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幻と生きる

何にも無い日を何も無く過ごす。それは難しい。

まず何かが起きる。それは事件とかではなくて、精神的な波の揺れだったり、どこか一つ抜け落ちた頭のネジの行方だったり、不調を訴える肝臓だったり、何も無い日なのに自分がとにかく五月蝿くて、そして気付いたら何も無く過ごしている。

怠惰を逃げ場に、私は楽しいことを夢見る。夢見るための道具は揃っていて、あとは飲むヨーグルトでもあれば良い。飲みやすいから。

すっと2時間経てば、何も無い日を鮮やかに色付ける世界が瞼の裏に創設されて、それはまさに私の脳が創り出した幻影なのだけれども、でも、私はその世界を知らない。

深層心理を抜き出してコラージュアートを創る。その中に私は居て、歩きもせずただ世界を眺めている。

コラージュアートの創り手は、耳から脳に伝わる音楽。彼らの音が世界に色を与えて、そして物を動かす。重力を無視した青色のキリン、紫色の草原、空を焼き尽くす夕日、モノクロのテレビ、砂嵐のピラミッド、無機質な天井、知らない人、知っているヒト。

無数の私が無数なまま展開して、それぞれが意思を持ち始めたらご用心。全ての私が全ての私の記憶をタンスから引っ張り出してきて、放り投げる。その姿はさながら慌てる空き巣のようで、歯止めが効かない。

そこに警察は居ない。創り手がその機能をはじめから放棄しているから。放棄したままにして、頭が割れるような感覚になって、元の世界に戻れない気がして、そして目を開く。

目を開くと、その世界にも私が混在している気がする。瞬きの度に私たちが顔を出して、そして笑い、泣く。

時折、目を開いても残像が残り続ける。普通は目を開いたときに見ていた風景を、瞼の裏で残像として生き写すはずなのに、その逆が起きる。

真っ白な部屋の中で青色のキリンが首をもたげ、夕日は紫色の草原を焼き、モノクロのテレビは砂嵐のピラミッドを映し続けている。

耳から脳に伝えられる爆音の音楽に疲れてイヤホンを外す。するとまだ音が脳に残響していて、揺さぶられている感覚はしばらく戻らない。

身体は正直なので、創り上げられた世界をそのまま元に戻す作業を勝手にしてくれる。脳の残響が収まり、目の前の残像が消えて行く。

その時間を慈しむかのように涙を流して、少しずつ消え行く私たちを洗い流す。

そして気付く。

今日も何も無い日だったと。

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