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遠藤周作『怪奇小説集』を読んで 【読書感想文・3027字】

 これは、ほんの数日前の話です。夏といえば怪談だな、よし作ってみようと思いついた私は、なにかヒントを得ようと思って、遠藤周作さまの『怪奇小説集』を読み始めました。あ、この本は拙宅の本棚にあったものです。私が購入したものではありません。奥付に「昭和49年2月8日第2刷発行」、1974年ですから、今から47年前ですね。紙は黄ばんでいて、古い本のにおいがします。簡単に拭いたのですが、本を持った手が少しざらざらします。文庫です。240円と印字されています。短篇集です。

 
 以下、ネタバレを含む感想文になります。


 「三つの幽霊」は、一番最初に出てくる短篇です。これを読み始めたときに、私は頭頂部が少しずつ重くなるのを感じました。原因は分かりません。頭頂部から前頭部、額へ、重くなる感覚は次第に広がっていき、首で頭を支えるのがつらくなるほどでした。まるで首のすわっていない赤子のように頭がぐらぐら揺れてしまい、文字を追うのが大変でした。そのせいか、あまり内容が頭に残っていません。「三つの幽霊」のいう「三つ」とは、たしか、フランスのルーアンとリヨン、日本の熱海だそうで。そこで幽霊を見たとか見ないとか、そういう話だったかと思います。途中から三浦朱門さまが出てきて、この方の名言、「出来ん者は出来んままで結構」という言葉がリフレインしてしまって、もう何も入ってこなかったです。なんかすみません。

 次に出てくる短篇は、「蜘蛛」です。茶人の高橋帚庵さまがつくった白磁庵という料亭にて、怪談会という集まりが催されているそうで。それに参加した帰りに・・・というお話です。「顔色のひどく青い、しかし端整な顔だちをした青年」、「青白い顔」、「生臭い臭い」、「青年の白い両手の指がひどく長い」、「指はまるで高足蜘蛛の足のように長く細かった」、「毛深い」、「白い指の関節と関節の間にこれも細長い毛が黒くかたまって生えている」、「神経質な都会人にはよく、こういう手の持主がいるものである」、「抑揚のないうつろな声」、と、この物語に出てくるイケメンが気になっちゃってもう何も入ってこなかったです。なんか駄目ですね。

 「黒痣」では、カメラが出てきます。noteには、思わず見入ってしまう、目を奪われる、そういうすてきな写真が投稿されていますよね。私もカメラ欲しいなあなんて思ってしまいます。ニコンの Z fc が気になっているのですよね。デザインがすてきで。まあ買えませんけど。
 このお話の中に、「キャノンとかマミヤ」という一文があります。細かいことを言ってしまうと、「キャノン」じゃなくて「キヤノン」ですよね。

 「私は見た」は、幽霊が出ると噂されている屋敷に実際に泊まってみた、というお話です。熱海にある、むかし役者をしていた人の別荘だそうで。若いカメラマンのN氏と、教え子の女子学生A嬢と、3人で泊まります。なあんか楽しそう、と思いました。

 「月光の男」、これはなかなかゾワゾワしたので、何も言いません。

 「あなたの妻も」に出てくる一文、「二十八歳のオールド・ミスが眼鏡をかけねばならぬのは時として女性にとって悲しいことである」が、個人的には刺さりました。いい意味ではありません。

 「時計は十二時にとまる」も、幽霊が出ると噂されている屋敷に実際に泊まってみた、というお話です。名古屋は大須にあった遊郭の、松風楼という家だそうで。出ますよきっと。ふふふ。

 「針」は、東京神田、駿河台にある文化学院の女子学生、成瀬幸子が夏休みに、青山南町にあるブルジョアの家でお留守番のアルバイトをしたときのお話です。余談ですが、文化学院は1921年に創立され、2018年に閉校したそうです。

 「初年兵」、これが一番好き。最高に怖い。

 「ジプシーの呪」は、船乗りの優男の話です。57歳男性、職業は神戸のSホテルのバーに勤めているバーテンさん。西宮市仁川月見ケ丘に住んでいる。若い頃は、日本郵船の海外航路でバーテンとして勤務していた。その若い頃に、海外の行く先々で女遊びをしていたら痛い目にあったというお話。それはさぞ怖かったでしょうね。

 「鉛色の朝」。このところ、空が鉛色でしたね。その当時のシベリアの空はどんな鉛色だったのでしょう。シベリアといえば、私はお菓子のシベリアが思い浮かびます。それはしあわせなことなのかもしれません。


 「霧の中の声」は、専業主婦、信子の話。人の幸せって分からないなあと思いました。はたから見て幸せそうに見える人でも、その当人が不幸だと感じていれば、その人は不幸なのでしょうね。逆もしかりで、はたから見て不幸な境遇に苦しんでいる人のように見えても、その当人が幸せだと感じていれば、その人は幸せなのでしょうね。とはいえ、個人の問題は全てその個人に帰結するといわれたら、そうではないんじゃないかなあと私は思いますが、どう思うかはそれもまた人それぞれですね。

 「生きていた死者」も、戦後の影が滲むお話です。遠藤周作さまは1923年にお生まれで、1996年にご逝去されています。戦時中は大学生で、「徴兵検査では第一乙種だったが、肋膜炎などで入隊期間が大幅にずれ、入隊直前に終戦を迎えた」そうです。ウィキ情報。

 「蘇ったドラキュラ」は、新劇の研究生をしている竹田という青年が、六本木にあるお化け屋敷のような居酒屋でアルバイトをしたときに遭遇した出来事のお話です。ゆうれい居酒屋っていうのが吉祥寺にあって、一度だけ行ったことがあるんです。この短篇を読んだらそのお店を思い出しまして、ネットで検索してみたら、2019年に閉店されてました。

 「ニセ学生」。浪人三年目の「俺」は、T大にまた落第した。しかし、田舎の母、後見人の叔父夫婦には、合格したと嘘をついて上京。「俺」はT大生として、家庭教師のアルバイトをする。それが本物のT大生、角田に見つかってしまう。角田は警察に突き出さない代わりに、あることを「俺」に提案してきた。あることとは、T大のストライキの立役者で革ゲバ派の北里という男の身代わりになることだった。日比谷公園には、機動隊を乗せたトラック、警官隊の列、白いワイシャツ、ヘルメット姿の学生の群れ。「ヴェトナム戦争と核兵器反対」のシュプレヒコール。壇上へ上がると、その群衆の視線が「俺」に注がれる。「俺」はメモに書かれたとおりに、マイクに向かって叫ぶ。「ヴェトナム戦争反対」、「首相訪米と欺瞞政策反対」。

 ニセ学生。大江健三郎さまの「偽証の時」という短篇にも偽学生が出てくるそうで。この「偽証の時」を原作にした『偽大学生』(1960)という映画もあります。ちょっと探せなかったのですが、ニセ学生による事件か何かあったのですかね。全共闘やら羽田事件やらいろいろ出てきますが。この時代に学生だった方々は、今現在は大体60代後半から70代後半ぐらいでしょうか。
 ちょうどその世代の人間が近くにおりますので、ニセ学生について聞いてみました。その方いわく、「ニセ学生による事件か何かあったかどうかは知らないけど、そういうのを天ぷら学生というんだよ」とのことでした。
 天ぷら学生。格好は学生風であるが、実際は在学生ではない偽学生のことをいうのだそうです。天ぷら学生と代返を頼む学生、事情はそれぞれです。ところで、学ランってかっこいいですよね。


 私は怪談を作りたかったのですがね、別の怖さにみせられてしまい、怪談どころではなくなってしまいました。

参考文献
 遠藤周作『怪奇小説集』、講談社、1974年。

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