たまたま出会ったツイートから考えたこと
たまたま開いたおすすめタブに表示されて、たまたま出会った見知らぬ方のツイート……じんわりしました。というのも、僕は大学卒業間際に体調を崩し以来演劇から離れていた約10年を大きなブランクと感じているからです。甘い言葉に惑わされるのもどうかと思いますが、そのとおりだったらと願わずには……。
よくある年齢は関係ない論や、回り道したほうがええ論、こんなこと言ったら全部そうなっちゃうんだけどやっぱりケースバイケースで、簡単に囁いてはいけないのでは……と思ってる。でもまあ、歴史を鑑みても病を抱える人の表現は何かが違うのは確かなので、天使の声にするも悪魔の声にするも己次第かな。
“僕は不登校になったこともあり、それを恥ずかしく思うだとか、負い目に感じるだとか、そんなことはまったくないのだけど、 そういう過去をやたらと美化して、「不登校になったから今がある!」「すべて無駄じゃなかった!」などと語るのはとても苦手だ。”
……といった話を過去の記事に書いてます。
なんだか引用元のツイートと真逆のことを主張しているかのようになりましたね。ただ、じんわりしたのはホントで。だからこそ、疑ってしまうんです。おいしいから食べる、美しいから手にする……それだと痛い目をみると、学んできたから。その「疑い」がいいのかわるいのか……きっと、両方あるんだろうな。
大切な仲間にLINEで謝りたいと思う場面があって、なのにどうしたらいいか、何を打てばいいかわからなくて友人に相談したら「伊藤くんの文章の、あっちに行ったりこっちに行ったりする感じは魅力だと思うけどさ、伊藤くんの素直な心の動きって、もっとシンプルなんじゃない?」と指摘されてハッとした。
僕はわざと揺らぎをつくって物事を考えるようにしていて、それは単純な結論に陥らないための備えだったり、「考える」という行為自体を楽しむための準備運動だったりするのだけれど、時として自分の邪魔になるんだなぁと。不特定多数に向けて書く文章と特定の誰かに伝える文章は、当然ながら別なんだよね。
当たり前のことを、当たり前じゃなく教えてくれる友人に、そしてそういう出来事を与えてくれたあなたに、感謝のハグをしたい。
……と、イイハナシ風にまとめそうになるとまた「揺らぎ」で反対方向に振りたくなるのですが、今日はやめておきます(笑)。
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