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挨拶は大事や!挨拶は日本人の心や!

ほほえましい男子高校生たちの会話!こんな会話が聞けるなんて!!!

本当に幸せだな~って思った。

授業間際ぎりぎりに教室に入っていくとあたふたしてしまうので、前の授業が終わると同時に教室に入って出欠簿をつけ終わって、自分の中で授業のシミュレーションをして、ちょっとでもなんとかしようと、ドキドキしながら教科書とノートを開いて準備していいる。スクリーンにちゃんと画像が映し出されるかも、毎回毎回ドキドキしながら確認している。(機械音痴だから:汗)

そんな毎回余裕がなくあたふたしている私に、「先生、こんにちわ」ってそのクラスの男子生徒がまるで仲間内のゲームのように私に交互に挨拶してくれた時間があった。

「お前、先生にちゃんと挨拶したか?挨拶は日本人の心やねんぞ。」そんな会話が聞こえてきた。

日本人、ナショナリズム、それが悲しいことの引き金になったこともあったけれど、そんな風に生徒同士の会話で発言しているのを聞くと、とっても嬉しい気持ちになった。

早めに教室に行くと、生徒同士の会話が聞こえてくるのが本当に面白い。そして時には私に話しかけてくれる。授業をどう進めようか、シミュレーションしようと思って早めに行ったけど、生徒との会話に終始して、余計に動揺してしまうこともあるけれど、それでも、そうやって会話できること、触れ合えることが本当にうれしいと思う。

その授業が始まる前に、小噺として
「今日、前にいる時、いっぱい挨拶してくれてうれしかったです。先生、本当に、毎回毎回、授業の前はドキドキして緊張しています。だけど、あんなふうにみんなが挨拶してくれると、とっても嬉しくて、緊張ほぐれて、嬉しい気持ちで授業スタートできます。みんな本当にありがとう。みんなの会話から『挨拶したか?挨拶は大事やねんぞ。挨拶は日本人の心や』っていうのが聞こえてきて、本当に素敵だなって思いました。ほほえましく会話聞かせてもらえました。」
と言ってみたら、ちょっとクラスの笑いが取れて、うれしかった。(笑いを狙ったわけじゃない。どうしてもありがとう、うれしいっていう気持ちを伝えたくて話したかったから話した。)

やっぱり、笑いがあることも大事だなとも思った。

ちょっと人を笑わせるっていう高度なところを最初から狙ったら挫折してしまうので、少しずつ、小さな経験、小さな成功体験(今回の笑いに関しては成功だった:笑)を重ねて、何より、自分自身がそんな生徒たちの観察を楽しもうと思った。楽しめると思った。

かつて、今も、「私は○○人だ」という思想が多くの犠牲者を生む結果につながっていった、つながっていっている。だけど、あなたは○○人、私は●●人、そんな違いがあるんだね、なるほどなるほど、ってお互いを認め合えるナショナリズムを、生徒たちは発言してくれたなあって思った。

って、島国しか知らないからそう言えるのかなとも思ったり。

自分の知っている範囲でしか物事を見ることはできない。ってことをちゃんと知ったうえで、物事に出会うことも大事だなと、書きながら思った。

ずっと文章アウトプットしたかったけど、時間がなく、後で後で、と思っているうちに、その時書きたかったことの熱量が覚めていく。まさに、自分の中からのノックも一期一会。

こうして前から気になっていたこと、生徒との思い出をやっとちゃんと書き留めておけてホッとしている。

出会ってくれて本当にありがとう。みんなとの出会いがいっぱいの気づきと勇気と、そして私自身の未熟の自覚につながることが本当にうれしいです。

って書きながら、またそういえばあれも書きたいってことを思い出した。(笑)

そのネタは今日はもう下書き保存で置いときます。

その話をして以来、なぜか、やたらと、みんなみんな、私に挨拶してくれるようになった(笑)彼らの中では一種のゲームのようなものであるのかもしれないけれど(笑)それでもなんでも嬉しい。

やっぱり、嬉しいと思ったことはどんどんアウトプットするのがいいって実感する。(苦しいと思ったことも、自分を解放することにつながる。)

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