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希望への航海ー不登校だった私が演劇を志した理由ー

「明日、学校行かないから!」

私が演劇を志したのは、偶然といえば偶然で、必然といえば必然だった。

中学一年の終わりにさしかかったころ、学校に行かなくなった。両親の不仲、祖母の入院による環境の変化など、さまざまなことが重なっての結果だが、いちばん大きな要因となったのは受験戦争による反動であった。小学三年生後半から塾に通い、勉強漬けの日々を送って、志望する全国有数の進学校に合格間違いなしだと言われていた私。しかし、現実は残酷……当日、緊張のあまり頭が真っ白になったのだ。

後期入学でべつの中学に進学したものの、通学途中の電車内で吐き気をもよおす毎日だった。こう言うとひどいやつだと思われるかもしれないが、そのときは本当に、まわりの生徒たちが人間ではない、なにか猿のような生物にしか見えなかった。当然ながら、そうした自分にも疑問をもつばかりで、やがては身体が悲鳴を上げるようになり、その日は訪れる。

節分の夜、楽しそうにお面をつくっている母と弟を見て、張りつめていた糸が切れた。私が発した突然の「宣言」に母は驚いたという。

真っ暗な海で見た、一筋の「光」

そうして、真っ暗な海に放り出された。長い長い航海だった。

ひきこもり当事者が求めているもののひとつとして、「友達や仲間づくり」が挙げられる。私は厳密にいえば「ひきこもり」ではなかったけれど、この気持ちはよくわかる。

不登校になってからしばらくして、たまたまとある舞台を観に行く機会があった。そこには、多くの人たちが手を取りあい、ただただ夢や希望といった明るいものを語る、あたたかい光景が広がっていた。その世界に、私は一筋の「光」を見る。難しく考えることはない、もっと単純でいいんだ、そう思った。同時に改めて、「仲間がいてくれたら……」と思わずにはいられなかった。

演劇との再会、そして大学へ

それからの私が舞台にのめり込んでいったかというと、そうではない。次に演劇と出逢うのは、時がたって、18歳の春である。試験を受けて高卒資格も取り、今後の進路を考えていた際に行きついたのが、不登校や発達障害といった悩みを抱えた子供たちと演劇を通じて交流するワークショップだった。おそらく、あのとき舞台を観ていなければ参加することはなかっただろう。ここでボランティアスタッフとして子供たちと触れあううちに、演劇のもつ「ちから」のようなものを感じるようになった。いつも不安げな顔をしている子が、「仲間」と役を演じているときはじつに生き生きと、楽しそうにしているのだ。その様子に、見ている私が「救われる」ような感覚があった。そうやって過ごすうちに演劇について学びたいと思いはじめたのは、自然の流れであったと思う。

そして大学の舞台芸術専攻に進むのだが、こうした経験もあり、当時の私は「演劇にはちからがある」などともっともらしいことを考えていた。ところがいつだったか、「つまりそれはなんだ?」と問われたらはっきりと答えられない自分に気づいてしまった。では、いま現在は? 正直に「よくわからないもの」だと考え、わりきっている。可能性を感じるが、それが何なのかよくわからないから幾度となく劇場に足を運ぶし、実際に芝居をつくったりもする……そういうことだと思う。この「よくわからないもの」を追い求める限り、私は演劇を続けるのだろう。

あのとき見た「光」に導かれて

上の記事によると「有識者会議が実施したアンケートでは、算数や芸術などで特異な才能のある小学生約500人のうち28%に不登校やその傾向があった」らしい。私自身がそれにあてはまるとは思えないけれど、そうした傾向のある子供たちが演劇に出逢ってその才能を開花させる未来を、ぼんやりと思い浮かべたりもする。

私の追い求める「よくわからないもの」が、希望への道であってほしい。そう切に願いながら。

あのとき見た一筋の「光」を灯台として、今日も船はすすむ。

演劇には、とにかくお金がいります。いただいたサポートは私の今後の活動費として大切に使わせていただきますので、なにとぞよろしくお願いいたします。