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”昨日の自分”に救われることもあるんだね。

今日は、朝からなんだか気分が塞いでいる。特に理由はない。
ま~、そんな日もあるよね。人間だもの。

特に理由はない”と書いてしまっている時点で、自動的にその理由に蓋をしてしまっているな。
自覚的に蓋したわけじゃなくても。

不快な気分が生じている時は、それもまたサインの一種だという。
本来あるべき姿から”ズレている”サイン。
あぶない、あぶない、”特に理由はない”として、素通りするところだった!


ということで、内観してみる。

ちゃんと自分を見てあげよう!と決めると、すぐに気分が塞いでいる理由が浮かんできた。

『ザ・他人との比較』


よくあるやつだ。

普段は気にならない事でも、その日のコンディションによって影響を受けやすくなったりするもの。


今のSNS時代、他人と自分を比較するのは容易い。
各SNSを徘徊している身となれば、なんなら1日誰とも連絡を取らずとも常に他人の情報が入ってくるわけで。

最近ちょっとSNS徘徊が過ぎたのだろうか。バイオリズム的な波の影響も重なり、雫が一滴、また一滴と落ち溜まっていくが如く、”他人と自分の比較液”がコップから溢れ出したようだ。


私は基本、他人と自分を比較してしまうことは悪い事ではないと思っている。
人間というものは、本能的に自他を比較するイキモノだと思うからだ。

つまづくのは、他人と自分を比較しその違いを認識した先で、”自分は至らない”とジャッジし劣等感を抱いてしまうこと、”今の自分ではダメだ”と自己否定思考にカウンターを一発喰らってしまうこと、つまり、自他の違いに対する意味付けに失敗してしまっている。


なんとなく、前回自分で投稿した記事を読んでみた。

どんな時も、人生には、意味がある。
なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
この人生のどこかに、あなたを必要とする“何か”があり、あなたを必要とする“誰か”がいる。
そしてその“何か”や“誰か”は、あなたに発見されるのを“待って”いる。

ヴィクトール・フランクル(精神科医・心理学者)

このフランクルの言葉から展開していった内容だった。

……自分で書いたくせに、今の私で読んでみたら、今の私になんだかとても響いた。

胸のつかえがフッと緩む感覚。

昨日の私に、救われた。
昨日の私は、今日の私のために書いていたのか。

昨日の自分に救われる。
そんなこともあるんだね。

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