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リアルしくじり先生


タイトルを見て先生なのに何をやらかしたんだと思ったあなた,早とちりをしないでほしい。しくじったのはもちろん,教師になる前の話だ。

「後悔しない選択をしよう。その場の感情に流されず,先のことまで想像して今できる限りの努力をしてほしい。」教え子にそう語る私の心にはいつもあの時の失敗が浮かぶ。

忘れもしない大学受験の年。高校3年生だった私はこれまでの学生生活の中で1,2を争うくらいには勉強に身が入っていなかった。目標や志望校がなかったわけではない。しかし,その当時は“何かに取り憑かれていた“という表現がしっくりくるぐらい気持ちと行動が伴わなかった。今思い返しても,なぜもっとちゃんと勉強しなかったのか分からない。ただ地元で超進学校と言われる高校に通っていたため,“この高校にいるんだから最悪○○くらいには入れるだろう“という甘い考えはあったと思う。(後に分かったことだが、この時期の私は大殺界のど真ん中だった)
ほとんどの人が人生の中で1番勉強に励むと言っても過言ではない時期に,のらりくらりしていた私は第一志望校はおろか,滑り止めだと思っていた大学にさえ落ちた。何度結果を見ても“不合格“の3文字。「嘘でしょ…」と途方に暮れ,激しい後悔が襲ってくるとともに言葉を失うとはこのことかと逆に冷静になっている自分もいた。我が家には浪人して予備校に行くほどの経済的余裕はなかったし,大学に全落ちしたら母の知り合いの専門学校へ進学することが約束だった。

専門学校への進学は,当時の(漠然とした夢だった)学校教師になるのを諦めることを意味していた。いくら約束とはいえ,あっさり諦めてしまうとさらに後悔をすることは目に見えていたし,親からも「やっぱり根性がない,どうせその程度の人間だあんたは」と罵声を浴びせられる。本気でその職を目指す人にも申し訳ない…と葛藤した挙句,教員免許が取れて今の自分でも100%合格できる大学ならどこでもいいやとなりふり構わず進学先を決めた。
そんな感じで大学生活をスタートさせたものだから、周りとの温度差や合わない人間との関わり方に悩まされた。自業自得だ。こんな大学なんて辞めてやる!と本気で何度も考えたし、当時興味があった別の専門学校のパンフレットを取り寄せたこともあった。

それでも大学受験失敗の二の舞になりたくないし、余計な後悔を増やしたくない。余計なお金もかかる。逃げたくなったり心が折れそうになったりした時はそれをバネに努力を続けた。チャラチャラした人達ばかりの,お世辞にも勉強をしにきているとは言えない集団の中で自分を律し,信念を持ち続けるのは容易ではなかった。結果論で言えば,あの時腐らなくてよかったと思うし,今の仕事に就けてよかったと思う。努力は裏切らないことを証明できたし,親や親戚からダメ人間だというレッテルを貼られずにも済んだ。仕事がどんなに過酷でも,セクハラ・パワハラをされても(不本意だが)簡単に潰れない今の強さはここからきているのかもしれない。

何が言いたいかと言うと,然るべきときに(たとえば受験生なら、みんなが勉強するのと同じ時期に必死で勉強するなど)努力した方がいいし,少しでも良い大学に行ったり,大手企業に就職したりする越したことはない。大学受験に失敗した私だから言える。憧れの企業に勤めたいと思っても,厳しいけれど学歴フィルターは存在しているし,サボったツケを回収することは並大抵のことではない。高学歴な人が「仕事ができるのと学歴は関係ない」と言うのと,そうでない人が同じ主張をするのとでは説得力が違う。そして何よりイレギュラーな環境で1人頑張り続けるのは強い信念と行動力がいる。

現在の教え子たちも「部活を引退したら本気出す」「次のテストからはちゃんとやる」と言う子が多いが,果たしてどれだけの生徒が理解してくれているかは分からない。過ぎてみないと分からないことも確かにある。

ただ1つ言えるのは,人と違う道を歩むことはつらい。努力する時期を間違えないでほしい。
そう思いを馳せながら今も教壇に立つ。






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