然と「体調を崩した」と言うだけで、具体的な症状を伝えないから余計によくないのだろう。
ただ、まだそれをおおっぴらにする勇気はなく、「どうしてそうなるん?」「そんなんもできんの?」「しっかりして!」と叱責あるいは注意(鍵括弧内はぼかした表現にしてます)されても、黙って唇を噛みしめるしかない。
これはすごく悔しい。そして、情けない。
……このままだらだらと自分語りをしても仕方ないので、冒頭の話にもどろう。
「つらい経験をしたから人の痛みがわかる」は、本当なのか?
僕の現状出しているアンサーは、「そういう部分もあるにはあるけれど、個人差と限度がある」だ。
身もふたもないかもしれないが、もっと的確な答えが存在するなら教えてほしい。
そう、たとえつらい経験をした人であっても、どのくらい他者の気持ちを慮れるかには個人差があって当然。さらには、そういう経験をすればするほど何か「人としての深みが増す」というようなこともあまりないと思う。
だからもう一度、はっきり言おう。つらい思いなんて、しないのが一番。なるべく、楽しく過ごそう。
だって、そうじゃなくても生きていたらつらいこと、たくさんあるんだぜ。
不登校を美化したくない
僕は不登校になったこともあり、それを恥ずかしく思うだとか、負い目に感じるだとか、そんなことはまったくないのだけど、
そういう過去をやたらと美化して、「不登校になったから今がある!」「すべて無駄じゃなかった!」などと語るのはとても苦手だ。
仮に不登校になっていなくても、それなりにしんどい思いをして、挫折もして、でも楽しいこともいっぱいやって、生きていると思うんだ。
だから、できるかぎりおもしろい想像をして、友達や恋人を思いやって、そのうち笑って死んでいきたいよね。
おわりに
なんだかとりとめのない文章になっちゃったけど、今日はこれでおしまい。
明日もいい日でありますように。
今日よりもすこしだけ、他人に優しくなれますように。
ラブアンドピース!!
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