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たまたま出会ったツイートから考えたこと

脚本家になるなら20代で始めないと? 30代になってからでもまだぎりぎり間に合う? 40代はもう難しいかも? 50代は諦めたほうがいい? 60代はせいぜい趣味として? クリニックの脚本指導で友達になったある生徒さん、彼は20代の頃に映画の現場に憧れて上京、助監督になった。ところがご両親の病気で介護が必要となり、助監督という好きな仕事、東京暮らしを整理して帰郷。以来、15年間、彼は1人で介護を続けた。その生活がどういう結果で終わりを告げたのかは聞かなかったけど、彼はまた田舎で脚本を書き始めた。ある日、彼は電話の向こうで言った。 「僕の人生なんて、つまらないですから」 自分の夢を断念し、15年間、両親の介護を続けた人生を「つまらない」なんて。僕はそれがどんなに尊い、誰にでもできることではないことを話した。ところが彼は電話の向こうでキョトンとした間を置いて、こう言った。 「だって、僕の親ですから」 脚本とは、遠回りした道で見つけた花の記憶で書くものだ。若い人のペン先から出るインクに深みはない。ただ勢いが少しあるに過ぎない。失敗、屈辱、怒り、哀しみ、ささやかな喜び、病気、失職、出逢い、別れ、それを繰り返す遠回り。 そこで醸成されたインクは深く、味わい深い。応募年齢に上限を設けたコンクールがある。それは(使い捨ても含めて)使い勝手のいい書き手集めが目的に過ぎない。昔、あるコンクールの審査をした時、応募者の中に還暦を過ぎた人の作品もあった。審査員の1人は「年寄りよりも、若い人にチャンスを与えたほうが」と言った。でも還暦を過ぎた人の作品が一番瑞々しい視点で人間を捉えていた。僕は強くその人を推して譲らなかった。 年齢は関係ないでしょう。あなたがチーズでない限り。 ルイス・ブニュエル そう、年齢は関係ない。青カビの生えたチーズは、なんとも味わい深い。

安倍照雄(@moyosoba7755)

たまたま開いたおすすめタブに表示されて、たまたま出会った見知らぬ方のツイート……じんわりしました。というのも、僕は大学卒業間際に体調を崩し以来演劇から離れていた約10年を大きなブランクと感じているからです。甘い言葉に惑わされるのもどうかと思いますが、そのとおりだったらと願わずには……。

よくある年齢は関係ない論や、回り道したほうがええ論、こんなこと言ったら全部そうなっちゃうんだけどやっぱりケースバイケースで、簡単に囁いてはいけないのでは……と思ってる。でもまあ、歴史を鑑みても病を抱える人の表現は何かが違うのは確かなので、天使の声にするも悪魔の声にするも己次第かな。

“僕は不登校になったこともあり、それを恥ずかしく思うだとか、負い目に感じるだとか、そんなことはまったくないのだけど、 そういう過去をやたらと美化して、「不登校になったから今がある!」「すべて無駄じゃなかった!」などと語るのはとても苦手だ。”

……といった話を過去の記事に書いてます。

なんだか引用元のツイートと真逆のことを主張しているかのようになりましたね。ただ、じんわりしたのはホントで。だからこそ、疑ってしまうんです。おいしいから食べる、美しいから手にする……それだと痛い目をみると、学んできたから。その「疑い」がいいのかわるいのか……きっと、両方あるんだろうな。

大切な仲間にLINEで謝りたいと思う場面があって、なのにどうしたらいいか、何を打てばいいかわからなくて友人に相談したら「伊藤くんの文章の、あっちに行ったりこっちに行ったりする感じは魅力だと思うけどさ、伊藤くんの素直な心の動きって、もっとシンプルなんじゃない?」と指摘されてハッとした。

僕はわざと揺らぎをつくって物事を考えるようにしていて、それは単純な結論に陥らないための備えだったり、「考える」という行為自体を楽しむための準備運動だったりするのだけれど、時として自分の邪魔になるんだなぁと。不特定多数に向けて書く文章と特定の誰かに伝える文章は、当然ながら別なんだよね。

当たり前のことを、当たり前じゃなく教えてくれる友人に、そしてそういう出来事を与えてくれたあなたに、感謝のハグをしたい。

……と、イイハナシ風にまとめそうになるとまた「揺らぎ」で反対方向に振りたくなるのですが、今日はやめておきます(笑)。

演劇には、とにかくお金がいります。いただいたサポートは私の今後の活動費として大切に使わせていただきますので、なにとぞよろしくお願いいたします。