聞こえない音に耳を澄ませて ~ 武満徹の創る沈黙の響き
好きな日本映画 ~ 1980年以前
黒澤や小津などの巨匠を除き、1980年代以前と限定して日本映画で好きな作品を選ぶとしたら、岡本喜八「日本のいちばん長い日」、市川 崑「鍵」、内田叶夢「飢餓海峡」、熊井啓「忍ぶ川」、蔵原惟繕「憎いあんちくしよう」、舛田利雄「赤いハンカチ」などはすぐに思いつきますが、俳優で選ぶならさらに100作近く挙げねばならなくなるでしょう。
戦後1950年代~70年代末までは、娯楽産業として始まった映画が20世紀芸術へと高められていく転換期だったと思います。だからこそ、その時期に作られた「新しい」映画には心の奥深くに残り続ける強い影響力があるのだと思います。
過渡期である80年代にも、印象に残る優れた日本映画はたくさんあるのですが、90年代以降は、映画を作る世代と見る世代が大きく交代して、作風や題材も時代の流れに応じて変化していったように思えます。
以上お断りをしたうえで、1980年以前の日本映画の中より best1 を選ぶなら、それは、小林正樹監督「切腹」(1962年)です。
その理由は、以下の4点です:
・橋本忍の脚本の巧みさ
・小林正樹監督の映像の斬新さ
・武満徹の音響の恐ろしさ
・仲代達矢の演技の凄さ
1990年ごろ、初めてこの映画をレンタルVHSビデオで見たときは大変な衝撃を受けました。「武士道と切腹」という日本独自の奇異な風習を、シェークスピア劇かと思わせる二転三転して先の読めない巧みな脚本に織り込み、日本家屋の陰影と様式美のもたらす静と動を白黒コントラストの鮮烈な映像に描き込んでいます。
それに加え、難しい役どころを鬼気迫る迫力で演じ切った仲代達矢の存在感、そして決定打は、武満徹の創り出す、琵琶などの邦楽器を巧みに使った、耳になじまぬ異様な音響の凄さです!
これらの要素がすべて備わって、大胆かつ精緻に作り上げられて戦慄的な魔力を放つこの作品は、まさに私の求める芸術そのものでした。
youtube 公開当時の予告編で、映像と音楽のエッセンスが伝わります;
https://www.youtube.com/watch?v=5_0v1fFOhYY 3分ほど
武満徹の音楽とは、沈黙という時間の創造
武満氏が映像に重ねた音は、西洋音楽的な音階ではなく、琵琶や尺八などの伝統楽器を多用した響きです。映画「切腹」で、極度に緊張を強いるモノクロの画面構成の中で、静と動のコントラストを強調するかのように琵琶の一打が激しく響きます、・・すると、その一音の前後に音の無い沈黙が生まれ、画面に恐ろしいほど濃密な時間が創り出されるのです!!
「音楽は時間の芸術」と言われますが、武満氏の創造した響きは、音が無いこと=沈黙であることが、逆に時間の経過を見る者に感じさせるのです。
初個展で、ある女性の一言
2010年、福岡市内の画廊での初めての個展。5人もいれば狭くなる室内にはまだ誰もいない午前早く、その日最初の訪問客は、女性でした。
かなり時間をかけて鑑賞されていました。あまりに長いので(感じとしては15分以上)、その後、自分から声掛けをしたように思いますが、そのおぼろげな記憶の中から、その女性のつぶやいた言葉が思い起こされます。
「(あなたの)絵を見ていると、どこかから音楽が聞こえてくるように思えます」
音のない絵なのに、聞こえるはずのない沈黙なのに、心に聞こえてくる音楽があるということでしょうか・・?
その時に展示していた絵
聞こえぬ音に耳を澄ます
たとえば、山のふもとの湖とか、自然音以外に何も音が聞こえていない静かな場所で無心であろうと努めても、雑念も含めた、いろいろな音が「聞こえてくる」ような気がするものです。それは音として実際に聞こえるのではなく、その人の想念の中で「聞こえる」と感じているのだと思います。
それと同じように、絵を見たり詩を読んだりしている時に、どこからか「音楽」が聞こえてくるような気がしたことがあるのではないでしょうか。
それは、実際に耳にする音楽とは違う心の中の情感や想いから呼び起こされているのかもしれません。聞こえて来るはずのない音が聞こえる、・・聞こえぬ音に耳を澄ます、・・そのような経験が誰にでもあるのではないでしょうか。
もうひとつの映画「怪談」(1965年)
「切腹」でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞した小林正樹監督は、その3年後に、9ヶ月の撮影期間と多額の予算をかけて制作されたカラー大作「怪談」で、2度目のカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受けたほか、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされ、世界中で絶賛されます。
内容は、「黒髪」「雪女」「耳無芳一」「茶碗の中」の4話からなるオムニバス形式の作品ですが、180分という長さのためか、「切腹」ほどの緊密でドラマチックな構成力には欠ける印象を私は持ちました。
ただこの映画でも、日本の人工美の極みのごとき、小林監督の革新的で精緻な演出に加え、武満徹による、この世の音とは思えぬ奇怪な音響が映像空間に響き渡り、絶大な効果を挙げています。その音創りには、楽器だけでなく、テープを変調させたりする手法も使われ、「切腹」以上に大胆かつ斬新な独創性に満ちています。
youtube で公開当時の予告編で、映像と音楽のエッセンスが伝わります;
Kwaidan: As Quatro Faces do Medo (1965) (youtube.com) 4分ほど
まとめとして
聴きたくない音も聞こえる日常生活
福岡市の中心地である天神を歩くと、早朝から深夜まで、車や電車の走行音、雑踏を行き交う人々の足音や声、店舗から流れるBGM、何か機械の作動音など、常に何か人工的な音が聴こえてきます( デパートのエレベータに乗るとわざわざ多言語でのアナウンスが流れてきます! )。家に戻っても、TV、スマホ、ゲーム、オーディオ、炊事洗濯、掃除などの音、屋外から聞こえる騒音、アパートやマンションでは上下隣からの生活音が響いてきます。
仮に独り暮らしでも、私たちの多くは完全に音なしの生活を送ることはできません。
聞こえぬ音に耳を澄ませて
さまざまな音にあふれる生活を送る私たち現代人ですが、そういう音をある程度、物理的に遮断することはできるでしょう。
仮に、聞かない、聞こえない人工的な環境を一時的に作ったとしても、そのとき、脳内にあるいは心に何も聞こえてこないという完ぺきな無音状態はおそらく作りえないでしょう・・。
なぜなら、私たち人間には、過去の記憶や思い出にからみついた音や幻聴を脳内に再生する可能性があるからです。
いや、それだけではありません。生前の武満氏が語っていたように、私たち人間、時には、深い沈黙と静寂に身を任せて、そっと耳を澄ませることで、ある瞬間ふと、心の奥深くからの昏い呻き、または、空の彼方からの清澄な囁きなど、何か耳や心に聞こえる音があるのではないでしょうか?
・・・武満徹の創造した響きには、そのような、恐ろしくも美しい音があるのです。
最後に、武満氏の音楽の本質を表した言葉を紹介します:
武満のまた別の音楽 :
テレビドラマ「波の盆」のテーマ:流れるような美しさと淡い郷愁の漂う曲( ちょっとハリウッド的恋愛映画のような )
https://www.youtube.com/watch?v=assN4do9TSo 3分ほど 12万回視聴
追記:
私は、武満徹の “ ノーベンバー・ステップス ” のような「現代音楽」とジャンル分けされるCDを7枚持っていますが、それとは別に、彼の担当した映画音楽を収録した「武満徹 映画音楽選集」を持っています。この中に「切腹」・「怪談」サントラも入っています。
私にとっての「武満徹」は、何よりもこの「映画音楽」なのです。