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『僕の東京百景 - 上京』

 上京する前、東京は”人同士が希薄で冷たい”というぼんやりとした恐怖の印象を抱いていた。風の便りで、上京して働いていた従妹のお姉さんが、仕事で体を壊し地元へ帰ってきた話も聞いていたので、やはり東京は過酷な環境に違いないのだと妙に確信しているところがあった。

 そんな僕も4年前、地元浜松市の長閑な田園風景にもいい加減飽きたので、刺激的な日常を求めて上京することを決意した。
 寝静まる故郷の灯りを置いてけぼりにし、夜行バスの固いシートに揺られ東京を目指す。車内は暗く、人が大勢乗っているのにもかかわらず無音で、誰もが不安に飲み込まれまいと息を殺しているように感じた。
 
 僕は通路側の席だったので窓から外の景色を見ることもできず、スマホの光をちらつかせるのさえ躊躇われるような雰囲気があったので、じっと目の前の暗闇を見つめながら音楽を聞いて過ごした。

 足元に冷たい空気が流れていて、眠ろうと思っても眠る事ができず、朝になって目的地にたどり着くのをひたすら待つ時間が続いた。
 
 途中、隣に座っていた女の子が寝返りを打って、顔を僕の方に向ける。
 
 薄目を開けてこっちを見ているんじゃないかという被害妄想に駆られ、僕は緊張してしまい、寝たふりをして通路側へ頭をもたげる。
 すると向こう側に座っていた大きな体の男も、同じように僕の方へ顔を向けて眠っているではないか。輪郭が闇にぼやけたアンパンマンのような顔面が恐ろしく、僕は見知らぬ人の視線に挟まれるような緊迫状態に陥り、一人で勝手に赤面しながら、やはり目の前の暗闇を見つめるしかなかった。

 朝になって、池袋の東京芸術劇場前のバス停に到着した。
 一睡もできなかったストレスと、初めて大都会に一人で降り立った興奮がない交ぜになって、心臓がすごくドキドキしたことを覚えている。

 朝の池袋は落ち着いた色合いをしていて、東京も朝は静かなのだということを初めて知った。周囲は高層な建物ばかりで、田舎から来た人間の質を品定めするかのような高圧さで僕を見下ろしている。
 東京芸術劇場の美しい外観は、近づくのさえ恐れ多く感じるほどだった。

 東京に住居が無かった僕は、一足先に上京していた友人の部屋に転がり込む手筈となっていた。友人は夜行バスが着くのを朝早くから待ってくれていて、池袋駅の東口で落ち合う段取りとなった。
 地下へ根深く広がる池袋駅のダンジョンをなんとか潜り抜け、僕は友人と落ち合う。何か月も前から東京という大都市で暮らしていた友人はどこか垢抜けているように見えた。
「こんな早朝だけど、浜松の昼間より人がいるな」と言ったら彼は笑った。
 地元にいたときと何ら変わらない雰囲気が僕を安心させた。

 勇ましく前を先導する彼の後ろを僕はおどおどとしながら頼りなく歩き、目まぐるしく変わる都会の景色を潜り抜け、池袋の中心部よりも比較的閑静な南の住宅地へ足を運ぶ。この南池袋が僕が暮らしていく初めての町だ。

 途中、友人からどこそこに何の店があって、家からはこういうルートを辿って駅へ向かうと事細かに教えて貰ったのだけれど、色とりどりの店や建物に眩暈がして、彼の言うことは何一つ頭に入ってこない。
 この道に人の往来が流れることを想像すると、不安で一杯になる。
 僕は早くも、自分は東京に住むべき才のようなものを備えていないのだと感じ、窮屈で仕方なかった夜行バスは安全な場所だったのだと思い知った。

 住むことになるマンションへ着く。
 近辺は街並みが整備されており、道が凄くきれいで、朝の青灰色の景色の中をヒールの甲高い音を鳴らして歩くスーツを着た女性が、ドラマの重要なワンシーンのように見えるぐらい、僕は田舎者で、不釣り合いだった。

 建物の間を縫った向こう側に、一際巨大で、なぜか緑の生い茂った高層ビルが見える。あそこは恐らく、メディアに出るような有名な芸能人や政界関係者が住む、超高セキュリティの厳重な住居施設に違いないと思ったが、この時の僕はあれが誰でも行き来できる”豊島区役所”であるということを知る由も無い。

 しばらく生活の拠点となるワンルームの部屋に入り、そのこじんまりとした空間にあるはずもない懐かしさと安心感を覚える。
 
 友人が用意してくれていた布団にくたびれた体を投げ出し、僕は瞼の裏で地元の田園風景を想いながら、眠りについた。

 東京ではやっていけないと思った。

▼次回の僕の東京百景


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