現代文における「このような」の役割
現代文文章を読みとく上で重要なものの一つに「接続語」がある。
例えば典型的なものが「しかし」。
一般的に、「AしかしB」ときたとき、筆者が言いたいこと、もしくは重要なことはBに含まれている。接続後の「しかし」がこのような役割を担っていると頭にストックしておくだけで、かなり読みやすくなるのだ。
では今回の主題である「このような」の役割はなんだろうか。
一般的に、「このような」の前には具体例がくる。具体例に対して「このような」を差し込むことで、具体例を抽象化して本質を抜き出す役割があるのだ。
ということは、「このような」の後に基本的にくるであろうものは前の具体例を一般化したものであるということがわかる。つまり、
具体例⇨このような⇨一般化された文章
が基本の流れとしてあるだろう。
文章を要約する際に求められる能力は兎にも角にも「抽象化」である。
重要なことや本質的なものを抜き出し、逆にいらないものや削ぎ落とすことができるところを徹底的に削ぎ落として短めにまとめることが求められる。
一般化はまさに要約・抽象化する際のヒントとなる。
「このような」という指示語にチェックしておくだけで、要約する際はここに着目したらいいかも、ということが一目でわかるのだ。
このように、現代文は感覚ではなく理屈であり論理である。
解答には根拠が求められる。
本質的には、数学と同じようなものなのかもしれない。
だから、退屈なのかもしれない。
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